第11話
目を覚ましてからしばらく、
祈祷室の静寂の中でわたしはぼんやりと天井を見ていた。
胸がまだ少し痛む。
あの赤い囁きの余韻が、奥底に残っている気がする。
横を見ると、アーデンさんが深い眠りについていた。
わたしの手を握ったまま。
眉間に深い皺を寄せて、寝ているのに表情が苦しそう。
(……ずっと心配してくれていたんだ……)
胸にあたたかい痛みが広がる。
そのとき、彼の指がわずかに動いた。
まるで、わたしが離れていく夢でも見ているように。
「…リィナ様、一人に、しないで、ください…」
「……アーデンさん、私はここにいますよ」
そっというと、彼は弾かれたように目を開けた。
「っ……リィナ様!!」
その声には、恐怖と安堵が同時に詰め込まれている。
彼は一瞬で身を起こし、わたしの体を支えた。
「痛むところは……? めまいは? 呼吸は……?」
「だ、大丈夫です。そんなに心配しなくても……」
「します。いくらでも、します!
……あなたは一度、私の腕の中で倒れたんですよ……」
最後の言葉は震えていた。
わたしは返す言葉が見つからなかった。
自分が落ち着きを取り戻すのを待ってから、
私は深く息を吸って口を開いた。
「……リィナ様。
これ以上、無防備に星へ触れるのは危険です」
彼女は目を伏せた。
「分かっています。でも……あの子を助けられたのは、星が教えてくれたからで……」
「そこです」
私は椅子を引き寄せ、彼女の真正面に座った。
「あなたは星を“見る”だけではなく、
昨日――赤い残滓に触れた瞬間、星の光を放ちました」
「光……?」
「ええ。私には見えません。
しかし、赤い気配が弾け飛び、少女が解放され、
あなた自身が守られた。
それは紛れもなく、あなた自身の力です」
リィナ様は驚いたように胸元に触れた。
「……私に……そんな力が……?」
「ええ。そして――それは鍛えなければ暴走します」
彼女の目が大きく開く。
「暴走……?」
「負の星に触れすぎると、心が影響を受ける。
昨日の“囁き”は、その始まりでしょう。
あなたは優しい。ゆえに侵されやすい。
だからこそ――戦えるようにならなければならない」
リィナ様は唇を噛んだ。
「戦うなんて……わたし……」
「戦うと言っても、剣や魔術ではありません。
あなたは“星を読む力”で戦うんです」
「星で……戦う……」
私は深く頷いた。
「あなたには、浄化の才能があります。
その力を正しく引き出す訓練をしなければならない。
……どうか私に、力を貸させてください」
リィナ様は長く沈黙し、
やがて小さく息を吸った。
「……アーデンさんと一緒なら……がんばります」
その言葉に、胸が熱くなる。
「ありがとうございます。ではまず――
あなたの“星の見え方”を、言葉にする訓練から始めましょう」
祈祷室の片隅で、アーデンさんと向き合う。
「では、あの壁の向こう。
人の気配がありますね。
その人の星は今どんな色ですか?」
「……えっと……
青いけど、濁ってて……
水たまりみたいに、ゆらゆらしてる感じ……です」
「その揺れ幅は? 一定ですか?」
「不規則です。感情がぶれるときの揺れ方……」
「いいですね。もっと具体的に」
「青の中心が、少しだけ赤くて……
誰かに怒られて落ち込んでる……そんな色です」
「なるほど。あの店主でしょう。酒場から声が聞こえました」
わたしは驚いた。
「え……見えてないのに……分かるんですか?」
「見えませんが、“あなたの言葉”から推測できます。
これが、我々が共に戦うための基盤です」
(……わたしの星の言葉を……
アーデンさんが一緒に考えてくれる……)
少し恥ずかしくて、嬉しかった。
そのとき。
胸の奥が、鈍く疼いた。
(……赤……?)
昨日触れられた場所だ。
「リィナ様?」
「い、いえ……大丈夫です」
痛みはすぐに引いたが、
その瞬間に胸の奥で“何か”がざわりと揺れた。
(……見てる……?)
赤の残滓の視線を感じた気がした。
夕刻。少女の家の近く。
突然、空気が震えた。
(……赤い……!)
少女の頭上に、再び濁った赤の星が現れた。
昨日よりも弱いが、危険な揺れ方だ。
「リィナ様、下がってください!」
「行かないと……! また……!」
わたしは走り出してしまっていた。
少女は家の前で蹲っていた。
涙をぽろぽろ流して、膝を抱えて。
「こわい……こわいよ……!」
「大丈夫、今度は――」
胸が熱くなる。
(……守りたい……!)
赤の星が、少女の背に触れようと伸びた瞬間。
胸が光り、世界が白く染まった。
「離れて!!」
身体が勝手に叫んだ。
眩しい光がわたしの周囲に広がり、
赤い気配を弾き飛ばす。
赤は悲鳴のような揺れを見せ、霧のように散った。
(……できた……?)
星心の光。
昨日、わたしを守った光だ。
「リィナ様!!」
アーデンさんが駆け寄り、わたしの肩を支えた。
「すごい……本当に光を……!」
「アーデンさん……!
わたし、戦える……みたいです……」
そう言った瞬間。
ふらりと視界が揺れた。
「リィナ様!?」
リィナ様の体が崩れ落ち、私は慌てて抱きとめた。
彼女の呼吸は浅く、胸の光は消えていた。
「くっ……! まだ身体が光に耐えられないのか……!」
唇がわずかに震えている。
「アーデン……さん……大丈夫、です……」
「大丈夫ではありません!
あなたは光を使うたびに消耗する。
昨日の状態を忘れたんですか……!」
怒りではなかった。
怖かったのだ。
彼女がまた、腕の中で意識を失うのが。
「戻りましょう。今は治療が必要です」
私は少女に安全な場所へ避難するよう告げ、
リィナ様を抱え祈祷室へ戻った。
薄闇の祈祷室。
ベッドに横たわりながら、私は胸の痛みに耐えていた。
(……また……呼ばれてる……)
意識の奥で、赤い囁きが微かに響く。
(……ミツケタ……
……アタタカイ……イロ……)
(いや……来ないで……!)
胸が熱くなり、息がしづらくなる。
「リィナ様!?」
アーデンさんが駆けつけ、手を握る。
「いけません、意識を持っていかれないで……!」
(……アーデンさん……)
光が弱まり、痛みが引く。
けれど、赤の残滓は確かに囁いた。
(……スグ……アイニユク……)
――祠で、待っている。
(また……来る……)
次こそ決着をつけなければ、と強く思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます