フェアボーテンの剣
鈴木
第1話 少女の目的
その昔、英雄と名高い魔術師がいた。
静かに編み出される魔術は誰しもの目を引くほど美しかったのだとか。魔術師は各地に蔓延る魔物を一掃し、呪われた大地を浄化して回ったそうだ。それはそれは民から崇め奉られ、もてなされ世を平和に導く英雄だと誰もが信じた。
しかしそんな夢のような存在は一変し、魔術師の姿はどこまでも黒い闇を纏って西の大地に後に’’禁忌の剣’’と呼ばれる強大な魔物の源を作り出したのであった。
————————これは王国に伝わる伝承である。
魔術の発展が著しく進む先進の王国、ウベライアの辺境には小さな村がある。そこに生まれた一人の少女、アーリアは魔術が好きだった。親の反対をものともせず、夢は立派な魔術師になると心に決めているのだ。その夢のため、魔術についての児童書を読み日々を魔術への理解、自身の技術へと費やすのであった。
ある日のアーリアは物体を浮かせる簡単な魔術の練習に励んでいた。魔術とは想像したものを編んで、緻密に無から再現する故に没頭していると、いつの間にやら陽は傾き、空一面を橙色に染めている。家に帰らなければ母も父も姉弟も心配する頃合いだ。アーリアは早足で家路を急いだ。
(今日の晩御飯はお肉かなぁ。お魚かなぁ。それともお野菜…?)
家のドアを開けて料理の匂いを嗅ぐのが心底楽しみだ。アーリアはニコニコと笑顔を浮かべて暢気に道を進んで行った。
──しかし、違和感に気付いた。
(なんか静かだなぁ…)
ちらほらと木々の隙間から家が見えてきたというのに、人の声1つと聞こえてこないのだ。夕暮れのご飯時だが、まだ仕事帰りの人は大勢いるはず。いつもは明るい声が聞こえるのだから。
それに人の声は愚か、鳥のさえずりですら聞こえない。耳に入るのは風で草同士が擦れ合う音のみ。アーリアは身体の内部に圧がかけられているような感覚に襲われた。静けさで耳鳴りは絶えず、冷や汗は背中を流れていく。とにかく誰の家でも見える所まで走った。高く生える木々が邪魔で泣きそうになるが、ようやく1軒の家が見えてくる───
「………は」
家屋が立ち並ぶ広場の道には赤黒い何かが染み込んで、そこら中を彩っていた。
アーリアは驚きのあまり出た声にも気付かず、家族のいる家まで一直線に覚束無い足取りで走った。
母がいつものように晩御飯を作って待っているはず。弟が積み木をして遊んでいるはず。姉が母の手伝いをしているはず。
家の扉は閉まっていた。耳に響くのは更に不安を掻き立てる耳鳴りだけ。そして震える手で扉を開ける。正面に誰の姿も見えなかったために、1歩踏み出して台所へ視線を向けた。
そこには誰かが座り込んでいる。暗くてよく見えなかった。
───「お、かあさ………っ」
母を呼びながら座り込むそれに近付くと紛れもなく母だった。冷たい身体には大きな切り裂かれたような傷がある。母の目は閉じてもう開かないのをアーリアは悟った。
その瞬間に足の力が抜け、動かない母の前で座り込んだ。しかしその時、小さな積み木が目に入った。
「…ユーリは……おねえちゃ……?」
震える脚でなんとか立ち上がり、いるはずの弟と姉を探した。すると、寝室部屋で姉は弟を庇うように倒れ、背中には鋭い爪で抉られたような大きく、血が流れた傷跡が残っていた。
弟を見れば、もう頭がひしゃげてどんな顔をしていたのか見当も付かない。
死んだのだ。皆。
「…っなんで………やだ…っ!!お母さんっっ!!助けて!!お父さん…!」
ようやく頭で理解すると、泣く事しかできなかった。年相応の幼い心は粉々になっているのだ。そして父を呼び、泣き叫びながらその姿を探した。
掴めるもの全てに寄りかかりながら血塗れの家を出て、立ち並ぶそれぞれの家の窓には、赤い飛沫がべったりと残っているのを見た。扉の開いた家を見やるともうそこには命の気配など無かった。
