第9話

アーデンさんに支えられながら、

 わたしはなんとか街の門をくぐった。


 門の内側は、思っていた以上に騒がしい。


 人の声が荒い。

 足音が大きい。

 荷車の衝突音、怒鳴り声、罵倒、舌打ち。


(……痛い……)


 空を見上げなくても分かる。

 この街は、赤い星でいっぱいだ。


「リィナ様、無理はなさらず。まずは人混みを離れましょう」


「……はい、アーデンさん……」


 名前を呼ぶだけで、声が少し安心する。


 だけど胸の奥では、

 赤い色が細い針みたいにチクチクしていた。



 少し道を進むだけで、次々に人が揉めていた。


「さっきから押してるのはお前だろ!!」


「違うって言ってんだろ!」


 ぶつかった肩を過剰に怒る人。

 ただの取引で声を荒げる商人。

 子ども同士の喧嘩ですら、涙より怒鳴り声が先に出る。


(こんなの……普通じゃない)


 怒りの赤は、日常にこんなふうには現れない。

 本来、怒りは一瞬の色で、すぐに薄れるもの。


 けれどこの街では――

 消えるどころか、濃くなっている。


「アーデンさん……みんなの星が、刺さるような赤です……」


「やはり。外から流れてきたものが原因でしょう」


「外から……?」


「怒りは人の中に宿るもの。

 しかしここまで街全体が同じ方向に傾くのは不自然です」


 淡々とした声なのに、

 言葉の端にわずかな緊張が混ざっている。


(アーデンさんも……この街を危険だと思ってるんだ)




 わたしは胸に手を当て、ゆっくり深呼吸をする。


 赤い星を見ると苦しくなるけれど――

 それでも探さなきゃ。


(この街で一番、強く怒っている人……

 その人を見つければ、何か分かるはず)


 目を閉じて、意識を星に近づける。


 怒りの赤は街に満ちている。

 だけど、その中に――


(……ひときわ、濃い……!!)


 胸の奥を、鋭い痛みが突き抜けた。


「っ……!」


「リィナ様!?」


 アーデンさんの声が近くなる。


「……大丈夫……です……

 見えました……街の中心の、少し南……

 とても強い赤が、一つだけ……」


「南地区……貧民街の方ですね」


 アーデンさんは眉を寄せながら地図を思い浮かべる。


「リィナ様、その人物の色はどれほど強いのですか?」


「……怖いくらいです。

 怒りというより……悲しみの底から噴き上がった赤。

 苦しいほど濃くて……

 まるで、誰かの叫びが混ざってるみたいで……」


 言っているうちに、胸の奥がまた痛む。


(誰かが……苦しんでる)


 星を読むたび、わたしはいつも人の感情を“感じすぎてしまう”。

 それが痛いこともあるけれど――

 助けたいと思う気持ちも、強くなる。


「行かなきゃ……あの人のところへ」

「リィナ様」


 アーデンさんの手がわたしの肩に置かれた。


 優しいけれど、止める力がある。


「先に私が様子を見ます。

 あなたが直接近づくには危険すぎる。」


「でも……」


「あなたの優しさは美徳ですが、無謀でもあります」


 静かな声なのに、

 胸がどきりとするほど真剣だった。


「その人の怒りがあなたに触れたら、倒れます。

 それが一番、私が避けたいことです」


(アーデンさんの“私が避けたい”って……)


 胸が、少し熱くなった。


「……一緒に、行きましょう。

 アーデンさんが近くにいれば、私……平気です」


 言った瞬間、自分で少し恥ずかしくなる。


 でもアーデンさんは、


「……分かりました。では共に」


 と、小さく息をついて同意してくれた。


 その横顔が、どこか安心したようにも見えた。



街を進むほど、赤は濃くなっていく。


 怒りの音。

 足音。

 罵倒。

 泣き声。


 すべてが混ざって胸に刺さる。


「リィナ様、無理を感じたらすぐに言ってください」


「大丈夫です……アーデンさんが……いますから」


 その言葉に、アーデンさんの耳がわずかに赤くなる。


(あ……かわいい……)


 そんなことを思いつつも、

 痛みの波が強くなる。


(近づいてる……赤の主に……)


 狭い路地を抜け、

 古い家屋が並ぶ区域に足を踏み入れたとき。


 胸の奥で――

 声 がした。


(……たすけて——)


(……どうして——)


(……はなさないで——)


 強烈な赤い色が、渦になって家々の間から漏れ出す。


「アーデンさん、ここです。中心はこの近くにいます」


「しっかりつかまっていてくださいね。倒れないように気を付けてください。」


 アーデンさんがわたしを抱き寄せる。


 涙がにじみそうなくらい痛い。

 こんなに強い赤、今まで見たことがない。


 そして――


通りの奥。


 薄暗い家の前に、ひとりの少女が立っていた。


 ボロボロの服。

 荒れた呼吸。

 涙の跡が頬に残っている。


 そして――

 その頭上には、街中の赤を吸い寄せたような巨大な赤い星が、

 まるで“心臓”のように脈打っていた。


(……あれが……赤の中心……)


 胸の奥が締めつけられる。

 近づくだけで、息が苦しい。


 アーデンさんが、そっとわたしの腕を支える。


「リィナ様、離れすぎないで。危険です」


「……はい……」


 少女はゆっくりと顔を上げた。


 涙は乾いていない。

 瞳は赤く腫れている。

 怒りと悲しみの渦の中心にいるはずの少女。


 ――なのに。


少女は、笑っていた。


にこり、と。

無邪気に。

泣いたままの顔で。


そして、首をかしげて言った。


「オ、ネ、エ、サ、ン、タ、チ、

  マッテ、タヨ」


 その瞬間――

 背筋に冷たいものが走った。


 声は震えているのに、

 言葉だけが“整いすぎている”。


(……まってた……?

 誰を……? どうして……?)


 胸の痛みがさらに強くなる。

 赤い星の脈動が、少女の言葉に呼応するみたいに揺れた。


「アーデンさん……この子……」


「近づかないでください、リィナ様」


 アーデンさんの目が鋭く細められた。


 怒りでも、驚きでもない。

 ――警戒だ。


それでもリィナはその少女を見る

「この子の星……何かに“触れられて”います」


(触れられて……?)


 少女は大きな星の下で、

 楽しそうに手を振った。


その笑顔は、

まるで “誰かに操られている” ように歪んで見えた。

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