雨に君とミルクコーヒー
リト
一
「雨だ」
目の奥に映る光で目を覚ます。
いつもより光が弱いことを確認しカーテンを開け、外を見た瞬間にそう呟く。
それは事実確認。
何かを調べようとしたときに視界に入った天気予報通りなのか、と。結果、予報は的中だ。
ベッドから抜け出して、お湯を沸かす。
カップは二つ、コーヒーの粉に砂糖を加えてこっちは準備完了、あとはお湯が沸くの待つだけ。
この時間の手持ち無沙汰感、毎回反省することなく心が彷徨う。
君が横にいれば楽しく待てたのになと頭をよぎる。
カチッという喜びの音が鳴り、お湯を待ち侘びていたカップに注ぐ。
気持ちよさそうな音が聞こえてきた。
牛乳を入れて優しさを追加する。黒に白が混ざっていく様子を眺める。牛乳はお役御免と冷蔵庫に戻し、スプーンとカップでカンカンと音を奏でる。次第に柔らかな茶色に染まっていく。
出来上がったミルクコーヒーをリビングのテーブルに一度置く。
リビングの窓を開けて網戸だけにする。雨は入ってこないでと願いながら。
そして椅子を二つ、その網戸の前に持っていく。
そして、再びミルクコーヒーを手に取って椅子に座る。一つは椅子の上に置く。
こうして君が好きだった雨の世界に近づく。
雨が地面を叩いて舞う匂い、何かにあって存在を示す優しい音、眩しすぎず暗すぎない柔らかな光、窓の外から五感を刺激する。
今では僕も好きだなと思う。
でも濡れるのだけは勘弁だ。この身を一生懸命守り続けている鎧が一緒に流されてしまうから。そうなれば、今頬を伝うものも気のせいにできなくなる。
だから、こうして雨を感じているだけでいい。
そうすれば君に触れられる気がするから。
隣の椅子を見つめる。今でも君の横顔を鮮明に思い出せる。楽しいとも苦しいとも言えるような顔だった。
あれから五年。
君がいなくなってから、五年。
出会い
大学に入学してから二年目。
ようやくこの広い迷宮に慣れてきたところだ。
僕は基本ひとりぼっちで過ごしている。
自分のペースで動けるのが都合が良いというのがあるが、単純に人と関わることが得意ではない。
今日も大きな教室の端っこに一人で座っていた。
講義が始まるまでは基本退屈だ。講義が始まってしまえば、やることができるから誤魔化しがきくけれど、今は本当にやることがない。
どうしようかと考えていると肩をトントンと誰かに叩かれる。
顔を向けて確認すると、可愛らしい女性が立っていた。
白いブラウスにブラウンのスカートがよく似合う、僕の無い語彙から出てきたのはそれだけだった。
「横座ってもいいですか?」
「ど、どうぞ」
明るい笑顔でそう言ってくるので、オドオドしながらもそう答える。
「ありがとうございます」と僕に向けて、隣に座る。
会話は終わり、二人の間で静寂が広がっていく。
僕は頭を悩ませる。
こういう場合は話しかけた方がいいのか、それとも黙っといたほうがいいのかと頭の中で会議をしていると、「私のことわかりますか?」と声がかかる。
第三の選択肢に思わず肩が上がる。
「い、いえ、はじめまして、ですよね?」
あまり人と話すことがないからどこかで話をしていれば覚えているはず。
「こうして話すのははじめましてです。
でも同じ学部なので、知っているかなと思ったので」
そう言って笑う顔は向日葵のように明るい。僕とは正反対だ。
同じ学部だったか、かなりの人数がいるから流石に覚えてはいない。
「あ、それと敬語なしにしよ?」
距離の詰め方にも陽を感じる。でもそれが苦じゃないのはこの人の持っている明るさが優しいものだからだろうか。
「わ、わかった」
あまりにも慣れていない僕は言葉にするだけで精一杯だ。
それから時折横に座ってくるようになった。
そうなると気になってしまうのは仕方がない。
見ない日の方が多いし、見つけたからと言って僕から話しかけることはないが、大学に来るとつい君の姿を探してしまう。
「君はいつも一人だね?」
今日も隣に座った君が、いきなり直球を投げ込んできた。
「そうだけど、悪い?」
僕はおどけて返す。
「ううん、おかげで隣が空いているから」
そんな良い笑顔を見せるのはやめて欲しい。君無しじゃ生きていけなくなりそうだ。
君は基本的には誰かといる、かなりの人気者みたいだ。それもそうか、人との距離を詰めるのが上手いし、明るくて、話していると楽しい。
「ねぇ、家では何をしているの?」
「なんでそんな興味津々な顔なの?」
「男の人って家だと何をしているのかなって!
