第8話
村を離れて半日ほど歩いたころ、
街道の先に大きな門が見えてきた。
「ここが……次の調査地、“ホルンの街”ですね」
「はい。交易の中心ですが、最近は揉め事が多いと聞きます」
アーデンは地図を閉じ、鋭い目で街を見下ろす。
「揉め事……?」
「争いが増え、人々の感情が荒れている。
星が見えるあなたなら、色がはっきり見えるはずです」
リィナは静かに空を見上げた。
すると――
(……え……?)
街の上空に溜まっている星の色が、
真っ赤に波打っているのが見えた。
怒り。
焦燥。
憎しみ。
いくつもの赤が混ざり、ぶつかり合い、
渦をつくって空を覆っている。
「すごい……赤い色……
私、こんな強い赤……初めて見る……」
「やはり。報告以上の乱れですね」
アーデンはリィナの表情を慎重に確認する。
「大丈夫ですか? 胸は痛みませんか」
「すこし……ざわざわします。刺すような感じ」
「無理はしないように」
昨夜の稽古で、支えられて星を見たときのあの温度が
リィナの胸にふっとよみがえり、頬が熱くなる。
(……だめだ、今は集中しないと)
頭を軽く振って街へ向かった。
門の前には人が集まり、口論していた。
「なんで荷馬車を先に通すんだ!こっちは急ぎだって言ってるだろ!」
「順番を守れ!勝手を言うな!」
わずかなことでも怒鳴り声が飛び交う。
(……赤い……
みんな、星の色が怒ってる……)
リィナは胸に手を当てる。
どの星も刺すような赤。
渦巻くように乱れて、近づくだけで息を奪われそうだった。
「っ……はぁ……」
「リィナ様!」
アーデンがすぐに肩を支える。
「やはりこれは……あなたに強すぎる」
「だ、大丈夫……。ちょっとびっくりしただけで……」
「あなたは驚いただけで倒れるような繊細さではない。
これは星のせいです」
その言い方が妙に優しくて、
リィナの耳がまた熱をもつ。
「で、でも……見なきゃダメです。
あの赤は……普通じゃない。
怒りというより……痛みみたいで……」
言いながら、胸の奥がざわりと震えた。
まるで誰かが泣き叫んでいるみたいな痛み。
色がぶつかり合い、火花を散らし、それが街全体に広がっている。
(……この赤……なにかに似てる……?)
昨日リトの家で見た、あの母親の星の黒の“点”。
あの奥に潜んでいた気配の色。
そう、あの村の祠から漏れていた黒の気配に――。
(……嫌だ……あれと似てる……)
思わず唇を噛む。
アーデンはリィナの表情の変化を見逃さなかった。
「何か、見えたのですか?」
「あ……いえ……。まだはっきりしたものじゃなくて……
でも、この赤が……“外から来たもの”に思えるんです」
「外から?」
「街の人の怒りから生まれた赤じゃない……
もっと……押し付けられたみたいな……」
アーデンは静かに息を吸う。
「——やはり、“そう”か」
低い声。
「アーデンさん、何か……知ってるんですか?」
アーデンは答えず、周囲に聞こえない程度の声で言った。
「ここ最近、各地で同じ報告が上がっています。
怒りや悲しみの星が、本来の範囲を超えて広がっている。
あたかも“どこか”から流れてきているように」
(流れて……きている……?)
リィナの胸が強くざわつく。
村の祠。
地下に眠る星喰いの残滓。
遥か昔の“巫女の贄”。
本来なら、あの闇は村の地中深くに縛られているはず。
(でももし……あれが少しずつ漏れていたら……)
リィナの顔から血の気が引いた。
「アーデンさん。
これ……あの村と、似ています……!」
「……やはり、そう見えますか」
「ここも……“底”から色が来てる……気がします……!」
アーデンは周囲を見回しながら低く呟いた。
「では、この街にも“根”があるのかもしれません。
闇の残滓が広がる道が……」
そのとき、門の前から大きな怒号が響いた。
「てめえ、何見てやがる!!」
「言いがかりだ!離せ!!」
喧嘩が始まった。
赤い星が火花のように噴き上がる。
「リィナ様、近づいては——」
言い終わる前に、リィナは胸を押さえ、膝を折った。
「っ……!!」
「リィナ様!!」
(だめ……この赤……強すぎる……)
視界が真っ赤に染まっていく。
怒り。
悲鳴。
嫉妬。
憎悪。
苦しい……苦しい……!!
(誰かが……泣いてる……!
怒ってるんじゃない……叫んでる……!)
リィナの意識が揺らぐ。
そのとき――
アーデンが後ろから強く抱き締め、耳元で叫んだ。
「リィナ様!!視界を閉じて!星を見るな!!」
「っ……アーデン……さん……!」
「大丈夫だ。わたしがいる。……わたしを見ろ!」
リィナの視界に、アーデンの胸元だけが映る。
(……あ……落ち着く……)
あの村の夜と同じ。
背中を支えられたときと同じ。
アーデンの温度を感じるだけで、
視界の赤が薄れていく。
「……リィナ様、聞こえますか」
「は、い……」
「あなたを乱すものは、ここにはありません。
わたしが必ず抑えます」
アーデンの言葉は不思議なほど強く、優しかった。
胸の奥がまた熱くなる。
(……アーデンさんの声……
なんで、こんなに……落ち着くんだろ……)
真っ赤な視界の中で、
アーデンの影だけが淡く光って見えた。
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