第2話 トールステインはいつもやり過ぎる 5歳 冬

 北方の冬の朝は寒い。そしてなにより暗い。

 空を見上げれば月も星もハッキリと見えている。

 月は一つだし星座にも多少は見覚えがあるから地球だと思う。

 ここがどこで今が西暦何年かは知らないけど、高緯度地方であることは間違いないようだ。


 お昼近くにならないと、まともに村に太陽があたらないし、午後は切り立ったフィヨルドの影ですぐに陽が陰る。

 天気が悪く雪で何日も家から出られないことだってある。


 暗くなったら家の土間の石炉を囲んで干したタラやニシンを齧るか寝るかしか出来ないから、冬の明るい活動時間は本当にとても貴重なのである。


 なので朝ご飯の大麦粥を大急ぎで匙でかきこんだら行動開始!

 用事を言いつけられる前に、いざ製塩で小遣い稼ぎ!

 …の前に、前回の失敗要因は潰しておかねばならない。


「エリン姉ひどいや。お尻が真っ赤になったよ」

「だって仕方ないじゃない。母さんアーシルドはあなたを心配しているのよ」


 失敗要因が小さな口を尖らせた。

 母ちゃんアーシルドの心配にも理由がある。僕は三男だけど、今は長男なのである。

 記憶が朧気でハッキリ憶えていないのだけれど、僕の上には2人の兄がいた、らしい。

 上の兄は略奪遠征で、下の兄は病気で亡くなっている。

 三男の僕のかわいい悪戯にも過保護になろうというものだ。


「黙っててくれたら、タラの卵の燻製を分けてあげる」

「豊穣の女神フレイヤ様も、収穫のためには目をつぶってくださるわね!」


 ちょろい。欠食児童は食欲には勝てないのだね。

 監視役エリン姉の買収に成功したので、次の機会には塩の密造に成功するだろう。

 その前に、数日かけて濃い海水を作らないと。

 これが結構めんどうな力仕事なんだ。


 木桶に海水を汲んで、家の影になる場所に置く。

 これを3つぐらい用意する。

 夜になると桶の水は凍るけど、底に少し海水が残るんだ。

 氷を割って捨てたら残りの海水は塩が濃くなってるから、他の桶の残りも足して、また凍らせる。

 4日ぐらい繰り返すと、もうこれ以上濃くならないから、それを煮る。

 凍結濃縮とかなんとかいう方法らしいけど、詳しくは知らない。

 とにかく濃い海水さえ作れれば、煮沸が楽になる。

 海水を沸かす炉の性能が良ければさらに良い。

 理屈ではね、そうなる。

 問題はいつも実践なんだ。


 もうね、水運びは家の手伝いで慣れているつもりだけど、海は近いけど、5歳の身体には重労働だよ。賄賂が後払いなのがいけなかったのか、エリン姉は水運びを手伝ってくれなかった。


「はー…凍った桶に残った海の水は塩が残る…ねえ。トール、よくそんなこと思いついたわね」

「逆だよ。氷を舐めたら塩味が薄かったかんだよね」


 何でも舐めてみたい時期ってあるでしょ?

 桶の氷って白いから舐めたら塩があるかな?と思ったら全然塩がなかったから、残った水に塩がある、と確信したわけで。

 あとはまあ、どこまで濃くなるか繰り返して試してみただけ。

 北極の氷は塩分が薄いとか、何かの本に載ってたような記憶もある。


「それで?濃くなった塩を、この変な竈で煮るのね」

「変な竈じゃない。名付けて西風炉ヴェストリ。西からの風がたくさん入って、高くした煙突から抜けるから凄くよく燃える。よく燃えるから灰も煙も少ないんだ」


 乾燥が不十分で水を含んだ薪を屋内で燃やすと大変なことになる。家の土間にある石炉に間違ってくべたら、家中が煙くなってしまう。信じられないことに、家の中で焚き火をしてるんだ!それなのに寒さ対策で家の換気は良くないから、咳も増える。明らかに健康被害が出ている。PM2.5とかが含まれてるに違いない。

 だから、よく燃えて煙の少ない炉を完成させて、今の直火の石炉を取り替えてしまいたいんだ。家から病人を出したくないからね。


 そしてロケットストーブの原理の竈、改め西風炉ヴェストリは、前回から少し改良してある。

 炉の入口は少し掘り込んで低くして、煙突と高さの差をつけた。

 燃焼とは空気流量の制御であるから、風量と高低差が重要なんだ。


 この炉がさらに画期的なのは、煙突の途中にちょっとだけ小さい穴を開けて、石と粘土で作った別のトンネルに熱い煙が通るようにした点だ。煙トンネルは、石と土で作った小さな室に続いている。

 うまくいけば美味いことになるはずなんだ。


 ◯ ◯ ◯


「美味しいじゃない。何が不満なの?」

「うーん…」


 テスト結果は、まあまあ。

 塩は作れた。濃い海水を準備してあったし、前回もほとんど成功していたからね。

 だけど煙の一部を流すのは、あまりうまく行かなかった。しょせんは子どもの手作りの煙トンネルだと、どうしても隙間があったりして煙は漏れるし、一部は高温に耐えられずに崩れ落ちそうになってる。


 そして今回の目玉。トンネルで煙を通した先の小さな室では美味しい燻製が作れるハズだったのだけど。


「タラの卵が、すごく美味しい」

「そうね。家に干してあるのよりずっとずっと美味しいわね」


 約束しておいた賄賂を受け取ったエリン姉が、嬉しそうに黄金色のタラの卵を齧っている。

 そうなのである。家の中で干しているタラの卵よりずっとずっと美味しいのである。

 おかしい。なぜだろう?


「香りがいいのよね」

「それはまあ、ジュニパーとか香りの強い枝も燃やしたから」


 ここまでは計算通り。


「あと、燻製なんだけどカチカチに固くない。不思議な噛み応え」

「うーん…偶然、温度条件が揃ったのかもなあ」


 燻製にはホットスモークとコールドスモークという技法がある。

 特に後者は燻製の煙の温度を思い切り下げて25℃以下で長時間燻すことで、煙の香りが残りつつ、高熱を通していないので食材の風味が損なわれず、しかも長期保存が効く。現代でも高級品だ。


 普通は煙トンネルを長くクネクネと何メートルも伸ばして煙の温度を低下させつつ、適切な温度帯になるよう温度計で測りながら分離板などで風量を制御して何時間も注意して燻さないと出来ないはずなんだけど。


 子どもの素人仕事で煙が漏れて外気が流入してトンネル温度が下がり、試しに燻製にしたタラの卵が小さな欠片だったせいか、偶然にコールドスモーク状態のタラの卵が出来てしまったようだ。


「この味を再現できたらいいなあ…」


 コールドスモーク技法で食品を保存出来たら、家で干している冬の保存食の味も少しはマシになるかなあ。


 高級品の味がするタラの卵の燻製を齧り、密造した塩を石鍋から木の専用カップに匙でこそげ取りつつ、僕は能天気にも、そんなことを考えていたのだった。

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転生したらヴァイキングの農民でした。文化勝利を目指します ダイスケ @boukenshaparty1

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