第19話



 光の爆ぜる余韻が消えたあと――

 空洞には静寂が戻った。


 さっきまであれほど世界を満たしていた

 赤黒い鼓動も、湿った囁きも、

 もうどこにもない。


(……終わった?)


 影が残した黒い液体は、

 床に落ちるとすぐに煙になって消えた。


 その中心に、

 ひとつの光が漂っていた。


――透明な星。


(……過去の巫女たち……?)


 いくつもの光の輪郭が重なり、

 ゆっくりと薄れていく。


(きっと……解放されたんだ……)


 涙が溢れた。




 剣を支えに立ちながら、息を荒げた。


(生きている……

 リィナ様も……私も……)


 無意識にリィナ様を探す。


「リィナ様……!」


 彼女は光の余韻の中、

 胸を押さえて膝をついていた。


 駆け寄り、肩を支える。

 その肩が震えているのを見て、

 胸が痛む。


「無理をしましたね……

 光を流しすぎたんです」


「ごめんなさい……」


「謝る必要はありません。

 あなたのおかげで、星喰いは倒れた」


 そう言いながら、

 口の奥に苦いものが滲む。


(本当は……

 あなたの色を使わせた私の方が罪深い)


 けれど、今はそのことを言うべきではなかった。




 そのとき――


 ゴゴゴゴ……


 低い振動が足元を揺らした。


「っ……!」


 アーデンさんがリィナ様を抱きかかえ、

 思い切り後ろへ跳ぶ。


直後、

さっきまでふたりが立っていた地面が

“陥没”した。


「祠が崩れ始めています!

 ここは星喰いの力によって支えられていた空間。

 本体が消えた今、維持できない……!」


「わたしたち……急いで出ないと……!」


 天井から細かな砂が降る。

 壁の透明な膜にも亀裂が走る。


「走れますか?」


「……はい!」




 ふたりは祠の奥から引き返し、

 井戸の壁に設置された古い足場を駆け上がった。


 下から黒い液体が迫ってくる。

 星喰いの残滓ではなく、

 祠そのものが崩れて溢れている“負の記憶”の泥。


(追いつかれる……!)


 足場がひとつ崩れ、

 リィナ様の足が空を切る。


「リィナ様!!」


 アーデンさんは迷わず片腕で抱き寄せ、

 反対の手で足場を掴んだ。


 腕に強い負荷がかかる。


 だが――離さない。


「大丈夫です……!

 必ず地上に戻します……!」


(どうして……そんな必死に……)


 リィナ様は胸が熱くなるのを感じた。


(今は……考えちゃダメ!

 逃げなきゃ……!)



 井戸を抜けた先の通路では、

 壁の“脈”が止まり、次々と崩れ始めていた。


 天井が落ち、

 闇の破片が地面に降り注ぐ。


「アーデンさん、早く――!」


「しっかり掴まっていてください!」


 彼はリィナ様を支えながら、

 崩れる床を跳び越えていく。


(星が見えないのに……

 どうしてこんなに正確に……?)


 ふと気づく。


(さっき……わたしの色が

 アーデンさんの中に“触れた”……?)


 胸中の透明な星が、一度だけ脈打った。


まるで――

アーデンさんの動きに呼応しているように。





 光が見えた。


 崩れかけた祠の入口。

 ほんの小さな出口。


 ふたりは最後の通路を走り抜け――

 外の光を目指す。


「アーデンさん!! あと少し――!」


 リィナ様が手を伸ばす。


 アーデンさんも手を伸ばす。


――その瞬間。


 背後から黒い液体が噴き上がり、

 アーデンさんの足を掴んだ。


「っ……!」


「アーデンさん!!!」


 リィナ様が手を掴もうと飛び込む。


だが、アーデンさんは叫んだ。


「来てはダメだッ!!

 あなたまで呑まれる!!」


「でも――!」


「行きなさい!!

 あなたは……無事でなければならない!」


 その声は、

 必死で、痛烈で、

 「恋を自覚してしまった男の叫び」そのものだった。


 リィナ様の伸ばした手は――

 彼によって、押し戻された。


「アーデンさん……!!」




 黒い液体がアーデンさんを飲み込もうとしたその時――


 リィナ様の胸で

 透明な星が激しく脈打った。


(待って……!

 行かないで……!

 わたしは……アーデンさんを……!!)


 叫びが胸から溢れた瞬間――

 薄桃色の光が祠全体に広がった。


 光は黒い液体に触れ、

 瞬時に蒸発させていく。


「これは……リィナ様の……!」


 アーデンさんの身体を包むように光が走り、

 彼を黒い泥から引き剥がした。


「っ……!」


 光の反動でふたりは外へ弾き飛ばされ、

 祠の外の地面へ倒れ込む。


 次の瞬間、祠が完全に崩壊した。




 静寂のなか、

 風が吹いた。


 すると――

 世界に色が戻っていくのが分かった。


 灰色だった世界に、

 緑が。

 赤が。

 金が。

 人々の心の色が。


(……戻ってきた……)


 リィナ様は涙をこぼした。


「終わったんですね……?」


「ええ。

 リィナ様と……あなたの光のおかげです」


 アーデンさんは苦しそうに息をつきながら、

 それでも誰より優しい目で言った。


「あなたは……星喰いを討ち滅ぼした、

 初めての巫女です」




 その時、

 空からひとつの光が舞い降りてきた。


 手のひらに落ちる透明な粒。


(これは……)


 過去の巫女たちの色が戻っていくように、

 ふっと輝いて消えた。


祈るように言葉が浮かぶ。


――ありがとう


透明な声。

星の記憶。


(……どういたしまして……)


 わたしは静かに目を閉じた。

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