第2話 旅のはじまり
この世界において、魔術は生活に欠かせないものだ。
火をつけるにも魔術が必須。魔力の少ない者は炎の術が編み込まれた魔石を使用することが多い。
先進国であるウベライア王国では魔術の研究が進められ、周辺の国々より技術が頭一つ二つ、飛び抜けているのだ。そのため、王城近くの城下町は商人や、隣国の重鎮などが贔屓にするほどだった。
そして今日も今日とて、町は賑やかでどこもかしこも人の声で溢れている。
アーリアは約10年ぶりに自分以外の人間の声を聞いたことになるだろう。久方ぶりで町に入って数分で耳が痛い。
石畳の道の脇には屋台が立ち並び、そこに群がるのは庶民も金持ちもごちゃ混ぜ。そこかしこに魔力反応が確認でき、屋台で売られている品殆どに魔術が編まれているのだというのが分かる。
(炎の魔石が青銀貨5枚…高い)
アーリアはその高価さに驚いた。
魔石など森にある洞窟では当たり前にある物だ。それに石に魔術を編むと言っても、手の平に乗る大きさのこの魔石に込めるとなると数秒で終わる作業なのだ。
そして青銀貨の価値は2枚ほどで家族一世帯の2週間分の食が賄える。
長持ちする品でもその価値にアーリアは何故か疑心感を持たざるを得なかった。
(王都と村じゃ物の価値が違うのかな)
昔の温かな村を思い出しつつ街路を進む。
雰囲気はどこか懐かしいが、ここにいる人間をアーリアは知らない。古くなった記憶とは似ても似つかないのだ。
もう、戻ることは無い。
無意識に握る手の力が強くなったまま、そこらに立つ看板を頼りに書店の前に辿り着いた。
建物の木材は年季が入り、歴史があることが一目で分かる。看板にはただ''書店''と記され、アーリアは木の扉を押し開けた。
目の前には本棚が何連も立ち並び、書物はびっしりと詰められている。物静かで客もアーリア一人らしい。
カウンターはあるが、店員や司書らしい姿は見えない。
そしてアーリアが目指すのは魔獣の源''フェアボーテンの剣''がある西の呪われた大地。向かうためには地図が必要になるのだ。
ウベライア王国は東に位置する国。ほぼ正反対ということになる。旅路は長く険しいものになるだろう。
(…でも止まることなんて、しない)
アーリアはとっくに覚悟を決めていた。
10年前の弱さは捨てたのだ。もう、逃げない。失わない。
「何かお探しか。ぼーっと立ち止まっても本はお前を迎えに来ないぞ」
振り返ると後ろに立っていたのは幼い男の子。しかし、声も言葉遣いも既に成人した男性のようだ。
その物珍しさにアーリアは言葉が出なかった。
「フォルク族だ」
「……フォルク…?」
「知識が浅いのだな。例えを出そう。街で魔具を作っている職人を見なかったか」
男の子の中身はやはり成熟しているようで、大きくはっきりとした瞳を伏せて話を続けた。
「あの魔石を売ってた人が…」
「その者達が私と同族ということだ。さて、本題に入ろう。何の本を探しに来たのだ」
話していると不思議と心が落ち着く。アーリアの感覚に引っかかった魔力反応の正体なのだろう。
そしてこの男性は書店の司書的立場なのだとアーリアは気付いた。
「…西に向かうための地図を探してる」
「西……呪われた大地だな…持ってくるから待っていろ」
男性は書棚の横にある椅子を指さし、棚の立ち並んだ部屋の奥へと進んで行った。
アーリアの推測が正しければあの男性は魔術に関して凄まじい実力を持っているだろう。後ろから不意に話しかけられた時、アーリアの感覚に魔力反応が引っかからなかったのがその証拠だ。
魔力は種族に関わらず、生物は微量でも持つものだ。完全に隠すのには精密な魔力への干渉力、制御能力を磨かなければならない。アーリアが魔力を全力で抑えても残滓や微量な魔力が漏れ出てしまう。
幼く見える容姿に小さな体、それに違和感を覚えざるを得ない成熟度。彼が何者なのか、アーリアの好奇心が僅かに揺らいだ。
突然、男性が本棚の向こうから顔を出したと思えばそろりと顔を出し、分厚い本を三冊手の上に積んでいた。
「これが西の大地の地理が詳細に記述された書物。そして二冊目がウベライアからの道筋がわかるであろう書物だ」
「もう一冊は?」
「...呪われた大地についての、書物だ」
その言葉にアーリアは目を見張り、息を飲み込んだ。
他二冊を側にあった台へと置き、一冊を手にした彼は本を見つめてから、アーリアへと視線をゆっくり移す。
「お主はここを目指しているのだろう。私とお主のこの出会いに免じて真言するが、死ぬぞ」
「知ってる」
鋭いほどの視線にアーリアも顎を引いた。
何と言おうとそんな覚悟はとうにできている。そのために自分を高めて研鑽を積んできたのだから。
「あの一帯は剣の影響で致死量以上の瘴気が蔓延している。魔術で編んだ結界でも意味は成さない」
そんなことは予想していた。しかし通常の結界に編み込む魔力量を増やし、三重以上重ねれば数分は持つ計算だ。
それに、剣さえ壊せたなら自分は————。
「...死ぬ気なのだな」
「っ...なんでそんなに見透かすの...」
彼は真っ直ぐ、全てを理解したようなどこまでも凪いだ瞳をしている。
それがアーリアには焦燥を感じさせた。こんな一瞬で自分の苦しみを分かられてたまるものか。
「長く生きていると、人の感情は嫌でも山ほど見る。しかし今は踏み込みすぎたようだ。謝罪する」
彼は美しい所作で頭を下げた。気持ちに嘘偽りは無いのだろう。
「......呪われた大地に、行ったことがあるの...?」
「…あぁ...大昔の話だ。結局、目的も果たせずにのうのうと帰ってきたが」
そう言うと、長い袖をまくり始める。
出てきた腕は白く、しかしその肌には黒く渦巻く痣が大きく広がっていた。
「瘴気に触れた代償だ。これからも広がり続けてやがては命を蝕む」
また袖に腕を隠して彼は目を細めた。
彼に何の過去があるのかアーリアにそれは分からないが、聞き出すことは憚られる気がした。
「それでも私は、行く。貴方の分までって覚えておくから」
「っ…私の名前はヴァイゼンだ。お主は魔術師だろう、好きな魔導書を一冊持っていくといい」
「ありがとう」
アーリアの言葉にヴァイゼンは微笑み、その顔はどこか儚げで無垢なものだった。
△△△▽▽
旅の目的地までを示す本3冊の代金は割り引いてもらった。おまけで貰った一冊の魔導書は無料で。書店を出た後、アーリアは振り返ってもう一度感謝の意を心で反復した。
そして向き直り昼過ぎの晴れた空の下、人々の温かい声が溢れる通りを歩いて行った。
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