第3話 失わない
地図によると王都から出ると長く、平原の道が続くらしい。
馬車乗り場の看板を見ても一番近い集落に到着するまで四時間はかかるのだとか。徒歩であるアーリアにはもっと酷な経過時間になるだろうが、複数人の乗る馬車が魔獣の出やすい平原で襲撃されては面倒だ。そうしてアーリアは今、草原が美しい平原を進んでいるのだが—————。
(っ...数が、多い...!)
狼のような容貌に、どこまでも黒い闇を纏った魔獣の群れに気付かれてしまったのだ。
素早く魔力を糸を編むようにして魔術を完成させ、群れに向かって直撃させると大爆発を起こし、魔獣達を塵のように吹き飛ばした。そうして一段落着いたが、その身一つのアーリアに数十体の魔獣の群れは堪えた。息切れを落ち着かせながら辺りを見回し、もう魔獣がいないことを確認して小さい岩に腰かける。
(甘く見過ぎた...)
アーリアは自分の力を過信していたことを反省した。森にいたときも一気に相手にした魔獣は十体程度。格が全く違ったのだ。
息を吐きながら空を見上げると段々夕方が近づいているのが分かった。烏の群れが飛び、薄く橙色を溶かし始めている。
この時間になると毎回家族が頭に浮かぶ。頑張った今日は、きっと母が腸詰めと野菜を煮込んだスープを晩御飯に作って待っているだろう。
————もうその後ろ姿はどこにも無いのだが。
———————「助けてくれっっ!!!!!!!」
突然、男の叫びが聞こえたかと思えば、横から大型のヤギ型魔獣が男に突進しようとしていた。
アーリアの体は自然と動いた。
高密度に編み込んだ魔術を魔獣へと照準を定め、打ち放つ。すると一瞬で編んだ魔術は草原の上を風を切って進み、頭を貫く。魔獣は倒れる間もなく塵と化して消えていった。その姿を見届けてアーリアはその場を去ろうとした。が、
「あ、あの!魔術師さま!命を救ってくれてありがとうございます...!何かお礼をしたいのですが...」
───面倒臭い。
こうなるからこの場を離れようとしたのだ。
アーリアは昔、魔獣を見つけ次第倒すと狩人に助けたと勘違いをされ同じ申し出をされたことがある。こういう人間は何か返さなければ気が済まず、満足したら勝手に完結して去っていくのだ。
こうして困っている間も男が曇りなき眼で視線をぶつけてくるのが痛い。
「取りすがりに倒しただけ。礼は何も————」
「そう言わず...!貸し借りは無し。それが自分のモットーなんです。付き合ってはくれませんか?」
男は子犬が餌をねだるような瞳をする。
人との関わりは最小限に抑えたいが、こうもされるとアーリアの中で感ずるものがあるのだ。
「じゃあ...野宿をするので夜の間の護衛を頼んでも?」
男は腰に剣を携えている。恐らく冒険者だ。
それに頼みが承諾されれば夜間の防衛に使うはずだった魔力をその分節約できる。とても有難いことではあるのだ。
「了解しました。精一杯守らせていただきます!...あ!俺の名前はアベントって言います。気軽に呼んでください!」
「...私は、アーリア。よろしく」
アベントは満面の笑顔を向けてから背負っていた小さな鞄から木の枝を取り出した。
火を起こしたいという意図を拾って、数本の転がった木の枝にアーリアが魔術で火をつける。
陽が沈み、辺りが薄暗くなってゆく中、焚き火がアベントとアーリアの二人を照らしていた。
「アーリアさんは旅をされているのですか?」
火の暖かさを手に当てながら、アベントがアーリアを真っ直ぐに見つめた。
「......そう」
「俺もです。目指すところは中々険しいですが、やらなくちゃならないから」
アーリアの返事でふっと微笑んだ後、アベントの瞳は焚き火を捉えた。
しかし、その目の奥にはもっと燃え盛る情熱があるようだった。
「そろそろお休みになりますか?日も沈みましたし。ちゃんと俺が護衛しますので」
いつの間にか、平原は夜闇に包まれて明かりは小さな焚き火だけになっていた。
「じゃあ、お願いする」
アーリアはそっと自分の身の周りにくっつくように結界を編んだ。アベントが守ってくれると言っているが、彼の感情が何故か掴めないからだ。危険は迫る前に防がなければ例外なく自身に危害が加わる。鳥が人間に近付かれれば捕らえられまいとすぐ飛び立つのと同じだ。
そうして小さな岩にもたれかかって目を閉じる。
寝ているように見せれば相手の緊張も少しは砕けるだろう。朝になったら自身に精神回復の魔術をかける予定を頭の中で組み始めた。
「————眠れませんか?」
目を閉じてから三十分ほど経っただろうか。
返事の代わりに目を開けると、焚き火を挟んで向かいにいるアベントが柔らかな表情でこちらを見つめている。
「...では、少し俺の昔話を聞いてくれますか」
そう言って少し微笑んだアベント。
アーリアは起き上がってから自分を包む結界を解く。起き上がった仕草を見て、アベントは静かに話し始めた。
「俺の故郷はここから少し遠く、北西の城塞都市にある町でした。父と兄が騎士だったこともあって俺も気付けば剣を振る毎日でした。でもある日、都市全体を竜型魔獣に襲われたんです。辺りは夜なのに火災で明るくて、逃げ惑う人たちの中には攫われてしまった人も俺は見ました。とても...恐ろしかった」
アーリアは黙ってアベントの話に聞き入った。ふとアベントの表情を窺うと、焚き火をじっと見つめて手を固く、固く握っていた。
「...それから、どうしたの」
「父と兄が必死で逃がしてくれたんです。近付く魔物に俺が気付かれないように、自分たちが囮になって。俺はそれをいいことに逃げました。父も兄も、泣きながら早く行ってと背中を押してきた母も見捨てて。そうして走って、走り続けて逃げてきたのがこの東の大国で。運良く拾われて今、って感じです」
自分を嘲笑するように笑って話を括ったアベントに、アーリアは胸の奥に疼くものを感じた。何か声を出したくて、喉の奥が熱くなるようなおかしな感覚が襲った。
「...頑張ったんだ...ね」
ふとアーリアの口から零れたのは拙い言葉だった。
「っ...がんばっ...た......?」
「ごめん、変なこと、急に」
「あ、いえ...!”頑張ったね”なんて言われたのは久しぶりだし、逃げた自分を今も責めているのに、なんか...胸の奥が軽くなった気がして」
「———ありがとうございます」
アベントは微笑んだ。
心が自然と温かくなってしまうような、そんな笑みを浮かべた。
たったの数時間でアーリアは移り変わっていくアベントの表情を見た。そのどれもが人間らしくて、そんな感情に触れるのが久しぶりだった。昔に失ったものが一瞬だけ蘇ったような、そんな感覚。
もう失わないと決めて歩んできたのに今手に残っているのは目の前で亡くした家族全員と知人の笑顔や時に悲しむ過去の記憶。失いたくなくて、失わないために新たに人の幸せと感情を分かち合わないようにしてきた。もう、失いたくなかったから。
でも、今目の前にあったアベントの笑顔は、家族の笑顔とはまた違う。失いたくない温かな表情だった。
フェアボーテンの剣 鈴木 @suzuki_0619
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