本名、大キライ

柴田 恭太朗

ペンネームの由来はともあれ、まぁ聞いてくださいよ


 なぜ、私が柴田恭太朗というペンネームを選んだのか。


 ……特に理由はありません。


 ――以上


 これで、このエッセイは完結です。

 が、それじゃ、せっかくの好企画に対して失礼です。失礼を通り越してミもフタもありません。ミやフタどころかソコも抜けた状態なので、もう少し語らせてください。


■自分の本名が嫌い


 まずですね、すこぶる嫌いなんです、自分の名前が。

 自分の名前を嫌い始めたのは、いたいけな年ごろの四歳。幼稚園のときですから、相当年期の入った本名ギライです。


 嫌いはじめのキッカケは、父親から名前の第二候補を聞いたことにありました。

 ある日、父がしみじみと語るのです。「お前は〇〇〇という名前になっていたかも知れないんだよ」、と。


〇〇〇✨


 いかがですか。キリっとしてクール。カッコ良い響きでしょ? なにわからない? 伏字じゃぜんぜん伝わらないって? そうですよね…… リアルな文字にすると支障があるので、ここでは仮に「ケント」としましょう。ケントなら日本人名としても良く馴染みますから。

 では、あたらめて、


ケント✨


 カッコ良い。

 父の話では「ケント」は自分が憧れていた音楽家の名前なのだそうです。他のエッセイにも書きましたが、声楽家を志していた父は息子に音楽の道に進んで欲しかったのでしょうね。まぁ、往々にして親の希望は通らないのが常であって、私も音楽の道には進みませんでした。


 親の願いはともかく「ケント」という名前は四歳の私の心をヒットしたのです。世に「中二病」という難病が存在しますが、たぶん「四歳病」「五歳病」もあると思います。私は四歳病にも五歳病にもまんべんなく罹患しておりましたので、目の前にぶら下げられた魅力的な名前=称号に飛びつかないわけがありません。


 新名称をいただいた恐れを知らぬネームド四歳の私は早速母に報告しました。

「ボクねぇ、今日からケントって名前になったから」

 そのときの私の瞳は、きっとキラキラと輝いていたと思います。


 私の宣言に対する母の反応は今でもハッキリと覚えています。

 キリリを眉を吊り上げ、こう言いました。

「そんな子はウチの子じゃありません」


 その一言で、ケントだった私はこの世から木っ端微塵に爆散しました。

 後日知ったことですが、私の本名は母が選んだのだそうです。んー、なるほどね。


■発掘! すでにエッセイに理由を書いてありました


 ここまでお読みくださりありがとうございます。ペンネームに関しては過去のエッセイに書いておりますので、ご興味あればそちらを……と案内しようと思いましたが、短文ですのでまるっと転載。似た内容です、よろしければどうぞ。


------------------------ここから転載


 改名します。というか、すでにしました。


「柴谷 染」あらため「柴田 恭太朗(しばた きょうたろう)」です。

 よろしくお願いいたします。


 年明けに変更を予定していましたが、冬至ですし今日でもいいやと変えてしまいました。ああ、冬至に深い意味はないです。クリスマスでも良かったんだけれど、お目出度すぎるかなと。


 私、昔からペンネームを適当につける傾向があります。なぜだろうかと自己分析してみたことがあります。その結果、わかったことが、私は自分の名前が嫌いだってことなんですね。


 名前が嫌いだと思いつつ人生を生きてくると、名前に対するこだわりがなくなってしまって、もうなんでもいいやと。他者と区別できる記号なら何でもいいだろうぐらいの考えで、行き当たりばったりにつけてます。


 先ほどまで使っていた「柴谷染」は、カクヨムに参加する際、つけた名前です。何と読むのか分からない名前が面白いかな~と思ったのですが、ちーっとも面白くないので大反省。しかも中性っぽい名前な点も、なんとかしたいと思いました。染太郎でもいいんですけど、それだと正月の大道芸人みたいだし。笑


 結果、

・フリガナをふらなくても正しく読める。

・性別が明確である。

・「柴」の文字で始まる(文章創作系の名前はこれで統一している)

そんな名前にしようと思いました。


 それで、柴田恭太朗、と。

 結局、十秒で適当に選んでしまいました(^ ^;


 趣味ごとに違う名前を名乗っていますが、文章創作系は当分、この名前でいきます。

 どうぞよしなにお願いいたします。


------------------------転載ここまで


■過去のペンネームを振り返る


 以下は余談です。

 上に文章創作系の名前は「柴」と書いてありますが、太古の昔は「矢野」系が多かった記憶が。「矢野」は当時大ファンだった矢野顕子さんから拝借してました。


 そういや、雑誌や書籍に掲載するときは毎回ペンネームを変えてたなぁ、と。

 それを不思議に思った担当編集さんから、こう尋ねられました。


「どうして名前を変えるんですか?」

「毎回同じヤツが小説を書いていると思われるより、いろんな人が書いているように見えた方が楽しいでしょ」

「……よくわかんないです(苦笑)」


 確かにいま思えば「わかんない」話ですよね。それでもそのときは良いアイデアだと思っていたのです。

 当時はまれにファンレターをもらうこともありました。書いた作品に対していくばくかの感想をいただくことって、やはり嬉しいじゃないですか。ペンネームを固定していれば、ひょっとするとファンレター数も増えたかなとちょっぴり後悔。ビンボくさい話ですが。


■本名で書いた本もあった


 そういえば何冊か大キライな本名で出版したこともあります。いずれも技術書でしたので本名でまぁいいか、と。どうせ売れないし(笑)


 で、本を出すと出版社から本(正式名称なんでしたっけ? 献呈本じゃないことは確か)を何冊かいただけるんですね。技術書ですから価格も高価です。

 ちょっとイタズラ心を起こして、自分の本をブックオフに持ち込んだことがあります。いくらぐらいで買い取ってくれるかな、という純粋な好奇心です。


 ブックオフの買取コーナーに私の本を並べると、しばらくして査定が終わりました。

 メガネをかけた三十代の男性店員が事務的に告げます。

「〇〇円です」


 告げられたのは私の予想を大きく下回る額でした。元はまあまあ高価な技術書だし、いただいたばかりの傷ヒトツないピカピカな新品なのですよ。ちょっと安すぎませんかね、と私は思ったのです。


「は?」

「〇〇円です」

 呆然としている私に平然と繰り返すメガネ店員。


「じゃ、それでいいです。ところで高額で買い取ってもらう条件ってあるんですか?」


 すると店員はメガネを光らせて得意気に答えました。

「本が話題になっているときとか……たとえば作者が死んだときですかね」

「私がその本の作者なんですけど」

 カウンターに置かれた技術書を指さす私。(死ねと言ってますか)の想いを込めて。


 数秒、互いの顔を凝視しあったのち、メガネは淡々と言い放ちました。

「〇〇円ですね」


 死後が楽しみになりました。


 ◇


 というわけで、現時点は「柴田恭太朗」ですが、ある日突然、変化球、たとえば「柴田鬼太郎」などと外角低めギリギリのカーブを投げてくるかも知れません。そんなヤツです。よろしくどうぞ。


 おしまい

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本名、大キライ 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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