第3話
異能管理センター、最上階。壁一面の大型ディスプレイには、広域索敵パルスが乱れたままフリーズした倉庫街の映像が映し出されていた。
立花ソウタは、黒いタートルネックに身を包み、疲労の色を隠せないまま、その異常なデータを分析していた。彼の異能、設定読解(Configuration Read)は、冬弥の能力が発動した瞬間の世界の設定変更を、逐一解析していた。
「……伊達マサミの因果律が、完全に破綻しています。『論理的な理由によりゼロに収束する』という設定が、『自己存在の論理と衝突』というたった一つの改竄で打ち消された。さらに、広域索敵ビルの外壁の光の反射率をゼロに設定することで、追跡を一時停止させた」
立花は手に持ったデータパッドを強く握りしめた。彼の心臓は、罪悪感と恐怖で冷たい鉛のように重い。
冬弥の能力は、相変わらず恐ろしいまでに正確だ。だが、それ以上に問題なのは、彼の行動原理が変わってきていることだった。
「冬弥は、異能の『破壊』を恐れているはずです。しかし、彼は今、デリートではなく改竄(エディット)を選び始めた。そして、能力を使わずに敵の弱点(バグ)を突いた。これは、無意識下に押し込めていた彼の『デバッガー』としての本能が、完全に覚醒したことを意味します」
立花の背後には、異能管理センターの最高意思決定機関である『審判室』の冷徹な声が響いていた。
「立花ソウタ。君の解析は不要だ。我々が知りたいのは、なぜ実験体01が捕獲されなかったのか、そして次の一手だ」
立花は静かに振り返った。そこには、世界の秩序を司る「語り手」の代理を務める、厳格な幹部たちが座っている。
「次の一手は、最悪のシナリオです。彼は今、後期型異能者にとって最も監視の網が薄いエリア――初期型異能者が集まる、あの裏社会、通称『バグの巣窟』へと向かっています」
立花は画面に地図を映した。街の北部に広がる、犯罪組織の根城だと噂されるエリアだ。
「冬弥のバグ・エディターは、世界の『矛盾』を燃料とします。そして、初期型異能者たちは、その能力の特性上、世界のルールに致命的な矛盾(バグ)を抱えて生きている。冬弥が彼らと接触すれば、彼らの持つ『バグ』は冬弥の能力に吸収され、彼の不完全な力を一気に増幅させるでしょう」
幹部の一人が冷たく言い放った。「つまり、世界の秩序を維持するため、彼の存在は論理的な脅威となった、ということか」
「彼は、世界を破壊する可能性を秘めた、予測不能な変数です。私は、彼を実験体01として知る唯一の人間として……」立花は言葉を詰まらせた。「彼を隔離すべきだと進言します」
彼の脳裏には、実験中に孤独な瞳で本を読んでいた幼い冬弥の姿が蘇る。彼は冬弥の才能を理解していた。だからこそ、組織の命令で彼を監禁した罪悪感に苛まれている。冬弥が力を使うたびに、立花の心は軋んだ。
だが、幹部の判断は、立花の感情的な葛藤を完全に無視したものだった。
「隔離ではない。脅威度SSSに格上げする。そして、彼の能力を解析し利用しようとした過去の試みは、全て失敗と判断する」
審判室から、最終指令が下された。
「世界の安定という物語を維持するため、東雲冬弥、および彼と行動を共にする宇都宮ヒカリは、デリート対象とする」
デリート――消去。冬弥の存在そのものを、この世界の物語から抹消するという、最も過激で絶対的な決定だった。
「立花ソウタ。君は、実験体01の全てを知る人間として、デリート作戦の参謀となる。彼を捕獲する必要はない。彼の物語の結末を、我々の手で強制的に確定させろ」
立花は目を閉じた。冬弥を救おうとした自分の微かな抵抗は、世界の冷徹な論理の前に砕け散った。
「……承知しました」
彼はデータパッドを開き、冷徹な指示を打ち込む。
《ターゲット:東雲冬弥、宇都宮ヒカリ》
《作戦名:バグ・デリート(Bug Delete)》
《投入戦力:初期型異能者を内包する裏社会を一掃するため、語りの継承者、語りの炎使い、語りの沈黙者、および因果連鎖の伊達マサミを再投入する》
立花ソウタは、冬弥を「実験体01」という檻に閉じ込めた最初の「語り手」として、今、彼の「物語の消去」を主導する運命を背負うことになった。彼の瞳の奥には、疲労と、制御できない感情の波が渦巻いていた。
地下室の空気は、淀川アキオが放った衝動剛打の熱と、初期型異能者たちが持つ矛盾の熱量で満ちていた。俺は能力を使わずアキオの攻撃を回避したが、その代償として、俺の精神は極度の緊張状態にあった。能力を制御できた安堵と、いつでも世界を改竄できるという暴力的な可能性が、俺の心を苛む。
「……面白いもんを見せてもらったさ」
那覇セナが、俺たちを値踏みする目を細めた。彼の瞳に映る無数の未来は、まだこの場が「デリート」の結末を迎えていないことを示している。
「てめぇの力は、確かにヤバい。だが、ウチらの根城にいる限り、外の秩序側の干渉は受けねぇ。しばらく厄介になるなら、ウチらのルールに従ってもらうぞ」
