第4話
村の夜は、静かだった。
粗末ながらも清潔な宿の一室で、リィナは灯りを落とし、窓を細く開ける。
夜空に星が浮かぶ。
村全体を覆う淡い紫の中に、ときどき、ちいさな白い光が混ざっていた。
(……少し安心している星、もあるんだ…。もしかして私が来たからかな?)
誰かの回復を願う星。
明日の収穫を願う星。
家族の無事を願う星。
紫に沈みかけた光の中で、それらがかすかにきらめいている。
「……大丈夫。まだ、間に合う」
小さく呟いて、胸元のロケットを握る。
幼い頃に拾った、小さな光の欠片。
あれが何なのか、今でも分からない。
ただ、苦しいとき、胸に押し当てると、ほんの少しだけ楽になる気がする。
「明日、ちゃんと見よう。あの家の星」
村の外れの家を思い浮かべる。
疲れきった星の色。
その下で暮らしている人の顔を、まだ知らない。
けれど、なんとなく、胸がざわざわした。
そのとき、控えめに扉がノックされる。
「リィナ様。起きていますか」
「アーデンさん?」
「少しだけ、よろしいですか」
「どうぞ」
扉が開き、アーデンが顔を覗かせる。
昼間と同じ黒衣だが、少しだけ疲れが滲んでいる気がした。
「……まだ星を見ていたのですか」
窓の外を一瞥して、彼は小さく眉を寄せた。
「あ、いえ、その……少しだけ、です」
「少し、が当てにならないことは、今日一日で理解しました」
「うっ……」
言い返せず、視線を彷徨わせる。
アーデンはため息をひとつこぼし、部屋の中へ足を踏み入れた。
「様子を見に来ただけです。気分はどうですか」
「だいぶ楽になりました。頭痛も、もう少しだけですし」
「本当ですか」
「本当です。だから、その……心配しすぎないでください」
言ってから、自分で驚いた。
アーデンは目を瞬かせ――ふっと目元を和らげた。
「……そうですね。心配のしすぎは、わたしの悪い癖なのかもしれません」
「悪い、癖……?」
「護衛というのは、本来、ここまで感情を入れるべきではないのかもしれませんから」
さらりとした口調だった。
けれど、リィナの耳には、妙にひっかかる。
「感情……」
その言葉を繰り返した瞬間、胸の中で何かがちくりと刺さった。
「アーデンさんは、そんなに私のことを……」
言いかけて、喉が詰まる。
何を言おうとしていたのか、自分でもよく分からない。
アーデンは少しのあいだ黙ってから、ごく穏やかに告げた。
「あなたは、この世界でただひとりの星読みの巫女です。わたしが心配するのは、ごく自然なことでしょう」
「あ……そ、そう、ですよね。巫女、だから……」
期待していたわけじゃない。
でも、どこか、胸の奥がほんの少しだけ、しぼむ。
(星読みだから、とかじゃなくて――)
そこから先の言葉を思いつく前に、アーデンが話題を切り替えた。
「明日は、あの外れの家から向かいましょう。あなたが言っていた“疲れた星”が、少し気になります」
「……はい」
「今日は、もう眠ってください。星を見るのは、また明日でいい」
そう言って、彼は踵を返す。
扉へ向かう背中に、リィナは思わず声をかけた。
「アーデンさん」
アーデンが振り返る。
薄灯りの中で、その瞳はいつも通り静かだった。
「……ありがとうございます。今日、一緒にいてくれて」
自分でも、少しおかしな言葉だと思う。
護衛なのだから、一緒にいて当たり前のはずなのに。
それでも、どうしても伝えたかった。
アーデンはわずかに目を見開き、それから、ほんの少しだけ、真っ直ぐに笑った。
「こちらこそ。あなたの隣は……悪くない場所ですから」
「え……?」
意味を問い返す前に、彼は軽く頭を下げて扉を閉めてしまった。
ひとり残された部屋で、リィナはしばらく呆然と立ち尽くす。
「……なに、それ」
ようやく漏れた声は、図らずも拗ねたような響きになった。
頬が熱い。
心臓が、やっぱりうるさい。
「分かんない……」
ベッドに潜り込み、枕を抱きしめる。
胸のざわめきに名前がつくのは、まだずっと先のこと。
その夜、透明な星は、村の紫の空のずっと高いところで、ひときわ強く、しかし誰にも見えないまま、静かに光っていた。
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