第16話

村外れの林は、夜風に揺れていた。


 けれど、ただの風じゃない。

 土の中から吹き上がる、冷たい“吐息”のような気配。


(……祠の中から、吹いてる……)


 星空を見上げると、

 いくつかの星はまだ静かに光っているのに、

 祠の上だけ、黒い幕に覆われていた。


 星の色が、見えない。


 ――いや、

 見えないように“隠されている”。


 祠の前で足を止めると、

 アーデンさんも同じように立ち止まった。


「……戻らなければよかった、と思うなら」


 静かに言うと、

 彼は目を見開いて首を振った。


「そんなこと、思っていません」


「でも、さっきは――」


「さっきの私は愚かでした。

 ――今は違います」


 真っ直ぐな声だった。


「リィナ様。

 どうかもう一度だけ、私と一緒に戦ってください」


 胸が、きゅっとなる。


 迷いも、恐れも、まだ消えてない。

 でも、この手を離されたときの方が、ずっと怖かった。


「……分かりました。

 わたしも、アーデンさんと一緒じゃないと嫌です」


 そう言うと、

 アーデンさんは一瞬だけ、痛いほど優しい顔をした。


「ありがとうございます」


 祠の奥から、

 ざわり、と重い音がした。


(……キタ……

 ……フタリデ……)


(……笑ってる……?)


 星喰いの残滓が、

 わたしたちを“ひとまとまり”として捉えている。


 獲物を、まとめて飲み込むつもりなのだ。




 祠の中は、前よりも暗かった。


 灯りにしたランプの火が、

 一歩進むごとに小さくなっていくように感じる。


 地下への通路には、

 前にはなかった“ひび割れ”が広がっていた。


 壁の古い星の文様が、

 割れ目から黒く滲んでいる。


(……祠の中身が、外へ染み出してる……)


「リィナ様、無理に星を見すぎないでください。

 今は“必要なものだけ”を教えてくれればいい」


「はい……」


 本当は、全部見てしまう。


 けれど今、

 わたしの見るものはアーデンさんの剣と、進む方向だけでいい。


(後は、アーデンさんが動いてくれる……)


 だから、呼吸を整える。


 胸に手を当てて、

 心臓の下の、あの光の気配を探る。


 熱が、静かに灯る。


(大丈夫……わたしはまだ、戦える)




 前に戦った井戸の広間を抜けると、

 その先に、さらに広い空洞が口を開けていた。


 天井は高く、

 そこに古びた鎖と、砕けた石柱がぶら下がっている。


(ここ……昔は“儀式の間”だったんだ……)


 星の模様が天井いっぱいに刻まれている。

 その中心だけ、黒く焼け焦げている。


 そこから――

 赤黒い霧が、ゆっくりと垂れ下がっていた。


(……アタラシイ……)


 霧の中心に“穴”が開く。


 目でも口でもない、

 ただの空洞。


 なのに、見ていると吸い込まれそうになる。


(……キノウヨリ……

 ……アタタカイ……)


(……昨日、“光”を使ったから……?)


 わたしの色を覚えて、

 もっと近くで味わいたいとでも言うみたいに

 霧が降りてくる。


「リィナ様、後ろへ」


 アーデンさんが前に出る。

 祠の中では、その背中がやけに大きく見えた。


「ここから先は、

 あなたが“目”で、私が“手足”です」


 わたしはうなずき、

 祠の奥に視線を向けた。



 赤黒い霧が、蜘蛛の糸みたいに伸びてくる。


 一つひとつは細い。

 でも、数が多すぎる。


(全部受け止めるのは、無理……!)


「アーデンさん、左の方――!」


 左側の霧が、鋭く尖っている。

 刺すつもりだ。


 わたしの言葉と同時に、

 アーデンさんが踏み込み、剣を払った。


 霧が弾ける音がした。


 色は見えないはずなのに、

 彼の剣は正確にそこを切り裂いている。


「今のは“刺す”色でした。

 次は――」


「右に“巻きつき”が来ます!」


 右側の霧が、

 蛇のようにうねりながら迫る。


 アーデンさんは間合いを変え、

 その軌道を読むように剣を振る。


 霧は切られ、散った。


(すごい……!

 見えてないのに、

 “わたしの言葉”だけで、あそこまで動ける……!)


 胸が少しだけ楽になった。


(大丈夫、ふたりなら……戦える)



 だが、

 霧はそのたびに濃くなっていく。


 切られても、切られても、

 祠の壁や天井からまた染み出してくる。


(……イタイ……

 ……ケド……

 ……ウレシイ……)


(嬉しい……?)


 霧の奥で、

 鈍い赤が脈打つ。


 見た瞬間、胸が焼けるように熱くなった。


(っ……!)


「リィナ様!?」


 ぐらりと膝が揺れ、

 アーデンさんの声で意識を繋ぎとめる。


「だ、大丈夫……

 奥に、核の“かけら”みたいなのが見えただけで……!」


「無理をしないでください!

