フォトリーズニング

フォトリーズニング 桜の写真の秘密 1

 一人の女性がこの世を去った。

 半生を共にした夫と。

 産み慈しんだ子供達と。

 そして、彼女の血が脈打つ孫たちに見守れながら……一人の女性がこの世を去った。

 

 病室の外では桜の木々が春風に舞い、今年最後の彩の時を迎えていた。

 

 フワリとした巻き毛に眼鏡をした背広姿の兄は三十歳前の男と言うよりは社会出たての新入社員に見える。

 

 つまり、年の割に若く見えるという事だ。

 

 東雲夕矢はダイニングでパクリとパンを食べながら部屋から出てきた兄の夕弦を見て

「今度はどこの会社に入るの?」

 とポヤンと問いかけた。

 

 夕弦はそれにネクタイを締めながら

「化粧品会社の広報部。CMの打ち合わせに同行する新人社員だ」

 と応え、弟の夕矢を見ると

「サインくらいなら貰ってやるが握手はダメだ」

 と眼鏡のブリッジを軽く押し上げながらニッと笑い返した。

 

 誰がそんなこと頼んだよ。

 と夕矢は内心突っ込みながら

「別に良いよ。俺、ゲイノウカイ興味ないし兄貴の仕事の邪魔するつもりはないから」

 と答え

「夕飯いるかなぁって気になっただけ~」

 気を付けていってらぁ、とピラピラと手を振った。

 

 夕弦はそれに少し苦笑いを浮かべながら

「サインくらいなら本当にもらってきてやるのに」

 とぼやきつつ、カバンを持つとそのまま戸を開けて家を出た。

 

 両親が事故で他界したのは9年前。

 夕矢が小学三年生の時で兄の夕弦ですら高校三年の卒業直前であった。

 

 夢も。

 希望も。

 そういう色々なモノを抱いていた頃だ。

 

 だが、兄は受かっていた大学の入学を辞めて高校の友人の親が紹介してくれた会社へと入社した。

 

 そこで与えられた仕事が諜報活動だった。

 それから9年。

 その仕事を兄はずっと続けている。

 

 自分との生活の為である。

 当時の兄の友人たちはそれぞれ大学へ行き自分の望む道を歩いている。

 

 兄だけが……その友人たちの中で未来を変えてしまった。

 

 夕矢は朝食を終えると兄の部屋を横目に

「ほんと……邪魔するわけねぇよ」

 と呟き、自室へ入り鞄を持って家を後にした。

 

 夕矢と兄の夕弦が暮らす家は七階建てマンションの角にある。

 家を出ると門があってそこを出てから共有の廊下を渡ってエレベーターか階段で下へと降りる。

 

 夕矢は何時もエレベーターを使わず、階段をリズミカルに降りながら自動ドアを出てすぐ前にあるバス停から学校へ向かう路線バスに乗り込むのだ。

 

 以前にエレベーターを待ってバスに乗り損ねるという事態を招いたことがあったからである。

 

 彼は外へ出ると空を仰ぎ、目を細めた。

 頭上では青空が広がり、数日前まで華やかだった桜も今は瑞々しい緑の葉桜へと姿を変えていた。

 

 夕矢が学校に登校し教室に入った瞬間……親友の芒野尊が声をかけた。

「おーい、ゆや、ゆや、ゆ~や」

 ちょっと話があるんだけど

 

「こっちこいよ」

 と呼ばれて夕矢は鞄を自分の席の上にポンと置くと

「人を風呂屋のように呼ぶな」

 と言いながら尊と他のクラスメイトが屯する輪の中に入って中央の机に置かれている一枚の写真に目を向けた。

 

 モノクロの古い写真である。

 いや、モノクロだったのだろうが今はセピアに近いかもしれない。

 

 歳月を感じさせる写真であった。

 

 夕矢はジッと視線を落とし

「何? この写真」

 と問いかけた。

 

 それにクラスメイトの一人である三ツ葉冴姫が椅子に座り

「おばあちゃんの本に挟まっていた写真なの。おじいちゃんは写真に覚えがないっていうし、何処か分からないし、ほっとけばいいんだけど裏書がねぇ」

 と困ったように笑みを浮かべた。

 

 写真の裏には『忘れない』とだけ書かれていた。

 

 何を? とも。

 何が? とも。

 書いてはいなかったのである。

 

 夕矢は写真を手にするとペラペラと表と裏を何度も見て

「それで? 何が問題なんだ? 気になるならおばあさんに聞けばいいことだろ?」

 と告げた。

 

 冴姫はそれにう~んと唸りながら

「おばあちゃん、このまえ亡くなって……遺品整理の時におじいちゃんが見つけたんだけど、おじいちゃんは気になってるみたいで……でも、でも、もしも……忘れませんっていうのが……彼とかだったらね」

 おじいちゃんに探させるわけにはいかないし、と夕矢をちらりと見た。

 

 尊は夕矢の顔を覗き込むように見ると

「お前さぁ、こういうの得意だろ? 探したり見つけたりするの、探索の鬼!」

 と指を向けた。

 

 夕矢はその指を手で余所に向けながら

「いつもお前らの探し方がずさんなだけだろ? 俺が特段得意ってわけじゃない」

 と応えジーっと見つめてくるクラスメイト達の視線に顔を顰めた。

 

 得意ではないが彼女の言っている意味も分かる。

 彼女の祖父の気持ちは理解できるが、もしも良くない事実が隠されていてショックを受けたらと考えてしまう。

 

 夕矢は写真を手に

「わかった」

 と応え

「この場所の特定で良いんだな? それで何もわからなかったとしても俺は知らないからな」

 と冴姫に告げた。

 

 彼女はウンウンと頷くと

「わからなかったら、そのままいうし」

 と答えた。

 

 夕矢は写真を見つめ

「先ずは写真の中に場所を見つける手掛かりを探す」

 と呟いた。

 

 古びたそれに映っていたのは一本の桜の木であった。

 満開の花を湛え日差しを浴びる桜の木。

 他に映っているのは川と橋だけであった。

 が、これと言って特徴のある川でもなければ、橋も短い木の橋である。

 

 夕矢は小さく息を吐きだすと

「写真だけじゃ……分からないよな」

 と呟いた。

 

 例えば特徴のある建物なり山なり写っていれば特定できるだろうが……小さな川にそこに架かる木の橋だけでは判断のしようがない。

 

 それこそどこにでもある風景なのだ。

 

 夕矢の言葉に横から見ていた友人の尊も

「だよな、それこそその辺の川の桜だって言えば言えなくもないもんな」

 とぼやいた。

 

 夕矢は冴姫を見ると

「取り合えず写真借りていいか?」

 と聞き、彼女が頷くと

「サンキュっ」

 と応えて席へと戻った。

 

 ちょうど始業のチャイムが響き、一限目の数学の教師が姿を見せたのである。

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2025年12月12日 20:00
2025年12月13日 20:00
2025年12月14日 20:00

東都探偵物語 如月いさみ @isami_ky

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