裏社会の初期型感染者たちは、後期型異能者や管理センターの論理から逃れるために、独自の「物語(ルール)」を築いている。それは歪んでいるが、俺たちにとっては唯一の「安全圏」だ。
しかし、その安全圏はすぐに崩壊した。
壁に設置された古い通信機が、突然、耳をつんざくような警告音を発した。セナが慌てて受話器を取る。
「なんだい、こんなときに。……あぁ? てめぇ、管理センターの回線じゃねぇか! 何の用だ!」
通信機から漏れ聞こえる声は、冷徹で感情がない。その声は、かつて俺を「実験体01」という物語に閉じ込めた、**秩序側(語り手)**の声だった。
俺の瞳が、通信機から発信される電波の「設定ファイル」を検出する。その情報源に、見覚えのあるデータが混じっている。立花ソウタ――俺の元担当研究員にして、俺の全てを知る男のデータだ。
《送信メッセージ:東雲冬弥及び宇都宮ヒカリの即時引き渡しを要求する》
《警告設定:拒否した場合、対象エリア全体にデリートを実行する》
《デリート実行部隊:伊達マサミ、イリーニャ・マーリン、ルーカス・エルナンデス、エリオニール・グレイシャ》
「デリート」――消去。
世界の安定という名の「物語」を維持するため、俺の存在そのものを抹消するという、最も過激で絶対的な決定。そして、拒否すれば、この地下にいる初期型異能者たち全てが、世界のデータから抹消される。
セナは受話器を叩きつけ、表情を凍らせた。
「あの野郎ら……本気だ! 俺たちの根城ごと、消すつもりだ!」
周囲の初期型異能者たちがざわつき始める。彼らが必死に築き上げた「バグの巣窟」という物語が、秩序側の「論理」によって一方的に終わらされようとしている。
「東雲冬弥、てめぇのせいだ! 早くここから出て行け!」
「待て! 俺たちが出たところで、デリートは止められねぇだろ! あいつらは、この初期型感染者のコミュニティそのものを、世界の物語から消したいんだ!」
ヒカリがセナを制するが、男たちは恐怖に駆られている。彼らにとって、生存こそが最優先の「設定」だった。
「出て行け! それとも、てめぇのバグ・エディターで、あのデリート設定とやらを書き換えられるってのか!?」アキオが叫んだ。
俺は再び、能力の行使を恐れた。
――この地下をデリートから守るには、世界のルールを司る「語り手」の権威そのものを改竄する必要がある。そんな大規模な改竄は、俺の不完全な力で実行すれば、この裏社会全体が崩壊する可能性がある。
俺の心は叫ぶ。「使うな。また破壊するのか。制御できない、不完全な力で、彼らの物語を弄ぶのか?」
だが、通信機から聞こえる立花ソウタの声――俺を裏切りながらも、俺の存在を誰よりも知る男の声が、俺の理性を焼き破った。
彼は、俺の孤独と無感情を餌に、俺を世界の秩序に取り込もうとした。そして今、俺の「物語の消去」を主導している。立花は、俺にとっての「最初の語り手」であり、乗り越えるべき過去の象徴だった。
俺は震える指先を、通信機へと向けた。
《バグ検出:異能管理センターのデリート権限設定ファイル》
《致命的矛盾:デリート設定の発動権限に「組織内の論理的整合性の欠如」というバグを検出》
俺は、デリートを直接無効化しない。それは危険すぎる。代わりに、デリートを発動させる権限の物語に介入する。
「その設定、論理破綻」
俺の言葉が、通信機から発信されている立花ソウタの音声データに、一瞬で上書きされた。
地下室のスピーカーから、立花の悲鳴にも似た声が響き渡る。
「な、なんだこれは!? デリート権限が、論理的に自己否定を始めた!? 待て、待ってください! 冬弥! なぜそこまで……」
通信は途切れ、静寂が訪れた。俺の能力によって、デリート設定は世界から消去されなかった。しかし、その発動権限が、内部的な矛盾によって無効化されたのだ。
俺は再び、力を振るった罪悪感で、冷や汗をかいていた。俺の不完全な力は、また一つ、世界の物語の権威を傷つけた。
初期型異能者たちは、信じられないものを見るかのように俺を見た。恐怖と、畏敬の念が混じり合っている。
セナが受話器を拾い上げ、沈黙を破った。
「デリートの通達が消えた……。権限そのものが、無効化されただと? ……てめぇ、本当に人間かよ」
俺は何も答えなかった。俺は人間じゃない。俺は、世界のルールを破壊する可能性を秘めた、不完全なバグだ。
俺はヒカリを背に、ゆっくりとセナたちの方を向いた。
「ここは、あんたらが言うバグの巣窟だ。秩序側の論理は通じない。だが、俺がいる限り、ここにも秩序側の『物語』は持ち込ませない」
俺の能力は、世界のルールを書き換えられる。その力で、俺はこれから、この裏社会の初期型感染者たちを、デリートの物語から救うために、戦い続けなければならない。彼らの抱える「バグ」は、俺の力の増幅剤であり、同時に、俺の暴走のリミッターでもあるのだから。
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