三
それから一週間、期間限定の二人暮らしが始まった。
生活の音が倍になり、賑やかになったこの部屋は君のおかげでかなり明るくなった。
料理をほとんどしてこなかったみたいで、悪戦苦闘しながらやる姿は可愛かった。
「手伝って」と泣き顔で言ってきたり、徐々に慣れてきて余裕が出来た時のドヤ顔だったり、見ていて全然飽きなかった。
ミルクコーヒーを作るのは僕の役目だった。
作る時はいつもそばにいて、話しかけてくれるから退屈することはなかった。
漫画も二人並んで読んだりした。
「この二人、仲直りしてよかったよ」と泣きながら言うもんだから、「よかったね」と柔らかな髪を撫でながら慰めてあげたりもした。
雨の日にはミルクコーヒー片手に外を眺め、晴れの日なら夜一緒に星を見て、毎日が充実していた。
「ねぇ、海に行こう!」
ワンピースに上着を羽織って準備万端の君が言う。
「ちょっと待って」
まだ僕は準備してない。
「早く早く」と急かされながら、着替えて外に出る支度をする。
いつもよりどこか楽しそうな感じがする。
外に出ると少し肌寒い。
駅まで手を繋いで二人並んで歩く。
君の冷えた左手が気になる。
「寒くない?」
「ちょっと寒いからあっためて」
と僕の上着のポッケに手を入れる。
少し窮屈だけど、喜んでいる君を見ればそんなことはどうでもよくなる。
そうして、駅に到着し電車に乗り込み海に向かう。
「知らない街を通り過ぎていくけど、そこに人の暮らしはあるんだよね」
窓の外を見ながらそう言う君の横顔は寂しそうな顔をしている。
「あ、海だよ」
青くキラキラと輝く海が見えてきた。
寂しそうな顔からおもちゃを見つけた子どものような顔になっている。
最寄駅に降りた瞬間から潮の香りがしていた。
少しの上り坂を登っていく。
そうして登りきった先には白い砂に広い海が広がっていた。
「早く行こう!」
そう呟いて僕の手を引いて海の方へと走る。
砂浜について荷物を下ろす。
「実は海、2回目なんだ」
小学校の頃の一回だけだったらしい。
なんにせよ楽しそうにしているから来た甲斐がある。
「海に足だけ浸かろうよ」
「言うと思った」
あまり青春っぽいことをしてきたわけじゃないから少し気恥ずかしい。
周りに人がいないのは幸いだ。
「冷たっ」
「ひゃっ」
水温は想像以上に冷たかった。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ!えいっ」
顔に海水がかかる。めちゃくちゃ冷たい。
「心配してあげたのに」
逃げていく君に流石に水をかけるのは気が引けるので、手を冷やして君を追いかける。
君の笑い声が響く。
このまま時が止まればいいなんて本当に思うんだ。
それが無理ならもう少しだけ君との時間を過ごさせてほしい。
はしゃぎ疲れて、浜辺に座る。
隣には持ってきてたブランケットを巻いた君。
「寒くない?」
「大丈夫だよ。それにしてもいい景色だね」
周りに人もいないし、世界に二人だけのような気がする。
「楽しかったね、海」
「満足した?」
「うん」
「じゃあ帰ろうか」
そうやって立ち上がり家路に着く。
君は疲れたみたいで電車で寝ていた。
子どもみたいで可愛い。
窓の外は急激に暗くなっていた。
家の最寄りの駅に着く頃には土砂降りの雨が降っていた。
「傘、売ってなかったね」
「ちょっと待っていようか」
「いや、折角だし濡れて帰ろう!」
そう言って君は走り出した。
「ちょっと待って!風邪引くよ」
「いいの!」
雨の中に凛として咲く一輪の向日葵のような、満面の笑みを浮かべている。
なんでそんなに楽しそうなのかわからないけど、君を見ていると僕も楽しくなってきた。
「急げ」
「早く早く」
僕たちの笑い声は雨にかき消される。
びしょ濡れになりながら家に着いた。
お風呂を沸かし君を先にお風呂に入れる。
僕はその間にミルクコーヒーの準備をして、君が出てくるのを待つ。
君が出てきたら、ミルクコーヒーを渡して僕もお風呂に入った。
僕がお風呂から上がれば、暖かそうな格好で窓の近くで雨を感じていた。
「おかえり」
「ただいま」
「雨、楽しかったね」
「楽しかったけど、今回限りだよ」
まだ楽しそうに笑ってるけど、本当に風邪引くからね。僕がそうだったんだからと心の中で思う。
「ねぇ雨、好きになった?」
「君と見る雨は好きだよ」
「ならよかった」
君となら雨だって良いものになる。
少なくともこの時間は好きだ。
「ちょっと疲れたからもう寝よっか」
「わかった、片付けしとくから先布団はいってて」
そうして少し片付けをしてから布団に入る。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
そういうと、腕が伸びてきて引き寄せられる。
「大好き」
「僕も大好きだよ」
「愛してる」
初めての言葉にドキッとした。
「僕も愛してる」
そうして僕から口付けを交わす。
眠たそうでふやふやになった君の顔に心がくすぐられるけど、なんとか耐える。
「こうしてあげるからもうおやすみ」
「ありがとう」と消え入る声を聞いて、僕も君の体温を感じながら眠りにつく。
窓から差し込む光で目を覚ます。
隣を見ると君の姿はない。
それにやけに静かだ。
君の名前を呼びながらリビングに向かう。
リビングにも君の姿は見えない。
テーブルの上に何か置いてあるのが見えた。
僕宛の手紙だ。
まさかと思い、急いでその手紙を開ける。
目を走らせる。思わず力が抜ける。そして涙が溢れる。勝手に溢れ出る涙を腕を使って拭う。
霞む文字をなんとか読み進める。
それでも涙が溢れて邪魔をする。
もっと早くに会ってたのか、僕たち。
ごめん、気づかなくて。
ごめん、好きをあまり言えなくて。
僕も何度でも愛してるって言いたかった。
言い足りないんだ。
だから、
だから、君が帰ってくるのを待ってるよ。
いつまでも待っているから。
だから神様、どうかお願いします。
あれから五年が経った。
陽菜は空に旅立ったとあの後、ご両親から聞いた。
最後になった願い通り、君の分まで生きている。
君の手紙もまだ綺麗に取ってある。
涙でしわになってしまったけど。
最初からインクは滲んでいたし、お互いさまだ。
隣の椅子を見る。
ミルクコーヒー、また飲みにおいで。
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