第7話

朝の空は淡い青色で、村の上にはまだうっすらと紫の気配が残っていた。

 夜明け前の冷たい空気が、リィナの頬をやわらかく撫でる。


(……今日、出発するんだ)


 簡単な荷物を抱え、宿の前に立ったリィナは、胸の奥が少しだけ重たく感じた。


 村の人々は昨日より表情が明るい。

 星の色も、ほんのわずか白が混ざってきているように見える。


 だけど――まだ完全に救えたわけではない。

 村の問題は“根本”が別のところにあるとリィナは感じていた。


(……星の色が、同じ方向に揺れてる。

 何かが、村全体に少しずつ染み込んでるみたい)


 その正体を掴むには、まだ時間が足りない。


 そんな考えを胸にしまい込んでいると、背後から声がした。


「リィナ様」


「あ、アーデンさん。おはようございます」


「体調は?」


「大丈夫です。昨日の夜、すごく楽になったので……」


「……それは、良かった」


 アーデンはほっとした表情を浮かべた。

 昨日の“距離が近すぎる稽古”を思い出して、リィナの頬がふいに熱くなる。


(……あんなに近かったのに、アーデンさん、全然平気そう……

 すごい……心臓とか、強い……)


「今日は村の東の街道へ向かいます。次の場所では、星の乱れがより強く出ているらしい」


「……はい。頑張ります」


 気持ちを引き締めようとした、そのときだった。


「リィナ姉ちゃん!」


 ぱたぱたと駆け寄る足音。


 振り返ると、リトが小さな包みを抱えて走ってきていた。


「リト君……!」


「出発しちゃうって聞いて……ぼく、どうしても渡したいものがあって!」


 リトは包みを差し出す。


「これ……ぼくが作った“おまもり”!

 お母さんが、昔ぼくに作ってくれたやつの真似なんだけど……

 リィナ姉ちゃん、助けてくれたから……!」


「え、えっ……わ、私、そんなに何も……」


「助けてくれたよ!

 お母さんの星、まだ生きてるって言ってくれた!

 それだけで、ぼく……本当に救われたんだ!」


 リィナは胸がぎゅっとなった。


(……星が見える私にしか出来ないこと。でも……ありがとうって言われるの、不思議な感じ)


 ほろりと涙がこぼれそうになる。


「ありがとう、リト君……。ちゃんと、大事にするね」


「うん!!」


 リトは破顔し、思い切りリィナの手を握り、頬にキスをした。


 その瞬間。


 後ろで、アーデンの気配がぴたりと固まる。


(あ……れ?)


 視線を向けると、アーデンがじっとこちらを見ていた。

 表情は穏やかだが……どこか、微妙に硬い。


「アーデンさん……?」


 声をかけると、彼は驚いたように瞬きし――慌てていつもの表情に戻った。


「いえ。……仲が良いですね」


「え? う、うん……優しい子だから……」


「そうですね。ええ。優しい子なのでしょう」


 淡々とした声。


 だけど、その言い方は――


(……なんでだろ。ちょっと……冷たく聞こえる……?)


 リィナは首を傾げる。


 アーデンの態度がよく分からない。


 いや、それどころか――


(胸が……チクッとする……)


 リトに手を握られた時より、

 アーデンが見ている今の空気のほうが、よっぽど胸がざわつく。


(な、なにこれ……なんで?)


 リィナは混乱する一方。




「アーデンさん、リィナ姉ちゃん……!」


 リトがふたりの間を見て、少し不安そうに口を開いた。


「また来てくれる、よね……?」


「もちろんだよ。絶対に、また来る」


 リィナがそう言うと、リトの星に小さな白い光が灯ったように見えた。


「お母さんの病気……治るよね?」


「うん。大丈夫。まだ希望の光があるよ。ちゃんと、星が教えてくれたから」


「ありがとう……!」


 リトは泣き笑いの顔で手を振った。


 それを見ながら、アーデンは小さく息をつく。


「リィナ様の言葉で、あの子の星はきっと強くなります」


「そうだと……いいな」


「あなたの声は、人を救います」


「……え?」


「わたしが言ったところで、意味は薄いでしょうが」


 アーデンは穏やかに微笑んだ。


 胸の奥がまたじんわりと熱くなる。


(……なんで、こんなに嬉しいんだろ)



「では、行きましょう」


「はい」


 ふたりが村を離れようと歩き始めたそのとき。


「リィナ姉ちゃんー!!」


 リトが最後にもう一度だけ、大きく手を振った。


 リィナも笑って手を振り返す。


 その横で、アーデンは小さく咳払いをした。


「……子どもとはいえ、あまり不用意に触れ合うべきではありません」


「えっ?」


「あなたは星を読みすぎる。感情移入が強いので……その、負荷がかかる」


「そ……そうなんですけど……」


 リィナはアーデンを見上げる。


(なんだろ……さっきと言ってることが違う気が……)


 アーデンは視線を逸らして言った。


「……わたしの仕事は、あなたを守ることです。

 余計な――いや、必要のない負担を、増やさないために」


「……?」


 よく分からない。


 でも、アーデンの耳が少しだけ赤いことだけは分かった。


(アーデンさんも……少し変だ……)


 そう思うと同時に、

 胸の中の“チクリ”がまた小さく痛んだ。


(……これ、なんだろう)


 リィナは胸に触れた。


 ふたりの頭上で、透明な星がそっと揺れた。

 まだ誰にも見えないまま、ほんの少し大きくなっていって――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る