二
玄関を開けて、リビングに向かう。
見慣れた景色が目の前に広がる。
「ほう、これが男の子の部屋か」
訂正、この部屋に君がいるのは見慣れない。
やましいものはないとはいえ、ジロジロ見られるといたたまれない気持ちになる。
それに家に入るまではそこまで気にならなかったけど、良い香りが僕の鼻腔をくすぐる。
「ねえ、早くゲームしよう!」
ワクワクが止まらないのが見てわかる。
ここまで目がキラキラしているのはなかなか見ないだろう。
その目を見て気持ちを落ち着かせる。
「僕がやってるゲームでいいの?」
「うん、君がやってるゲームをしたい!」
まずはレースゲーム。
「これ見たことある!」
「有名だからね」
これは初心者でも楽しめる。
君の動きを横目に見る。
カートが曲がれば君の身体も傾いて、その様子が微笑ましい。
「あ、それやめてよ!」
「妨害されるゲームだからね、これ」
「こうなったら倍返しだよ!」
そうやってムキになる姿を見るのも珍しいな。
それでも楽しんでくれているみたいで嬉しい。
次は野球のゲーム。
「待って、全然当たらないよ!」
「慣れないと難しいよね」
「真ん中に投げてよ!真ん中に!」
「仕方ないなあ」
画面の中のピッチャーが投げる。
「来たっ!」
会心の音に演出が入る。
「まじ?」
「やったー!」
君がハイタッチを求めてきて、思わずタッチする。
僕、打たれたんだけど。
でも君が喜んでるなら良いか。
一度ゲームを終えて、休憩タイムだ。
「今更で申し訳ないけど、何か飲む?」
「全然!ゲームしたかったし!
ちなみに何があるの?」
「お茶かコーヒー、それにオレンジジュースに牛乳もあるよ」
うーんと悩むそぶりを見せてから、君は言う。
「じゃあミルクコーヒー作って!
甘いやつで」
「ミルクコーヒー。
作ったことないけどいい?」
「いいよ!」
折角なら僕も同じのにしよう。
カップを二つ用意する。凄く新鮮だ。
君のは砂糖多めにしておこう。
「その猫のカップ、可愛いね。猫好きなんだ?」
いつの間にか横に来ていた君。
「そっちの方は私専用にしてよ」
「また来るの?」
「もちろん」
君は僕のことをどう思っているのだろうか、そんなことは怖くて聞けないけれど、曖昧な関係に心にもやが生まれる。
「おすすめの漫画教えてよ。後で読むから」
そういえば漫画も読みたいって言ってたな。
「一人の少年がヒーローを目指す漫画面白いよ。
色々なキャラがいて、見ていて楽しい」
「じゃあそれにする!」
カチッと音が鳴り、湯気が登っている。
「手伝ってくれる?」
「そのつもりで来たよ」
僕がお湯を注いで、君がスプーンで混ぜる。
「お湯を入れる時、良い音鳴るよね。気持ちいいのかな?」
君がそんなことを言う。
「流石に熱すぎるんじゃない?」
「確かにね」
冷蔵庫から牛乳を取り出して、それぞれに注いでいく。
「折角だからさ、雨の音聞きながら飲もうよ!」
本当に雨が好きなんだなと思う。
どうするのと聞くと、窓を開けて網戸だけにして、その前に座ってミルクコーヒーを飲むみたいだ。
椅子を持っていって、二人並んで外を眺める。
「いただきます」
君が一口飲む。どうだろう。
「うん、美味しいね!」
「良かった」
それを聞いて僕も口に持っていく。
美味しい、優しい味が広がる。
雨の音が部屋に響く。
君は心地良さそうに揺れている。
そして、口を開く。
「なんで君は雨が好きじゃないの?」
「色々あったんだよ」
あの時のことは今でも鮮明に覚えている。
「教えてって言ったら迷惑?」
あれだけ踏み込んでくる君の迷っている目を見るのは初めてかもしれない。
息をふぅ、と吐く。
「面白くないけど、いい?」
「うん、聞かせて」
「高校生の時、僕に好きな人がいたんだ。
その人とは中学生の時に知り合った」
「どんな感じの人だったの?」
「可愛らしくて、ふわふわとした感じの子だった。
『同じ高校行こうね』と言われていたんだ。でも意識するほどではなかった」
「そうなんだ」
「高校入ってからは毎日のように一緒に通っていたんだ。
一年も続ければ、好きになってた」
「きっかけはあったの?」
「これっていうのは無かったけど、僕がいてくれて嬉しいとか楽しいとかそういうことはよく言ってくれてたんだ」
