第7話「王都の凋落」

 その頃、王都では、冬の訪れと共に暗く冷たい空気が澱み始めていた。

 リリアという有能な緩衝材を失ったアリアンヌとアランは、歯車が狂った機械のように、あらゆる場面で軋轢を生じさせていた。


「殿下! どうしてわたくしの頼みを聞き入れてくださらないのですか!」


 王宮の一室で、アリアンヌのヒステリックな声が響き渡る。

 彼女が求めているのは、隣国から輸入される予定だった最新のドレス生地を、他のどの貴族よりも先に自分に回せという、我儘極まりない要求だった。

 以前であれば、リリアが事前に輸入業者と交渉し、アランの手を煩わせることなく、事を穏便に済ませていただろう。

 しかし、今は違う。


「アリアンヌ、君は少し我慢というものを覚えたらどうだ! そんな些細なことより、もっと重要な問題が山積みなんだぞ!」


 アランもまた、苛立ちを隠さずに怒鳴り返した。

 彼の机の上には、処理しきれない書類が山となっている。

 そのほとんどは、これまでリリアがアリアンヌに代わって処理していた雑務だ。貴族間の些細な揉め事の仲裁や、慈善事業の計画書といったものである。


 リリアがいなくなって初めて、アランとアリアンヌは、彼女がどれほど膨大な量の仕事を、黙って肩代わりしてくれていたのかを思い知らされていた。


 アリアンヌの社交界での評判は、地に落ちつつあった。

 彼女が主催するお茶会は段取りが悪く、招待客への配慮も欠けていると陰で囁かれた。

 彼女の機嫌を損ねれば、どんな理不尽な要求をされるか分からないと、令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように彼女から離れていった。


 アランもまた、政治の場で失態を重ねていた。

 リリアがまとめてくれていた分かりやすい報告書がなくなった今、彼は複雑な情勢を正確に把握することができない。

 側近たちがいくら説明しても、その内容を十分に理解できず、見当違いな指示を出しては臣下たちの反感を買っていた。


「そもそも、あの地味な侍女がいなくなってから、すべてがおかしいのだ!」


 アランは頭を掻きむしりながら叫んだ。


「ああ、本当に! あの役立たず、どこへ行ったのかしら! 追放したこと、少しだけ後悔しているわ!」


 アリアンヌも忌々しげに吐き捨てる。

 二人とも自分たちの無能さを棚に上げ、すべての原因をリリアの不在に押し付けていた。

 彼らにとって、リリアは便利な道具でしかなかった。

 その道具がなければ何もできない自分たちの姿を、認めることができなかったのだ。


 そんな中、彼らにとって決定的な打撃となる出来事が起こる。

 北のヴァルハイト公爵領から、驚くべき報告がもたらされたのだ。

 不治の病とされていた風土病の特効薬が開発されたこと。

 痩せた土地から、「黒い宝石」と呼ばれる新たな特産品が生まれ、莫大な利益を上げていること。

 そして、そのすべての改革の中心に、クロード公爵が王都から連れ帰った一人の女性がいる、という噂。


 その女性の名は、リリア。


 報告を聞いたアランは、しばらく言葉を失った。


「馬鹿な……あのリリアが? ただの侍女だった女が、クロードの元で内政を……? 何かの間違いだろう!」


 彼は信じようとしなかった。

 自分たちが無能だと断じ、追放した女が、あの氷の公爵に認められ、輝かしい功績を上げている。

 そんな事実を、到底受け入れることができなかった。


 一方、アリアンヌは別の感情に支配されていた。嫉妬だ。

 自分からすべてを奪っていった、憎い侍女。

 その女が今や自分よりも遥かに高い評価を得て、人々の称賛を浴びているのだ。許せるはずがなかった。


「クロード様は騙されているのよ! あの女は、口先だけで人をだますのが得意な狐よ! きっと、公爵様をたぶらかして、いいように利用しているに違いないわ!」


 アリアンヌは金切り声を上げた。

 彼女はすぐさまクロードに手紙を書き、リリアがいかに腹黒く、危険な女であるかを切々と訴えた。

 しかし、クロードからの返信は、冷たい一文だけだった。


『ご忠告に感謝する。だが、人を見る目には自信がある』


 事実上の門前払いだった。

 王都の凋落は、もう誰の目にも明らかだった。

 アランの指導力不足、アリアンヌの悪評。それらが相まって、国の政治は停滞し、民の不満は日増しに高まっていた。


 貴族たちの間では、密かに囁かれるようになっていた。


「次期国王は、本当にアラン殿下で大丈夫なのだろうか」


「それに比べて、ヴァルハイト公爵様の見事な手腕よ。北の地は、今や国内で最も豊かな土地になったと聞く」


「公爵様を、次期国王に推す声もあるらしいぞ……」


 そんな不穏な空気が王宮に流れ始めた頃、アランとアリアンヌは、ようやく気づき始めていた。

 自分たちが追放した地味な侍女こそが、すべてを支える重要な存在だったのだと。

 そして彼女を失ったことが、自分たちの破滅の始まりだったのだと。


 だが、その気づきは、あまりにも遅すぎた。

 後悔が彼らの胸を苛む頃には、すでに時計の針は戻らない場所まで進んでいた。

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