第7話
洞窟の事件から数日たった日の朝の事。馬車の馭者であるマックスが家に尋ねてきた。
「ルルカ、ディオ、いるかい」
「おはようマックス。今日は診療の日じゃないけれど・・・どうしたの?」ルルカが出迎えた。
「おはようマックス。」ちょうどディオも日課の畑仕事から帰ってきた。
実はな、と切り出したマックスは胸元から一通の封筒を取り出した。その封筒は立派で、平民では使わないであろう高価そうな紙で作られていた。ほい、とルルカに封筒を渡した。
「なあに?」ルルカは封筒を受け取ると差出人を確認するために裏を見た。
そこには城下町モンテールの領主、ヒスタチアの封蝋印が押されていた。
「あらあ?」とルルカは素っ頓狂な声を出した。ディオも覗き込んだ。
「もしかしてこの前のエリクサーのことじゃないかな」
「ああ、そうかも」ルルカにとっては既に過去の事と記憶から薄れていたようだ。
とりあえず読んでみなよ、とディオがルルカに促すと、ルルカはそうね、というとビッと雑に封を開けた。
「母さん・・・仮にも領主様からの手紙なんだから・・・」ディオは呆れて言った。ルルカはこういうところ大雑把なのだ。
ええと、と封筒から手紙を取り出すと読み始めた。
ルルカ・ブレイグ
ディオール・ブレイグ 殿
此度は貴公らが献上されたエリクサーのおかげで、娘の命が助かった。
直接貴公らに礼を伝えたく、登城して欲しく願い申し上げる。
もしよければ、貴公らの都合に合わせてささやかな祝いの席を設けたく思っている。
それでは、快い返答を願う。
ヒスタチア領主 ベルゲール・ヒスタチア
城下町のモンテール含め、今ディオたちが住むこの村もヒスタチアの領地に含まれている。
「何で俺の名前まで・・・」手紙を読み終えたディオはひきつった笑顔でもう一度手紙を見つめた。
ディオはあくまでルルカの作ったポーションを納品しただけだ。が、連名に載っているという事は恐らくラエルがディオの話も出したのだろう。
「お前らすごいな、何をしたら領主様から呼び出しなんてされるんだ」マックスは笑って言った。
「えー!やだー!祝いの席ですって!!やっぱりドレス買わなきゃー!」ルルカはやだー!と言いつつにやけが抑えきれていない顔で手紙を握りしめた。
「まだ諦めてなかったの・・・」にょろにょろと喜びを体で表現している母を横目にディオは、はは、と乾いた笑いをしながら言った。
「ディオ!!城下町へ行くわよー!」キラキラの目の奥にはドレスが見えたような気がした。
「街へ行くなら準備してくれ。そろそろ馬車を出す時間だからな。」わはは、と笑いながらマックスは言った。
こうなった母は止められない事を知っているディオは諦めて街へ行く準備をした。と言っても、持つのは財布代わりのアイテムボックスの皮袋くらいだ。
ルルカに納品できるポーションはあるのか確認して、作り置きしてあったポーションもアイテムボックスに入れた。ついでにラエルに卸しに行こう。
マックスと一緒に馬車まで行くと、村の人々はもう準備ができていたようだ。
「みんな待たせてごめんね~!」と満面の笑みでルルカが手を振った。こういう時、美人は得だよな、とディオは横目で喜びで輝いているように見える美しい母を見た。
じゃあ出るぞ、とマックスが馭者席から声をかけると、馬車は村から城下町へ出発した。
馬車の中では、あと数日で訪れるディオの10歳の誕生日についての話で盛り上がった。
10歳というのは、この世界で大人の仲間入りのようなものだ。もちろん酒などは飲めないが、親の許可なしで色々なことができるようになるのだ。その為、10歳の誕生日というのは特別であり、ちょっとした儀式なのだ。
