第12話



 夜が近づくにつれ、胸の奥の赤い痛みが強くなった。


(……呼んでる……)


 少女を覆いかけていた赤の気配が消えたあとも、

 残滓は確実に“わたし”を追っている。


 そして今、

 その声は村外れの古い祠の方向から響いていた。


(……オマエノイロ……

 ……ホシイ……)


(行かなきゃ……)


 ベッドから身を起こすと、

 祈祷室の扉の前でアーデンさんが腕を組んで立っていた。


「……行くつもりですね」


「はい。でも危険なのは分かってて……」


「止める気はありません」


 アーデンさんの瞳は諦めではなく、決意の色を含んでいた。


「あなたが向かうのなら、私はあなたを守ります。

 どこへでも」


 胸が熱くなる。

 でも、この熱は赤の侵食ではない。

 もっと、優しい色。


「……行きましょう、アーデンさん」


「はい、リィナ様」


 祠は村外れの林の中にあった。


 長い年月を経て、屋根は崩れ、

 木の柱には苔がびっしりと張りついている。


(……冷たい……)


 空気が刺すように冷えていた。

 足元の土の色まで暗く沈んで見える。


 アーデンさんが剣に手をかける。


「リィナ様、ここから先は気を引き締めてください。

 何がいるか分かりません」


「はい……わたしも、星を見てます」


 祠の門をくぐった瞬間。

 胸の中の赤がじり、と疼いた。


(…………キタ…………)


(っ……!)


 石段の奥――

 祠の地下へ続く割れ目のような洞が口を開けている。


その中へ、赤い“気配”が濃く染み出していた。


「アーデンさん……中にいます……」


「分かりました。慎重に進みましょう」


 ふたりで洞に足を踏み入れた。


 空気が重い。

 呼吸するたびに胸を押されるような圧。


(星……見えない……?)


 普段なら暗闇でも星の色だけは見えるのに、

 ここでは色が潰れて灰色になっていた。


(……いや……違う……

 “隠されてる”んだ……)




 道は狭く、湿った土の匂いが鼻をつく。


 壁には古い文字が刻まれていた。

 星を模した円形の文様。

 人の形が穴へ投げ入れられる図。


(……これ……贄の祭事……?)


 アーデンさんも気づいたようだ。


「昔、この村の地下には集落があったと聞きました。

 その中心に“穴”があり、星読みの巫女を捧げていたと……」


「贄に……」


「ええ。星喰いを鎮めるために」


 背中が冷える。

 赤の残滓がここに眠るのは、偶然ではなかった。


(わたしを……贄として呼んだ……?)


 そのとき、奥の闇がかすかに揺れた。


(……マッテタ……

 ……オソイ……)


「来ます、リィナ様!」


 アーデンさんが前に立つ。



 闇の奥から“それ”は現れた。


 形はない。

 ただ赤いもやのような、曇った星の集合体。


 だが確かに“生きている”。


(……こんな色……初めて……!)


 濁った赤、腐敗した黒、悲鳴の紫。

 すべてが混じり合い、うねり、

 中心には深い“穴”だけが存在していた。


(……オマエ……

 ……ウツクシイ……イロ……)


「リィナ様、下がって!!」


 残滓が一気に襲いかかる。

 アーデンさんが剣で払い、わたしを庇う。


 が、剣は“通らない”。


 霧のように形を変え、反射する。


「剣が……効かない……!」


(アーデンさんが危ない……!)


胸に手を当てる。


(……光……来て……!

 今だけでいい……!)


 赤い囁きの外から、

 白い鼓動が胸に生まれた。


「離れてくださいッ!!」


 叫んだ瞬間、

 胸から白い光が奔り、

 赤い残滓を一瞬だけ押し返した。


「リィナ様……! 本当に……光を……!」


「アーデンさん、今のうちに距離をとって……!」


 赤は苦しむように揺れている。


(……クルシイ……

 ……ダケド……

 ……ホシイ……)


 光を浴びて弱るどころか、

 わたしへ“強く”伸びてきた。


「リィナ様、下がって!!」


「やだ……今度は逃げません……!」


 わたしは震えながら光をもう一度呼ぼうとしたが――


(っ……!)


 胸の奥が焼けるように痛み、

 光が揺らいだ。


 赤の残滓がその隙を逃さず襲ってくる。


「リィナ様ッ!!」


 アーデンさんが飛び込み、

 わたしを抱え込むように守った。


 残滓が彼の背へぶつかるが、

 彼は一切退かず、ただわたしを覆う。


(アーデンさん……!)


 光を使おうとしても、

 胸が痛みすぎて出せない。


(……オマエ……クル……

 ……アトスコシ……)


(……負けたくない……!!)


「アーデンさん、離れて……!」


「離れません!!」


 その言葉が胸に刺さる。


 わたしは彼の腕を掴み、

 自分の胸へ引き寄せた。


(アーデンさん……手伝って……!

 あなたの力を……貸して……!!)


 互いの胸が触れるほど近づき、

 ふたりの呼吸が重なる。


 その瞬間――

 光が再び、強く脈動した。


「っ……リィナ様!」


 白い光が爆発し、

 赤い残滓を押し返した。


 洞の壁が震えるほどの衝撃。


 赤はさらに奥へ逃れていく。


(……マ……タ……)


 その声を残しながら、闇に溶けた。


 光が消えると同時に、

 身体が崩れ落ちそうになった。


「リィナ様!!」


 アーデンさんが抱きとめる。


「大丈夫です、私が……」


「はぁ……はぁ……っ……

 アーデンさん、ごめんなさい……」


「謝らないでください。

 あなたがいなければ、私は赤に呑まれていました」


 アーデンさんの胸の鼓動が、

 わたしの耳に伝わってくる。


「リィナ様……あなたは、強い」


「強く、ないです……

 すぐ倒れそうになって……」


「強さとは……倒れながらでも前へ進むことです」


(アーデンさん……)


 わたしは目を閉じた。

 胸の痛みは少し残っているけれど――

 光は確かに応えてくれた。


「まだ奥があります」

 アーデンさんが言う。

「……残滓の“本体”は、もっと深いところに」


 祠の奥から、

 冷たい風が吹き抜けた。


(次こそ……決着……)


「行きましょう、リィナ様」


「……はい」


 ふたりは、深い闇へと足を踏み入れた。

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