「それは両想いじゃない?」
「その時の僕もそう思ってたんだ。
それで、三年の冬に勇気を出して告白した。
返ってきた返事が『ごめんね、そういうつもりじゃなかったんだけど』だった」
君は僕を見つめて話を聞いている。
「気がついたら、雨の中、家に帰っていた。
びしょ濡れになりながらね。
途中で、僕と同じようにびしょ濡れになっている子がいて、その子に服と鞄に入ってた折りたたみ傘を渡したのは覚えている。
で、次の日から3日間続けて高熱を出して、冬休みに突入した」
高校生活の最後は最悪だったなと今でも思う。
ほとんど学校に行く必要がなかったのは助かったけど。
君を見ると、涙を流していた。
泣くときも綺麗なんだね君は。
「こんな話で泣くなんて優しいね」
ティッシュを取って君に渡す。
「だって、そんなことあったら嫌になるじゃん」
「だから、雨は嫌いなんだ。嫌でも思い出させるでしょ?」
「うん、そうだね」
涙を拭き、どこか気合いを入れた君は改めて僕を見る。
「私も君に言わなきゃいけないことがある」
なんだろう。どこか嫌な空気を感じる。君の目は強い覚悟を宿しているように見える。
「まずは」と君は言う。
「私、君のことが好き」
「え?」
予想外の言葉に一瞬、思考が止まる。
「君のことが好き」
二度目のパンチもまともにくらい、思考はまとまらない。
「ふふ、びっくりしてるね?」
「う、うん。えっ、好き?」
「好きだよ」
ようやく言葉を受け入れることができた。
「凄く、嬉しい。でもなんで?」
「嫌な思い出を聞いたから、ちゃんと言っておくね。
でもごめん。まだ聞いてほしい」
また真剣な顔に戻った。
そして目線を落とす。
君は握る手をもう一つの震える手で包む。
その瞬間、頭の中でアラートが鳴った。
心臓の音も大きくなっていく。
駄目だ、聞きたくない。
「私、実はもうすぐ死ぬかもしれないんだ」
音が消える。
ああ、嫌な予感はこれだった。
言葉が出ない、なんとか絞り出さないと。
「……どうして?」
「病気でね。何もしなければ死んじゃうって先生に言われてるんだ。
手術すれば可能性はあるみたいだけど、数%程度だしその瞬間に終わっちゃうかもしれないんだって」
違う。僕が聞きたいのはそうじゃない。
どうして君なんだ。
君みたいな優しい人がどうして。
「ごめん、そんな顔しないで」
僕の頭が柔らかなもの包まれる。
耳に君の心臓の音が届く。
「私はまだ生きてるよ」
涙が溢れてくる。
まだ君は生きている。君の熱に触れる。
「それで君は私のこと好き?」
そんなの決まってる。
「……好きだ」
顔を上げて、君の目を見る。
酷い顔になってるよと笑う君の方がひどい。
「ありがとう。
私、手術受けようと思うの」
それで、と話を続ける。
「少しの間、ここに住んで良い?」
涙の告白から少し時間が経って、お互い落ち着いた。
何年分かの涙が出た気がする。
「目、赤いね」
君は笑いながら、そう言うけど君の目も赤い。
「いつからここに住むの?」
理由を聞くと、手術する勇気がまだ足りないからとのことだった。
何がともあれここに住むのはいいよとは言っている。
「少し準備がいるから、それが終わったらだね」
楽しみだねと笑う君はいつもより輝いて見えた。
「そうそう、君に雨の良さを伝えないといけないの忘れてた」
そういえばそんなこと言っていた。
「雨はね、優しいんだよ。
音を聞けば和らぐし、眩し過ぎない明るさが心地良いんだ。それに……」
君の横顔はとても綺麗だった。穏やかな顔に少しの寂しさが垣間見える。
雨よりもずっと見ていたい。
外を見ていた君の顔がこっちを向く。
「ねぇ、聞いてる?」
「ごめん、聞いてなかった」
もう、と頬を膨らませて怒ってる君すらも可愛いと思うのだから、かなり重症なのかもしれない。
ごめん、ともう一度謝る。
「良いよ、これから布教していくから」
君は立ち上がってこちらに来る。
そして顔が近づく。胸が跳ねる。本当に綺麗な目だ。
柔らかいものが頬に触れる。
「今はこれで。少しだけ上書きね!」
顔が赤くなった君。
破壊的だ、心臓に悪い。
でもおかげで、雨の日が良い日になった。
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