幕間 ──ホルンの街の“根”へ沈む色

 ホルンの街は大きく繁栄し、商人や旅人で賑わっている。

 だが、その賑わいの真下には――

 誰も知らない“空洞”がひっそりと口を開けていた。


 街の中心から少し外れた倉庫街。

 古びた建物の裏に、誰も近づかない井戸がある。


 その井戸は、長く前から

 「水が出ない」 として放置されていた。


 しかし、それは誤りだった。


 水が出ないのではない。

 そもそも“繋がっている場所”が違う のだ。



 夜。

 街が眠りについた頃。


 井戸の底にある鉄格子が、かすかに震えた。


 誰も聞く者のいない、低く湿った音。


(……また……流れてくる……)


(……怒り……憎しみ……)


(……もっと……色を……)


 井戸の下には洞窟のような空間が広がり、

 その奥には――

 “祠”だったものの残骸があった。


 壁の刻印は崩れ、

 祭壇も割れ、

 供え物があった場所は黒く焦げている。


 焦げ跡は、まるで“何かを焼いた”痕のようにも見える。


 そこに、赤黒い霧がゆっくりと滲み出していた。


 ホルンの街全体を覆う“怒りの赤”は、

 実はこの霧に引き寄せられて強くなっている。


(……もっと……集めろ……)


(……星読みの巫女……早く……)


(……色……喰わせろ……)


 霧が脈動し、虚空のような中心が揺れた。




 ホルンの街には古い言い伝えがある。


「昔、この地には“罪を負った巫女”が流れ着き、

 井戸の底に封じられた」


 誰もそれを本気で信じていない。

 子どもへの戒め程度にしか扱われない話だ。


 けれど実際には――

 言い伝えは正しかった。


 ホルンは大昔、辺境の村だった。


そしてその村は、

 リィナとアーデンが先に寄った村と同じように、


 “星読みの巫女を贄にする儀式” を行っていた。


 巫女を捧げる穴は、

 今の街の地下遺構の中心に位置している。


 時代が過ぎ、村が街へと拡大し、

 人々は過去を忘れた。


 だが――

 地中深くの祠は埋まったのではなく、

 “覆い隠されただけ”だった。



 ホルンの人々の怒りは決して“自然発生”ではない。


 人々の不満や苛立ちを、

 地下の残滓がゆっくりと吸い上げている。


 まるで餌を求める獣のように。


(……足りない……足りない……)


(……もっと濃い色を……)


(……巫女……はよ……)


 祠の奥に渦巻く黒い空洞が、赤い色をまとい始める。


 怒りが蓄積すると、空洞はごく弱い脈動を起こす。


 そのたびに――

 街の上空へ赤い星の“波”が昇り、

 リィナの胸を刺すような痛みとなって降り注ぐのだ。




 本来、星喰いの残滓は“黒”の気配を放つはずだった。


 だが今回、赤が突出している。


 理由はひとつ。


ホルンの街は多くの人が行き交う場所。

 人の怒り・嫉妬・憤りが、残滓にとって最も集めやすい感情なのだ。


 祠は、その“怒りの色”を喰って、

 再び形を得ようとしている。



 祠の奥。

 黒い空洞の中心が、ぼたりと落ちるように揺れた。


(……星の巫女……)


(……おまえを……)


(……ここへ……)


(……呼ぶ……)


 まるで、無数の手が地中から伸びているような気配。


 まだ弱い声。

 まだ遠い囁き。


 けれどその“呼び声”は、

 すでに地表へじりじりと染み出し始めていた。


 街の上空で暴れる赤の渦。

 リィナが胸を押さえて感じた痛み。

 アーデンが気づいた異常な気配。


 すべてが、この祠に収束する。

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