この世界の子どもたちは10歳になると親元を離れ、冒険者になるためにギルドの門をたたいたり、騎士になるべくアカデミーに入ったりする。多くの者はそのまま家業を継いだり家の畑を手伝ったりするが、一つの人生の節目の為、子どもたち本人の意志を尊重する家がほとんどだ。
恐らくルルカもディオの意志を尊重してくれるだろうが、ディオ自身、特にやりたい事があるわけでもなく、今の生活に不満はない。
ただ、この世界をもっと広く知りたいと思うのも本音だ。
そうこうしている内に、城下町に着いたとマックスが馭者席から声をかけた。
ルルカは街に着くや否や、野菜の販売の準備をする村人たちに声を掛けて、例の城下町中央にあったブティックへ向かった。
「あら!あなたは先日のお美しいご婦人!本日はどうなさって?」
ブティックの女主人はブティックのドアに取り付けられたベルの音に振り向いて、ルルカを見て即座にツカツカとヒールの踵を鳴らしながら近づいてきた。近づくと、ディオにも「坊やも久しぶりね」と今日も強めの化粧をした顔で微笑んだ。
ルルカが女主人に今度領主が開く祝いの席に着ていくドレスが欲しいと伝えると、女主人は興奮気味に「それはそれは!」とルルカの両手をぎゅっと握り、
「わたくしが貴女に一番似合うドレスを選んで見せますわ!時間があるのならオーダーメイドで仕立てたかったところですが・・・今は諸事情につきましてオーダーの受付をストップしているところでして・・・。」
「私は既成のドレスでも構わないわ」語尾が申し訳なさそうにする女主人に向かって、ルルカはにこりと微笑んだ。
「・・・そうですわね!貴女程の美しさがあれば、ドレスはただの引き立て役に過ぎませんものね!」
そうとなれば!と女主人がパンパン!と両手を叩くと、他の女性従業員たちがドレスのかかった衣装掛けをずらりと持ってきた。その様子にルルカの瞳が語らずとも輝きだす。
その様子を呆れを含んだ笑みで見守りながら、ディオは店の端にあった長椅子に腰を掛けた。
ディオは改めて店内を見渡した。外装も豪華だったが、内装も立派だ。丸いホールのような造りの一階に、左右から二階へ上がれるように作られた回り階段。思ったよりも奥行きがあるようで、左右の回り階段を上った先にそれぞれドアが一つずつ、中央には両開きの立派な装飾が施されたドアがあった。恐らく一階の奥にも倉庫などがあるだろう。
一階の天井に吊るされた、立派なシャンデリアを見ていた時、ピロン、と勝手にウインドウが開いた。
「ん?」
“注意 近くに魔獣化しそうな人がいます”
・・・魔獣化?!
突然の予期せぬアラートに、ガタン、と椅子から立ち上がった。左の回り階段の先にあるドアに、赤い矢印ウインドウが出ている。
こんな街中で魔獣化?!ディオは何も言わずに階段を駆け上り始めた。ディオの突然の行動にルルカを含め全員が驚いたが、女主人が一番驚いていた。ディオがドアノブに手をかけ回した時、女主人の「いけない!坊や!」と大きな声が響き渡った。ディオはそのまま部屋の中へ入った。
窓をカーテンで締め切った薄暗い部屋の中、ベッドの上で悲痛な呻き声を上げる少年がいた。彼の身体は瘴気に包まれ、魔物のような異形な右腕を抑えるようにもがいている。矢印ウインドウは明らかに彼を指している。ディオはすぐさま彼に駆け寄った。
「大丈夫か!」心配するディオの声に気付いたのか、彼の瞳が薄く開き、「近寄ってはいけない、離れて・・・」とか細い声で言った。
ディオはすぐさま“浄化”のスキルを彼に向けて放ったが、魔物のような右腕が戻らない。
「くそっ!浄化じゃダメか!あのスキルなら・・・」浄化のスキルをかけたおかげか、少し彼の乱れた呼吸が落ち着いたような気がする。
ダダダダっと複数人が階段を駆け上ってくる音がすると、「坊や!いけない!」と女主人が悲鳴にも近い声で叫んだ。「ディオ!」とドレス姿のルルカも部屋に入ろうとしたが、女主人に止められた。
「奥様、中に入ってはいけません!」
