幕間 ──“星が見えない護衛”の夜(アーデン視点)



 宿の廊下は、もうすっかり夜の静けさに包まれていた。


 リィナの部屋の前で足を止めると、扉の向こうから、規則正しく落ち着いた呼吸が聞こえる。


(……眠っているな。よかった)


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 リィナが星を読みすぎて倒れるたび、わたしは本気で心臓が止まるかと思うほど焦る。


 理由は分かっている。


 ――わたしには星が見えないからだ。


 星の乱れも、色も、光も。

 彼女の頭上に瞬くという“感情の光”も。


 星読みの巫女だけが、それを視る。


 わたしは、星喰いの研究者でありながら、肝心の“星”をいっさい視ることができない。


 だから。


 彼女が星を見上げ、眉を寄せた瞬間。

 胸に手を当てて、苦しげに息をついた瞬間。


 わたしには、その「理由」が分からない。


(……分からないというのは、これほど恐ろしいものなのか)


 護衛として、彼女の状態が読めないのは致命的だ。

 だが、それ以上に。


(彼女が痛む理由を分かってやれないのは……)


 それが、どうしようもなく悔しかった。


  ◇


 リィナの部屋の扉にそっと手を置く。


 今、彼女は眠っている。


 だからこそ、思考が溢れ出す。


(星の色が見えるのは彼女だけ。

 星が叫ぶ声が聞こえるのも彼女だけ。

 だから彼女は、あんなにも苦しそうに胸を押さえるのか)


 今日、外れの家で彼女が倒れかけた理由も、わたしには“想像する”ほかない。


 彼女に見えていたのは、紫や黒の揺らぎなのだろう。

 彼女に聞こえていたのは、絶望の震えなのだろう。


(それを……全部ひとりで受けているのか、君は)


 胸の奥が痛む。


 星を見ることができるのは祝福だと言われるが、わたしにはその真逆に思えた。


(あれは……呪いだ。

 他人の痛みを見てしまうという呪いだ)


 星が見えない自分は、彼女がどうして涙をこらえるのか分からない。

 どうして息を詰めて立ち尽くすのか分からない。


 だから、余計に抱きしめたくなる。


(……いや、それは余計だ)


 自分の思考に驚き、頭を振る。


 彼女に触れれば、彼女の星がまた揺らぐかもしれない。

 恋という、もっとも危険な感情へ近づくかもしれない。


 それを避けるために、わたしは護衛に任命された。


 それなのに――。


(どうして、彼女が他の誰かに向けて笑っただけで……胸がざわつくのだろう)


理解できない。

 いや、理解したくない。


 この感情には、名前がある。

 認めた瞬間、それは“透明の星”を揺らす。


(気づくな。

 認めるな。

 この想いに色をつけるな)


 自分で自分に言い聞かせる。


 彼女が恋を知れば、透明の星に“核”が灯る。

 それは封印を動かす。


 わたしが恋を知れば――その揺らぎを、彼女は必ず感じ取ってしまう。


 リィナは、他者の痛みに敏感だ。

 わたしの痛みも、必ず拾ってしまう。


(……わたしなどが、彼女を惑わせてはいけない)


 ならば、この感情は胸の底に押し込めておく他ない。


 しかし。


 村の夜空を見上げたとき、思考は静かに揺らぎ始める。


 そこに星は見えない。

 わたしには何も見えない。


 だが――彼女には、世界が違って見えているのだろう。


(いつか、彼女の見ている“世界”を知ることはできるのだろうか)


 透明な星の色を、わたしが知る日は来るのだろうか。


 そんな願望を抱くこと自体、護衛としては失格だと分かっていても。


(……もし叶うなら、君が救われる未来であってほしい)


 そう祈れば祈るほど、胸の奥で何かが軋む。


 星が見えないわたしは、リィナの痛みを分かってやれない。


 だが、同じくらい――

 リィナには、わたしの“痛み”も見えないのだ。


 透明の星のように、わたしの心も色を持たないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る