第4話「重ねた体温」

 季節は初夏を迎え、森は鮮やかな緑に覆われていた。

 フィンの薬草園も、色とりどりの花で賑わっている。

 アッシュとの生活は、今や日常そのものになっていた。

 朝起きて、共に働き、共に笑い、同じ屋根の下で眠る。

 アッシュの記憶が戻る兆しはなかったが、フィンは心のどこかで、それに安堵している自分を自覚していた。


 ある夜、激しい雷雨が森を襲った。

 最初の出会いの日を思い出させるような嵐だった。

 雷鳴が轟くたび、フィンは幼い頃のトラウマが蘇り、布団の中で身を縮めた。

 オメガの本能が、強大な力への恐怖を訴える。


 ガタガタと震えるフィンの気配に気づいたのか、隣のベッドからアッシュが起き上がってきた。


「フィン? 怖いのか」


 アッシュの声は低く、落ち着いていた。

 彼はフィンのベッドの縁に腰掛け、震える肩に手を置いた。

 大きくて、温かい手。

 その体温に触れた瞬間、フィンの恐怖が少しだけ和らいだ。


「ごめんなさい……昔から、雷が苦手で……」


「謝ることはない。こっちへおいで」


 アッシュはフィンを抱き寄せた。

 厚い胸板に顔が埋まる。

 アッシュからは、雨の匂いをかき消すような、深くて甘い森のような香りがした。

 それは威圧的なアルファの香りではなく、番を守ろうとする慈愛に満ちた香りだった。


「俺が守る。雷なんて、俺が追い払ってやる」


 子供騙しのような言葉だが、アッシュが言うと真実味を帯びる。

 フィンの震えが止まるまで、アッシュは背中を優しく撫で続けた。

 やがて、恐怖とは別の感情が、フィンの体の奥底から湧き上がってきた。

 愛おしさ。

 そして、触れ合いたいという切実な欲求。


 フィンは顔を上げ、アッシュを見つめた。

 暗闇の中でも、アッシュの瞳が熱っぽく輝いているのが分かった。

 彼もまた、同じものを求めている。


「アッシュ……」


「フィン……キスしても、いいか?」


 フィンの答えを待たず、アッシュの唇が重なった。

 優しく、壊れ物を扱うような口づけ。

 それが次第に深く、貪るようなものへと変わっていく。

 雷鳴はもう聞こえなかった。

 聞こえるのは、互いの激しい鼓動と、衣擦れの音だけ。


「愛している、フィン。記憶なんてなくても、これだけは分かる」


 アッシュの囁きが、フィンの理性を溶かした。

 身分も、過去も、未来も関係ない。

 今この瞬間、二人はただの男と男であり、惹かれ合う魂だった。

 フィンはアッシュの背中に腕を回し、しがみついた。


「僕も……愛しています、アッシュ」


 その夜、二人は初めて結ばれた。

 番の契約こそしなかったものの、心と体は深く繋がり、溶け合った。

 窓の外の嵐とは対照的に、小屋の中は甘く満ち足りた空気に包まれていた。

 この幸せが永遠に続けばいい。

 フィンはアッシュの腕の中でまどろみながら、切にそう願った。

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