第2話:再会
百万ギニーあれば、城が一つ買える。
客たちは驚きの顔で、片手を上げている黒髪の青年を見やった。
「ひゃ、百万ギニーが出ました!」
司会の声も驚きに引きつる。
「他にいらっしゃいませんか?」
手を上げる者は誰もいない。
さしものキャラダイン公爵も、苦虫をかみつぶした顔で腕を組んだままだ。
そもそも、百万ギニー以上をポンと出せる者は闇オークションの客でもそう多くはない。
司会が会場を丁寧に見渡し、ガベルを振り下ろした。
「それでは百万ギニーで落札!」
会場がざわめくなか、黒髪の青年がすっと立ち上がる。
「おめでとうございます! そちらの紳士がアイリス嬢の主です!」
あまりの急展開についていけないアイリスは、用心棒たちに支えられながら呆然と舞台上から控え室へと移動させられた。
(私……買われた……)
(百万ギニーで……)
(いったい、誰だろう?)
社交界では見たことのない男性だ。だが、この会場にいるということは、貴族か何らかの有力者であることは間違いない。
(ううん、誰でも関係ない。今日から、私は奴隷……)
破格の大金で買われたのだ。
自分がいったいどんな目に遭わされるのか想像するだけで震えがくる。
そのとき、控え室に黒髪の青年が入ってきた。
すらりとしているが、タキシードの上からでも鍛え上げられた体をしているのがわかる。
青年が軽く手を振ると、屈強な見張りの男たちが部屋を出ていった。
アイリスと二人きりになると、青年はおもむろに黒い仮面を外した。
「久しぶりだな、お嬢様」
アイリスは驚きにラベンダー色の目を見開いた。
青年の整った顔立ちと、剣呑な光を帯びる金色の目に見覚えがあった。
「まさか、ヒューゴ……!?」
十年前、自分を憎々しげに見上げてきたボロボロの少年の姿が浮かぶ。
まるで飢えた黒い子狼のようだった。
「ああ、そうだよ」
「信じられない……見違えたわ」
二十一歳になったヒューゴは、元浮浪孤児とは思えない立派な紳士となっていた。
ヒューゴを最後に見たのは八年前だ。
(たった八年でこんなに背が伸びて、風格ができて……)
(しかも百万ギニーを出せる財を成したなんて……)
それはヒューゴが必死で努力してきた道のりを彷彿させるに充分だった。
「あなたは騎士見習いとして、ドーンコート城に行ったと聞いたけど……」
「ああ。十四歳で従騎士として戦場へ行った。十八歳で騎士に叙任。今はナイトクロウ騎士団の団長をしている。この前の戦争で武勲を立てて爵位と領地をもらった」
華々しい経歴だったが、ヒューゴの口調は淡々としていた。
ただ事実を羅列し、冷ややかにアイリスを見つめている。
「つまり、立場が逆転したってことだよ。お嬢様」
わざとらしい『お嬢様』呼びに、アイリスはきゅっと手を握った。
(やっぱり憎まれているのね……)
アイリスの脳裏にヒューゴとの十年前の出会いが浮かんだ。
*
アイリスは当時九歳。父に連れられ、領地の町へ行ったときのことだ。
広場の方が騒がしく、何事かと父と共に向かうと罵声が聞こえてきた。
「この盗人が! ようやく捕まえたぞ!」
「ただじゃ済まさないからな!」
興奮した大人たちに囲まれていたのは、ボロボロになった黒髪の少年だった。
顔には殴られたアザがいくつもあり、腕は乱暴に縄でぐるぐる巻きにされている。
彼の足元にはパンが二個落ちていた。
どうやらパンを盗んで捕まったらしい。
「腕を切り落としてやる!」
「いっそ殺しちまえ!」
物騒な言葉に、アイリスはびくりとした。
少年の命が風前の灯火なのは、幼いアイリスから見ても間違いなかった。
「待ってください!」
ぱっと見ただけで少年の事情はおおよそ想像がついた。
親がいないか、いたとしても面倒を見てくれず、やむを得ずパンを盗んだのだろう。
同情の余地はあるものの、町民たちの憤りからすると何度も盗みが繰り返されたのは想像に
殺気立った町民たちから彼を救う手立ては一つしかない。
アイリスは父であるデレクを見上げた。
「お父様、この少年を買ってください」
アイリスの凜とした表情と決意を込めた声音に、デレクは意図を汲んでくれたようだ。
「わかった」
領地を治める公爵であるデレクが進み出ると、町民たちはしん、と静まり返った。
「この子が盗んだぶんは私が弁償する。だから彼を私に引き渡してくれないか?」
町民たちが戸惑ったように顔を見合わせる。
「こ、こいつには以前からいろいろ盗まれて――」
「では、一万ギニー払おう。それでこの少年を買い取る。どうだね?」
一万ギニーという大金は、損害の補填と慰謝料に充分だったようだ。
異を唱える者などおらず、すぐさま少年は繋がれたままアイリスに引き渡された。
(思えば、私の人生で一番高い買い物だった……)
罪人だった少年は今や立派な騎士団長で貴族にまで成り上がった。
アイリスはヒューゴに目をやった。
驚くほど背が伸び、元から端整だった顔立ちは余裕のようなものが窺える。
どこにだしても恥ずかしくない、立派な青年だ。
(でも、あの鮮烈な目だけは変わらない)
(ギラギラとした、飢えて傷ついた狼のような瞳……)
ヒューゴの金色の瞳と、アイリスの薄紫色の瞳が交差した。
あれから十年――二人の立場は綺麗に逆転していた。
「……」
ヒューゴがじっとアイリスを見つめてくる。
アイリスは自分の手足に繋がれた鎖に目をやった。
(彼の言うとおりね……今や私は奴隷)
金で買った少年に金で買われた自分に、苦い笑いが浮かんだ。
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