 視すぎれば、あいつの囁きが――」


 言われるまでもなく、

 囁きはもう聞こえている。


(……コッチニ……キテ……

 ……ソレデ……イイ……)


 星喰いは、

 わたしの視線が“触れた場所”を辿ってくる。


(眼で追えば追うほど、

 わたしの中に入ろうとしてくる……)


 それでも、見なきゃいけない。

 ここで目を逸らしたら、

 アーデンさんがひとりで闇の中に立つことになる。


(それだけは――絶対嫌だ)


 痛みに耐えながら、

 もう一度、祠の奥へ視線を伸ばした。




「アーデンさん」


「はい!」


「このあと、少しだけ……

 “光”を強く使います」


「……身体への負担が大きいはずです。

 本当に、やれますか?」


「ひとりだったら無理です。

 でも、アーデンさんがそばにいてくれたら……

 やれます」


 わたしは彼の袖をそっと掴んだ。


「だから、離れないでくださいね」


 アーデンさんの喉が、小さく鳴った。


「……離れません。

 今度こそ、絶対に」


 その言葉が、

 胸の奥で強く光る。


 祠の空気がひときわ重くなる。


 霧が大きくうねり、

 わたしたちを包み込もうと広がった。


(……ゼンブ……タベル……)


「来ます!!」


 アーデンさんが前へ出ると同時に、

 わたしは胸に手を当てた。


(――星心の光)


 少女を救ったとき。

 祠の奥で残滓を押し返したとき。


 あのとき、

 胸の奥で“星の形”をした光が弾けた。


(怖いけど……

 あの光は、わたしの一部なんだ)


 深く呼吸をして、

 心の中で“ひとつの星”を思い浮かべる。


 優しい、青白い色。

 寂しげで、でも消えたくない色。


(――わたしの星)


 胸が熱くなる。

 掌に、柔らかい光が集まる。


「……来て、光」


 呟くと、

 世界が一瞬だけ白に染まった。




 祠全体が震えた。


 白い光が、霧の海に流れ込む。


(……アアアア……ッ!!)


 残滓が苦しそうに震える。

 霧のあちこちに亀裂が走り、

 奥に隠れていた“赤い核の欠片”がいくつも露出する。


「今です、アーデンさん!!

 前方右斜め――核のかけらが三つ!」


「任せてください!」


 彼は迷いなく踏み込み、

 わたしの言葉だけを頼りに剣を振るった。


 一太刀ごとに、

 赤い欠片が砕け、

 祠の中の圧迫感が薄れていく。


(……イタ……イ……

 ……ナンデ……?)


 星喰いの声が揺れる。


(……マモッテアゲテル……ノニ……)


(守って、あげてる……?)


 脳裏に、

 少女の泣き顔がよぎる。


 リトの母の苦しげな寝顔が浮かぶ。


(あなたは誰も守ってなんかいない……!)


「アーデンさん、もう少しです!

 でも――!」


 胸が焼けるように痛んだ。


 光が、わたしの中で収束していく。


(限界……近い……)


 足元が揺れ、

 視界がかすむ。


「リィナ様!!」


 アーデンさんがすぐさま後ろへ回り、

 わたしの身体を支えた。


「これ以上は危険です!」


「でも……今なら……!」


(……マダ……オワラナイ……)


 奥の闇がうねる。


 露出した核の欠片は、

 まだすべて壊れていない。


 残滓の一部が、細い糸になって

 わたしの胸に向かって伸びてくる。


(……来る……!)


「リィナ様を離れろ!!」


 アーデンさんが叫ぶ声。

 でも、残滓は構わず一直線に迫ってくる。


 光を呼ぼうとした瞬間――

 胸の中の星が、ひび割れたような痛みを発した。


(っ……!!)


 意識が霞む。

 光が暴れそうになる。


(だめ……これ以上は、

 わたしの方が壊れちゃう……!)




「アーデンさん……!」


「聞いています!」


 彼はわたしを抱き上げるように引き寄せると、

 残滓の糸を背中で受けるように立ち塞がった。


 霧が彼を包む。


「やめてっ!!」


 思わず叫んだ。


(アーデンさんまで……食べられちゃう……!)


 だが、その瞬間。


 霧が、ふと動きを止めた。


(……ミエナイ……

 ……ツマラナイ……)


 残滓が、アーデンさんから興味を失ったように離れていく。


(……星が、見えないから……?)


 それでも、

 アーデンさんの呼吸は荒くなっていた。


「くっ……!」


「大丈夫ですか!?」


「なんとか……ですが……

 このままではこちらが先に持ちません」


 祠全体がきしみ、

 天井の鎖が揺れている。


 今ここで無理をしたら、

 祠そのものが崩れかねない。


「いったん……戻りましょう」


 口にした瞬間、

 負けを認めたようで悔しさが込み上げた。


 でも――

 ここで倒れたら、本当に終わりだ。


「分かりました。

 次は……必ず仕留めるための準備をしてきましょう」


 アーデンさんが強くうなずき、

 わたしを支えながら祠の出口へ向き直った。


 背後から、残滓の声が追いかけてくる。


(……ニガス……

 ……ナンドデモ……

 ……ヨベル……)


(……呼ばれても、行かないよ……

 “あなただけ”のところなんか……)


 心の中で呟き、

 わたしはアーデンさんの背中に額を預けた。


 闇を背に、

 ふたりで祠を後にした。


 地上の空気は冷たかったけれど、

 まだ、息がしやすかった。


 村の家々からは、

 小さな灯りがぽつぽつと見える。


 誰も、祠の中で何が起きているか知らない。


 それが少し、

 誇らしくもあり、怖くもあった。


「リィナ様」


 アーデンさんが、そっとわたしの肩から手を離す。


「……さっきは、すみませんでした。

 あなたを抱えたまま、逃げるような形になってしまって」


「逃げたんじゃありません。

 次、勝つために生き残ったんです」


 わたしは無理やり笑ってみせた。


「それに……

 アーデンさんがいてくれたから、

 わたし、光を使えました」


 アーデンさんは目を伏せ、

 少しのあいだ何かを飲み込むように沈黙したあと、

 静かに言った。


「次こそ……

 あなたの力を、最後まで支えられるようにします」


 その約束が、

 胸の中で小さな星になって灯った。


(――まだ、終わってない)


 星喰いは、

 まだ祠の底で蠢いている。


 でも今度は、

 ひとりじゃない。


(ふたりで、倒しに行こう)


 わたしは夜空を見上げた。


 そこにはまだ、

 わずかながら青白い星が光っていた。

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