第11話「祝福の光の中で」

 隣国との交渉は、クロード様の手腕と私の知識によって、驚くほどスムーズに進んだ。


 私は、ベルンシュタイン公爵家に保管されていた膨大な資料を、アリアンヌ様のために読み解いていた経験があった。

 その中には、隣国との過去の交渉記録や、国境地帯の地理、文化に関する詳細な情報が含まれていた。

 その知識を元に、私は相手国の代表者さえ気づかなかった歴史的な事実を指摘した。

 そして、互いが納得できる妥協点への道筋を示したのだ。


 クロード様は、その道筋に沿って、冷静かつ毅然とした態度で交渉を主導した。

 彼は決して相手を威圧せず、しかし、こちらの主張すべき点は一歩も引かない。

 その絶妙な駆け引きに、隣国の代表者たちも敬意を払わざるを得なかった。


 結果、長年の懸案だった国境問題は、両国にとって利益となる形で、円満に解決した。

 この功績はすぐに王都に伝わり、クロード様の名声はもはや不動のものとなった。

 そして、その影で彼を支えた謎の補佐官、リリアの存在も、人々の間で大きな注目を集めることになった。


 ヴァルハイト領に戻った私たちを、領民たちは熱狂的に出迎えてくれた。


「公爵様、お帰りなさいませ!」


「リリア様、よくぞご無事で!」


 城へと続く道は、花吹雪と歓声で埋め尽くされていた。

 誰もが、私たちの無事と成功を、自分のことのように喜んでくれている。

 その光景に、胸が熱くなった。


 数日後、領地の発展と、今回の外交的勝利を祝うための盛大な式典が、城の広場で開かれることになった。

 領内の村々から、たくさんの人々が集まってきている。その誰もが、笑顔だった。


 私は、クロード様が用意してくれた、夜空のような深い青色のドレスを身にまとっていた。

 胸元には、彼が贈ってくれたサファイアの髪飾りをブローチとして留めている。

 バルコニーから広場を見下ろすと、そこには信じられないほど多くの人々が集まり、私とクロード様の名前を呼んでいた。


「すごい、ですね……」


「ああ。これもすべて、君がいてくれたおかげだ」


 隣に立つクロード様が、穏やかな声で言った。

 彼の横顔は、誇らしげで、そしてとても優しかった。


 式典は、クロード様の挨拶から始まった。

 彼はまず、領民たちの日頃の労をねぎらい、領地の発展を共に喜んだ。

 そして、彼の視線が、ゆっくりと私の方に向けられた。


「今日のこの喜びがあるのは、ここにいる一人の女性のおかげでもある」


 彼の言葉に、広場が静まり返る。すべての視線が、私に集中した。


「彼女、リリアは、この地に新たな風を吹き込み、我々に豊かさと希望をもたらしてくれた。彼女の知恵と優しさは、凍てついていたこの北の地を、陽だまりのような温かい場所へと変えてくれたのだ」


 クロード様は、私に向かって一歩近づくと、信じられない行動に出た。

 彼はすべての領民が見守る前で、私の前に恭しくひざまずいたのだ。


「え……クロード様!?」


 公爵が、人前でひざまずくなど、前代未聞のことだ。

 私はあまりの驚きに、言葉を失った。


 彼は、私の手を取り、そのサファイアのような蒼い瞳で、まっすぐに私を見上げた。


「リリア」


 彼の声が、真剣な響きで私の名前を呼ぶ。


「私は、君と出会って、初めて知った。誰かを守りたいと、心から願う気持ちを。誰かの笑顔が、自分の喜びになるということを」


「君は、私の凍てついた心を溶かしてくれた、唯一の光だ。もう、君のいない人生など考えられない」


 彼の言葉の一つ一つが、私の心に深く、深く刻まれていく。


「だから、リリア。どうか、俺の妻として、これからの人生を、共に歩んではくれないだろうか」


 彼は、懐から小さなベルベットの箱を取り出した。

 蓋を開けると、そこには、澄み切った冬の空を思わせる、大きなダイヤモンドの指輪が輝いていた。


「俺の公爵夫人になってほしい」


 世界中の音が、消えた。

 聞こえるのは、自分の心臓の音と、彼の真摯な声だけ。


 涙が、とめどなく溢れてくる。

 かつて、すべてを失い、絶望の淵にいた地味な侍女。

 その私が、今、こんなにもたくさんの人々の祝福の中で、世界で一番素敵な人から、愛の言葉を贈られている。


 私は涙で濡れた顔のまま、精一杯の笑顔で何度も、何度も、うなずいた。


「……はい、喜んで」


 その瞬間、広場から、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。

 領民たちは、まるで自分のことのように喜び、私たちの名前を叫び、祝福してくれた。


 クロード様は、優しく私の指に指輪をはめてくれると、立ち上がって、力強く私を抱きしめた。

 祝福の光の中で、私は確信する。

 私の居場所は、ここだ。この人の隣こそが、私がずっと探し求めていた、本当の居場所なのだと。


 遠く離れた王都では、この報せを聞いた二人の男女が、窓の外の暗い空をただ茫然と見つめていたという。

 しかし、そのことを、今の私が知る由もなかった。

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