幕間 ──ふたりが去った村で(村の視点)
リィナとアーデンの姿が街道の向こうに小さくなったとき、
村にはようやく静けさが戻った。
農家の老人たちは畑に戻り、
子どもたちは道端の花を摘み、
家々からは朝の湯気が細く立ちのぼる。
いつもの、静かな村の朝――
の、はずだった。
リトは、丘の方をじっと見つめていた。
「……行っちゃった」
小さな掌に握りしめたままの紐。
今朝、リィナに渡した“お守り”の兄弟みたいなものだ。
「お母さん……ほんとに、良くなるよね……?」
寝室では、母が浅い呼吸で眠り続けている。
顔色はまだ悪く、体は痩せ、指先は冷たい。
――でも。
リトには分かった。
少しだけ、昨日よりあたたかい。
星は見えなくても、
家の中の“空気”が少しだけ明るくなったように感じた。
「リィナ姉ちゃん、ありがとう……」
小さく呟き、母の布団をかけ直す。
そのときだった。
床下から、ほんのわずか――
冷たい風が吹き上がったように感じた。
「……?」
気のせいかもしれない。
でも、村の地下には古い祠がある。
誰も近づかなくなった、その祠から――
時々、冷たい風が吹く。
リトはそっとつぶやいた。
「……また、怖い夢……見ませんように……」
夜になると母がうなされる“悪い夢”は、まだ、終わっていなかった。
村中では、噂が静かに流れ始めていた。
「星読みの巫女様は本物だったな。
見ただけで病の具合を当てるなんて……」
「でも、村はまだ何も変わってないよ。
作物も痩せたままだし、獣も里に降りてくるし」
「そうだなあ。巫女様もここの星の色は変だっておっしゃってたが」
星が見えない彼らには、
地中深くで何かが“蠢いている色”までは分からない。
けれど、不安は確かにあった。
「最近、夜になると……なんか、耳鳴りしないか?」
「する! あれ、なんだろう……虫の音じゃないよな」
「風の音にしては変だし……」
リィナがいたとき、村の“紫色の揺らぎ”は少しだけ和らいでいた。
だが今――
それがまたゆっくりと濃くなり始めていた。
夕暮れ、誰も見ていない村の空。
そこには――
目に見えない“星の色”が広がっていた。
紫。
灰色。
そして、地の底から少しずつ滲む“黒”。
本来なら、
リィナがいれば「あ、また悪くなってる」と気づいたはずの色。
だが、村人は誰も気づかない。
気づかないまま、生きている。
(――助けて)
(――眠れない)
(――こわい)
細い声が、空に溶けて揺れている。
リィナが聞いたら、胸を押さえて苦しむほどの声。
巫女が去った今、
その声はどこへも届かない。
ただ――
村の奥深くにある“祠”へと吸い込まれていくだけだった。
はるか昔、この村の地下には集落があった。
その集落では星読みの巫女を贄として、祠のすぐ近くにある穴に捧げていた
長い年月を経て、祠を含む集落は土に埋め尽くされ、今の村ができた。
そしてこの祠の内部は黒い闇に満たされていた。
その奥で――
何かが、ほんのわずかに動いた気配がした。
光でも、影でもない。
“空洞”のような揺らぎ。
(……まだか)
(……星読みの巫女……)
(……色……足りない……)
ざらりとした擦過音。
石が軋むような低い呼吸。
そして、闇がひとつだけ脈打つ。
星喰いの残滓(ざんし)。
この村の“根”であり、
リィナが気づきかけた“正体”。
巫女がいなくなった村を見上げ、
ゆっくりと、その気配は目を覚まし始めた。
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