幕間ー見えぬ星を抱いて(アーデン視点)

少女の頭上で赤い光が裂け、

 化け物のような形に変わっていくのが――


 わたしには見えなかった。


 ただ、リィナ様が苦しげに胸を押さえた瞬間、

 “何かがこちらへ牙を剥いた”のを直感した。


「リィナ様、下がってください!」


 手を伸ばすより早く、

 リィナ様が少女へ駆け寄ってしまう。


(なぜ……! あれほど危険だと言ったのに!)


 胸がざわつく。

 焦燥が喉の奥をかきむしる。


 だが、リィナ様の背は迷いがなく――

 優しさで塗りつぶされていた。


 その優しさが、彼女自身を傷つけると分かっているのに、

 止めることができなかった。



「大丈夫……! 離さないから……!」


 少女を抱きしめたリィナ様の腕に、

 赤い光がまとわりつく。


 それが何を意味するのか、

 見えずとも分かる。


(……取り込もうとしている!?)


 心臓が凍りつくような感覚。


「リィナ!!」


 叫んだ。


 声が裏返ったのは、生涯で初めてかもしれない。


 追いつく前に、リィナ様の身体が揺れた。


 赤い気配が、彼女の胸元へ吸い込まれるように――

 “触れて”いく。


(やめろ……!)


 走り出した。


 間に合え。

 間に合え。

 どうか間に合ってくれ。


 足が勝手に動いた。

 やっとの思いでリィナ様に触れた瞬間――


彼女の身体から、完全に力が抜けた。


「っ……リィナ!!」


 倒れゆく身体を、

 抱きとめるのがぎりぎりだった。


 軽い。

 怖いほど軽い。


 腕の中で、リィナ様の呼吸が浅く、弱い。


「……リィナ様? 聞こえますか……!?」


 返事はない。


 肩を揺らしても、

 頬を呼んでも、

 瞼は重く閉じられたまま。


 胸の奥に冷たさが広がる。


(……間に合わなかった、のか?)


 頭が真っ白になる。



 赤い気配はまだ周囲に漂っていた。


(ここに置いておけるはずがない……!)


 少女も気絶していた。

 だが今は――


「……まずは、あなたを」


 わたしはリィナ様の身体を抱き上げた。


 彼女の体温だけが、

 この状況で唯一の“救い”だった。


(お願いします……

 どうか息を……していてください……)


 祈るような気持ちで、路地の奥へ運んだ。


 安全な場所。

 赤の気配が薄い場所。


 見えないはずの星を探すように、

 街の中で一番“空気の澄んだ方向”へ足を向けた。




 借りられた小さな祈祷室。

 古い木の椅子と、神殿が配った香の壺があるだけの簡素な部屋。


 そこへリィナ様を横たえる。


「……リィナ様……」


 頬に触れる。

 冷たい。

 信じられないほど、冷たい。


 震えが止まらなかった。


 わたしは両手でリィナ様の手を包む。


 その指が、小刻みに震えている。


「こわかったんですね……

 どうして一人で行くんですか……

 どうして……」


 気づけば、声が震えていた。


 彼女を咎める言葉ではない。

 ただ――

 守れなかった自分への怒り。


(どうして私は……

 星ひとつ見えないのだ……)


 この力の無さが憎い。


 彼女が見ている地獄を、

 なにも共有できない。


 ただ抱きしめることしかできない。


(もっと……早く動けていたら……)


 悔しさが溢れ、歯を食いしばる。




 手を握り続ける。


 音もなく眠るリィナ様の胸元が、

 わずかに上下しているのを見つけた。


「……よかった……まだ……」


 安堵で力が抜けそうになる。


「リィナ様……

 どうか……戻ってきてください……

 私は……あなたに、行かないでほしい……」


 初めて。

 自分の声が誰かを求めて震えるのを感じた。


 彼女の手を包む手に、

 ほんのわずかに温もりが戻る。


「次は……必ず……守ります」


 誰に聞かせるでもなく、

 誓うように呟いた。

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