実は私、男友達いないんだ」
「君以外にね」とまた、嘘か本当かわからないことを言っている。
でも、もし特別になれるとしたら。いや、そこは考えるのは辞めておこう。
「で、家では何してるの?」
「ゲームをするか、漫画読むか」
「どんなの?どんなの?」
目をキラキラ輝かせて、聞いてくる君。そんなに珍しくもないよと、言いつつ説明する。
話を聞いて楽しそうにしている君は本当に純粋で真っ直ぐなんだなと思う。
どこまでも続く青みたいに透き通って、それでいて柔らかく包み込むような光を放っている。
どちらにしろ手を伸ばしたって届かないが。
「今、一人暮らししてるって言ってたよね?」
「そうだけど」
「今度遊びに行っていい?」
「駄目、部屋汚いし。それにそんなこと簡単に言ったら駄目だよ」
「君のこと信用してるからだよ。お部屋の片付け手伝うからゲームさせてください!」
「はぁ。わかった、ゲーム、していいよ」
「部屋の片付けはやっておくから」と言っておく。
喜んでいる君は僕の苦労を知らない。
でもそのままでいてほしいとも思う。
それにしても部屋の片付けか、大変だ。
家に行ってもいい事件から2回目の土曜日。
1LDKと一人で住むには広い部屋。
親には感謝している、ただその分掃除は大変だ。
昨日まで気合いを入れて掃除をしていた。
普段はしない場所までしっかりと。
こんなに気合いを入れて一体何になるんだろうと思うこともあった。ただ、汚いよりも綺麗な方が僕も過ごしやすいという言い訳をしてやり遂げた。
最寄りの駅まで君を迎えに行くことになっている。
さっき窓の外を見れば雨が降っていた。
雨は好きじゃない。濡れるのはもちろんのこと嫌だし、何より明るさが足りない。元々暗い僕がさらに暗くなってしまうと、どうにも這い上がってこれなくなりそうな感覚がある。
そろそろ行かないとなと、時計を見る。
傘に当たる音と胸の音どっちの方が早いだろう。
駅に近づくにつれ、ドクッドクッという音が僕の耳を支配していく。
駅に着いてスマホを見る。まだ着いてないみたいだ。
改札の近くで雨が降っている様子を眺める。
雨は好きじゃない、それなのにこうして眺めていられるのはどうしてだろう。
それに君は雨をどう思うのだろう。
そんなことを考えていると、頬に冷たいものが当たる。思わず肩が跳ねる。
振り返ると、満面の笑みを浮かべた君がいた。
「良い反応だったね」
「びっくりしたぁ」
ここに来るまでのドキドキとは違ったドキドキを感じて、心臓はすでに疲れきっている気がする。
「早く行こうよ」
固まっている僕の前で振り向いて君は言う。
誰のせいなんだ、と思いつつも追いつくように早足で君の元へ向かう。
足音四つ、雨とともに音を奏でていく。
今日の君はいつもに増して可愛らしい格好をしている。
君の横顔を眺めながら、どう言おうかと考えていると、君がこっちを見る。
「そんなに見てどうしたの?」
「え、あ、その、服似合ってるって言いたくて」
「ありがとう。不器用な君らしいね」
「うるさい」
クスクスと笑う君。
僕の頬を恥ずかしくて多分赤くなっている。
「雨、好き?」
誤魔化すように聞く。
「好きだよ」
僕に言われたわけじゃないのに一瞬心が弾む。
確かに僕よりも君の足音は楽しそうだ。
「傘に当たる雨の音、良くない?」
「そうだね」
「思ってないでしょ」
どうやらバレていたらしい。
「君に雨の良さをいつかちゃんと教えてあげるとするよ」
そう言ってニヤリと笑う顔に「楽しみにしてるよ」とだけ返す。
すぐそこに僕のアパートが見えた。
駅からの道は一人で歩くよりも、二人で歩いた方が短く感じた。
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