第21話

 王都へ向かう道――

 空が急に暗くなり、大粒の雨が降り出した。


「リィナ様、こちらへ!」


 アーデンさんが咄嗟に手を伸ばし、

 わたしを大きな木の下へ引き寄せた。


 その瞬間――

 距離が、いつもより近い。


 肩と肩が触れそうなほど。


(あ……)


 胸の奥の透明な星が、

 柔らかく光った。


 でもアーデンさんは気づかないふりをした。

 濡れた額に手をやりながら、

 どこか落ち着かない表情で言う。


「すみません……距離が……近すぎました」


「嫌じゃないです」


 小さく言った言葉に、

 アーデンさんの呼吸が止まる。



(……触れたら、壊れる……

 近づいたら……きっと私は……)


 それでも、

 リィナ様の濡れた頬を見た瞬間、

 胸が跳ね上がった。


(だめだ……

 こんなに愛おしいと思ってしまったら……)


 心臓の鼓動が早い。

 透明な星の光が、また共鳴しているのかもしれない。


(……彼女を抱きしめたい)


 そう願った瞬間、

 胸が熱くなった。


 これは危険だ。

 恋の色が溢れれば――


(封印が……揺らぐ……)


 そう分かっているのに、

 どうしても距離を取れなかった。




「アーデンさん」


「……はい」


「どうして、避けるんですか?」


 雨音がふたりの間を埋める。


 アーデンさんの瞳が揺れる。


「避けているつもりは……」


「じゃあ、どうして触れないんですか?

 どうしてわたしを見ると、悲しそうな顔するんですか?」


「それは……」


 アーデンさんの喉が震えた。


 言えないのだ。

 “好きだから離れようとしている”なんて。


 でも――

 もう逃がさない。


わたしは一歩、近づいた。


「アーデンさん。

 わたし……あなたといたいんです」


 アーデンさんの目が大きく開く。


「リィナ……様……」


「あなたが避ければ避けるほど、

 わたし……苦しくなるんです」


 涙がひとつ、こぼれた。




(……泣かせてしまった……)


 胸が潰れそうだった。


 彼女は強い巫女で、

 本当はもっと笑う人なのに。


 その頬を濡らす涙を

 自分が作ったのだと思うと――


(……もう、無理だ)


 距離を取れない。

 守るために離れるなんて、

 嘘だ。


 本当は――


(私は……リィナ様を愛している)


 認めた瞬間、

 膝が震えた。


 でも、逃げない。


「リィナ様……申し訳ありません……

 本当は……ずっと……」


 言葉が喉でつまった。


 でも、伝えたい。

 伝えないと一生後悔する。


「……あなたを愛しています」




 雨が少しだけ弱くなった。


 胸の奥――

 透明な星が一気に色づいた。


 淡い桃。

 淡い金。

 淡い青。


 柔らかく、あたたかく、

 やさしい色が光になる。


(……この色……

 アーデンさんと一緒に見た色だ……)


 わたしの星は、

 ずっと彼の色を待っていたんだ。


「アーデンさん……」


「はい……リィナ様」


 ゆっくり近づく。


 彼は逃げない。

 でも触れないのはまだ怖いのだろう。


だから――

 わたしが触れた。


 アーデンさんの胸元に、

 手をそっと置く。


「わたしも……あなたを、愛しています」


 その瞬間。


二人の星が、

同じ色で光った。



 アーデンさんの表情が崩れた。


 苦しそうで、

 嬉しそうで、

 それなのに泣きそうで。


「……もうダメです」


 彼の腕が伸びる。


 わたしの身体を、

 優しく、でもしっかり抱きしめた。


 雨の音より、

 鼓動が近い。


 ずっと欲しかった温度。


「あなたを遠ざけるほうが……

 ずっと危険でした……」


 耳元で、震える声。


「離れたら……私は壊れてしまう……」


(そんなの……わたしも同じ)


「アーデンさん……

 離れませんから……」


「……ええ。

 もう二度と離しません」


 腕に力がこもる。


 優しく、深く、

 恋を確かめる抱擁。




 ふたりの胸の奥で、

 星が同じ明るさで波打つ。


 透明だった星はもう透明じゃない。


 恋で溶けて、

 恋で固まった光。


(封印が……安定してる……?)


 驚いた。


 今まで光は暴れていたのに、

 今はとても穏やか。


 まるで――


恋が、封印の“鍵”になったみたいに。




 抱きしめたまま、

 アーデンさんは小さく呟いた。


「……恋をしたら封印が揺らぐと思っていました。

 でも今は違う。

 あなたの星は……とても安定している」


「アーデンさんが一緒だから、です」


「……私も、そう思います」


 しばらく雨の音だけが流れた。


 離れ難くて、

 でも離れなければいけないのも分かっていた。


ゆっくり、腕をほどく。


 でも、アーデンさんは言った。


「……これは、恋ではありません」


(え……?)


 胸が痛む。


でも彼は続けた。


「“恋”という言葉では足りません。

 私はあなたを……人生ごと抱きしめたいほど、

 深く愛しています」


 顔が熱くなった。


「リィナ様。

 あなたと生きるためなら、

 私はどんな封印も、運命も受け入れます」


 優しい瞳で言う。


「だから……どうか、もう避けないでください」


 わたしは小さく笑った。


「先に避けてたのは……アーデンさんです」


「……面目ありません」


 ふたりは雨の中、

 もう一度そっと触れ合った。

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