第10話


通りの奥。

 薄暗い家の前に立つ少女は、泣き腫らした目で――しかし笑っていた。


「オ、ネ、エ、サ、ン、タ、チ……

 マッテタヨ」


 その無邪気な声に反して、

 少女の頭上の赤い星は恐ろしく脈打っている。


 怒りだけではない。

 悲しみでもない。


 ――飢えだ。


(……この子の星……歪んでる……!)


 胸が強く痛む。


 アーデンさんが前へ出て、わたしを庇う。


 しかし少女は、一歩だけこちらへ来た。


 かすれた声で、甘えるように。


「オネエサン……きて……

 ずっと、よんで、たの……」


(呼んで……た?)


 いや、違う。

 この子の声ではない。


(……アタタカイ……イロ……)


 胸腔の奥に、湿った囁きが直接落ちてきた。


(っ……!)


 ひやりとしたものが心に触れ、

 足がすくむ。



 アーデンさんにはきこえないはずの変化。

 でも彼は、わたしの震えだけで事態の深刻さを掴んだ。


「リィナ様、決して直視しないで。

 あなたを狙っている“何か”がいます」


 その警告の直後。

 赤い星がぐにゃりと形を変えた。


 星の中心が裂け、

 ゆっくりと“開いて”いく。


(……ミツケタ……

 ……オマエガ……ホシイ……)


(っ……! やめて……触らないで……!)


 少女が小さく悲鳴を上げた。


「たすけて……!

 やだ……やだよ……!!」


 その瞬間、

 赤い光が少女の背にまとわりつき始める。


(このままじゃ……この子が……!)


「アーデンさん!

 行かせてください、助けたいんです!」


「危険です!!」


「お願い!!」


 わたしの声に、アーデンさんが一瞬だけ息を呑んだ。


「……っ。

 触れないように。星を直視しないように。

 ――必ず、生きて戻ってきてください」


 その祈りのような言葉に、胸が熱くなった。


 わたしは少女へ走り出す。


 近づくほど、赤が濃くなる。

 呼吸ができない。


(……コワクナイ……

 ナカニ……オイデ……)


(嫌……だ……!)


 赤い裂け目から伸びる光が、少女の足に絡みつく。


「大丈夫……! 手を、伸ばして……!」


 震える少女の手を、わたしは掴んだ。


「おねえさん……たすけて……!」


「離さない……絶対に……!」


 その瞬間――

 赤い裂け目が、わたしの腕を狙って伸びた。


(……キミノイロ……アタタカイ……

 ……タベル……)


「っ……!」


 身体が動かない。

 指先が震え、視界が真っ赤に染まる。


(……いや……やだ……!

 アーデンさん……!)



 胸の内側に、冷たい舌のような感触が触れる。


(っ……こわ……

 やだ……いや……!!)


(……タベル……)


(やだっ……アーデンさん……!)


 少女を抱いたまま膝が落ちる。

 視界の奥で、赤が揺れた。


 遠くでアーデンさんの叫びが響く。


「リィナ様——!!」


 その声に反応しようとするのに、

 身体はもう言うことをきかない。


(こわい……

 アーデンさん……助けて……)



 囁きが心の中心を掴んだ。


 そして――


意識が、ぷつん、と切れた。


 体から力が抜け落ちる。


 最後に感じたのは――

 息が詰まるほど強く抱き寄せられる腕の温度。


「リィナ様!!

 お願いだ……戻ってきてください……!!」


 その声も、闇に溶けていった。

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