大幕間 ──星の底で呼ぶ声
暗い。
深い水の底のような……冷たくて、静かな場所。
(……ここ……どこ……?)
周囲には、赤い光が揺れている。
炎ではない。
星でもない。
何かの“眼”のような赤。
(……こわい……)
歩こうとしても足は動かず、
ただ意識だけが前へ引きずられる。
そのとき、闇の奥から声がした。
(……ヨク、キタ……
……アタタカイ……イロ……)
「やめて……来ないで……!」
声は止まらない。
(……オマエハ……ウツクシイ……
……タベタラ……マブシイ……)
“食べる”という言葉に、背筋が冷たくなる。
「わたしは……あなたのものじゃない……!」
赤い光が近づいた。
形がない。
人でも動物でもない。
ただ、“飢えた感情”だけが実体を持っているようだった。
(……ナゼ……ニゲル……?
……サビシイ……ヒトリハ……イヤダ……)
(……寂しい……?)
赤が歪む。
まるで泣き声のように揺れた。
次の瞬間――
少女の声が重なる。
「たすけて……
だれか……たすけて……!」
「あなた……少女を使って、呼んだの……?」
赤い闇がぐらりと揺れた。
(……ワタシハ……ヨバレタ……
……ニンゲンノ……オソレ……ニ……)
(……恐れ……?)
すると景色が変わり、
少女の家らしき場所がぼんやり現れた。
細い影。
荒れた家の中。
泣き叫ぶ少女と、冷たく沈む大人の影。
(……この子、ずっと……)
見てはいけないものを見ている気がした。
そして、赤が再び形を変える。
(……オマエノイロ……ホシイ……
……ナゼハナレル……)
「わたしは……」
怖い。
でも――
(……守らなきゃ……)
「わたしは……あなたに飲まれない。
少女も、あなたに渡さない……!」
赤が牙を剥くように広がった。
(……ナラバ……)
一瞬で視界が赤に染まった。
(……オマエモ……ツレテイク……)
(――やめ――)
その瞬間。
暗闇に、ひとつだけ違う色が落ちてきた。
深い藍。
夜のような色。
どこか懐かしく、安心する色。
「――ナ様……リィナ様……!」
(……この声……アーデンさん……?)
「戻ってきてください……
どうか……!」
声が震えている。
いつもの落ち着いた声ではない。
(アーデンさん……泣いてる……?)
「あなたを失いたくない……!
お願いです、リィナ様……!」
その叫びが、赤い闇を突き破った。
(戻らなきゃ……アーデンさんが……呼んでる……)
意識が、浮上する。
瞼をあけると、
薄暗い祈祷室。
古いランプの灯り。
その横で――
アーデンさんが、わたしの手を握ったまま眠っていた。
俯いたまま、わたしの手に頬が触れそうな距離で。
(……こんなに……近くで……)
指先に、アーデンさんの手の温かさ。
その手はずっと震えた跡があり、
握る力が弱ったり強くなったりしていた。
(……ずっと、握っててくれたの……?)
胸がじんと熱くなる。
「……アーデンさん……」
小さく呼ぶと、
彼はびくりと肩を震わせて顔を上げた。
「っ……リィナ様!!」
信じられないような表情。
「よかった……本当によかった……!」
その声は、涙に滲んでいた。
「アーデンさん……泣いて……」
「泣いていません。
……汗です」
汗ではなかった。
でも言わないでおいた。
アーデンさんは、わたしの指先を両手で包み込む。
「もう……二度と一人で行かないでください……
お願いです……」
(……こんな声、初めて聞いた……)
涙が零れそうで、そっと瞬きをした。
「……ごめんなさい……でも、あの子が……」
「少女なら無事です。
ですが……問題があります」
アーデンさんは表情を引き締めた。
「目覚めるのを待つ間、少女を調べました」
「……あの子、大丈夫……?」
「身体は。
ですが、心が……赤に触れすぎています」
(やっぱり……あの赤は……)
アーデンさんは続けた。
「あなたを呼んだ“声”。
あれは少女自身のものではありません」
「……うん」
「この街の南部――
老朽化した井戸の地下に“祠の残骸”があります。
少女は……そこへ何度も近づいていた」
「祠……!」
心臓が跳ねる。
「残滓は、恐怖や孤独を好みます。
少女は家庭環境が良くなく……心が弱ったとき、
祠の“呼び声”に触れたのでしょう」
アーデンさんの瞳が揺れる。
「そして……少女を媒介にして、
あなたを引き寄せたのです」
(……わたしを……?
赤は、ずっと……わたしを……)
「リィナ様」
「……はい」
「今日は……もう戦わなくていい。
休んでください。
あなたがいなくなったら……私は……」
言葉が止まり、
アーデンさんは視線をそらした。
(……アーデンさん……)
胸の奥に、赤とは違う熱が広がった。
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