「おとう、さん…っだれかぁ…っ出てきてよ…ぉっ」
嗚咽は絶えることなく呼吸を邪魔してくる。
だがアーリアは誰かに助けてもらいたかった。抱きしめて何が起こっているのか理解して慰めて欲しかった。
すると1軒の家の影から何かが出てくる。
犬のような威嚇だが容貌は見たこともない、生物と言っていいのかも曖昧な影。4本の足で立つその姿はどの動物にも例えようがない異形さ。そして何より黒いのだ。
「…魔獣……?」
アーリアは覚えていた。本で読んだ魔獣という特殊な害獣と一致したのだ。それが迫ってきていた。
口には髪の毛を噛み締めている。そしてぶら下がっていたのは男の頭。少し回って横顔が見えると、見慣れているものが定かになり─────、
「あ……?…おと、う……さ…嫌だ…嫌だ嫌だやだぁぁぁ!!!!」
首だけになった父を見せびらかすような魔獣に怖気と怒り、悲しみ、憎しみとを全て織り交ぜた叫びを浴びせた。
アーリアの心、頭にすらも絶望が占拠していて、もう叫んで涙を流すしかできなくなった。助けの言葉も思いつかないほどに。
しかし足は動いた。無意識に───いや、生きたかったから。
誰の息吹も消えた村から道も無い森に入り、赤い空の下、茂る葉に肌を傷付けられるのも気にせず走った。ただ魔獣から遠ざかる。生きるために、逃げたのだ。
家族も村の人たちも全て置いて自分だけが。
───アーリアはその日、大切なもの殆ど全てを失った。
いつしか月明かりだけが森を照らし、アーリアは涙を枯らしていた。心は空っぽ。魔術とも言えない、ただ魔力だけを木の幹にぶつけながら冷たい地面に佇んでいた。
だって晩御飯を食べるはずだった。
出てくる野菜だって我慢して食べて、魔術師になる意志を伝える予定だった。姉とお風呂に入って、歯磨きをして両親に「おやすみ」を言って布団に入るのだ。それが当たり前にあるはずだった。
アーリアはただの平和な村に生まれ育った少女なのだから、それが日常だというのに。もう何もかもが無くなっている。
襲うのは虚無。悲しみすらも忘れてしまった。
───(お母さんに晩御飯を聞くんだ…もう、いないんだっけ……)
(ユーリにはお姉ちゃんは立派な魔術師になるって……)
(お姉ちゃんには………練習した魔術を……っ)
「お父さ………うっ、ぐ…」
父を思い出すと首だけの父の姿を思い出して何度も嘔吐した。胃がひっくり返りそうなほど、何度も。口に酸っぱい感覚を覚える。
アーリアには魔術以外なにも残っていない。正真正銘の孤独。
そんなアーリアを静かに見つめるのは月だけだった。そして何かを思ったように拳を握り、魔力を滲ませた。
△△△▽▽
心を埋めていた幸せは割れて砕け散り、残るのは大きな空洞だけ。
あれから10年、月に照らされ涙が枯れた夜から悲しみを忘れ、幸せもどこか遠くに置いて失くしてアーリアはただひたすらに森の中で魔術を使い続けた。
生き延びるための食料を狩る時、火を起こすために木を切る時。雨風を凌ぐために家を作った時。好きでもなくなった魔術はそうして少女と共に成長した。
そんな少女も今では18歳の年になる。
今頭を満たすのは''禁忌の剣''ただ一つ。いつかの昔、父に読んで聞かされた王国の伝承に残る悪の元凶。それさえ抜き取り壊せば頭を焼く強い意思は消えるのだろう。
アーリアは葉と木の生い茂る森を抜けて、昔の家がある廃村に足を踏み入れた。
家には蔦が生えて、雨風にさらされあちこちが壊れて崩れている。
「…待ってて……きっと終わらせて、逢いに行くから…」
思い出の詰まった家に一言だけを置いてアーリアは外に向き直った。
そして、村を出て歩き始める。
────これは長い旅路になるだろう。そして、真実と変化を知る旅なのだ。
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