「でもディオが!」無理にでも入ろうとするルルカを、女主人が喰い止めている。
小さな声で悲痛な呻き声を上げる少年を見て、ディオは冷静に言った。
「誰も中に入らないでください。ドアも閉めてください。」
「そんな!坊やも出てきて!」女主人はディオを心配したように声を荒げて言った。
「大丈夫です。俺に少し任せてもらえませんか。」ディオの澄んだ空色の瞳が、女主人を宥めた。
「・・・坊や、その子は私の息子よ。数日前から急に腕を痛がり出して、形も変わり始めて・・・上級ポーションでも治らなかった。」女主人は説明しながら涙を流した。
上級ポーションは死の淵まで、ギリギリの命を繋いでいる大怪我でも治せるとても高価なものだが、魔獣化は止められなかったのだろう。
「・・・大丈夫です。俺を少しでも信じてくれるなら、彼と二人きりにしてください。」
「僕は大丈夫だ・・・君に移ったらいけない・・・」ベッドの上の少年は息も絶え絶えにディオへ言った。そのか細い声はディオにしか届いていないだろう。
「ディオ、本当に大丈夫なのね。」落ち着きを取り戻したルルカが、ディオの瞳を捉えた。
「心配しないで、母さん」ディオは不安の色など全くないような笑顔で言った。
「・・・わかったわ。二人きりにする。でも、ドアのすぐそばで待つわ。変だと思ったら勝手に入るからね。」
「ありがとう、母さん。」
心配しない訳がない。それでも、息子が信じてくれとあの澄んだ目で言ったのだ。信じるのも、母親の役目だろう。今度はルルカがブティックの女主人を宥め、ドアを閉めた。
薄暗い部屋に、少年が二人。
一人は悲痛な呻き声を上げながら、一人はそのベッドの傍らに膝をついた。
「君、名前は?」ディオはとても穏やかな声で、彼に話しかけた。「ルイ・・・ルイド・アドワード」彼、ルイは時折痛みに目をぐっと瞑りながらもディオを見た。
「ルイか、名乗ってなかってたね。俺はディオ。ディオール・ブレイグ。ルイ、今から君の腕を治したい。でも、このやり方を俺は人に試した事がない。もしかしたら上手くいかないかもしれない。それでも俺を信じて欲しい。」
ルイはディオの澄んだ空色の瞳を見つめると、頷いた。
「ありがとう。君の勇気に、必ず応える。」
ディオは目を閉じ、ふーーーっと長い息を吐いて、気持ちを整えた。上手くいくのか、試した事はないんだと焦る気持ちを心の奥にしまい込み、異形になったルイの右腕と通常の肌との境目に手を当てて、「分離」と呟いた。
するとディオの手が光を放ちはじめ、矢印ウインドウがルイの右腕から手の甲にかけて表示された。この魔物のようになってしまった部分と元の肌を意識して、まるで間違えて貼ってしまったシールを優しく剥がすように神経だけを尖らせてルイの右肩から、手の甲へと、ゆっくりゆっくりスキル“分離”を発動し続けた。
“分離”もルルカに教わったスキルだ。ポーション精製する際に、材料の中化から不純物を取り除く時に使うのだと教わったが、教わった後、試しに森の傷んだ木の樹皮を剝がそうとした。しかしその時は初めてだったが故に、“収穫”スキル同様に、どこまでの範囲なのかという細かい調整ができず、木をえぐり取ってしまった。その後何度か木の樹皮やポーション精製などで練習はしたものの、人に試した事はないし、この状態の腕に効くのかもわからない。だが、ディオの直感が、数あるスキルの中から、これだと告げていた。
ゆっくり、ゆっくりと。全神経を集中させて。矢印ウインドウが少しずつ手の甲に向かって短くなっていっている。恐らく、この矢印のスピードに合わせて“分離”させれば良いのだろう。きっとこのスピードよりも速くしても遅くしてもダメだ。ディオの頭の中で警鐘が鳴る。
剥がれる感覚が痛いのか、ルイは時折「ああ!」と呻き声を上げた。その度にディオの心拍数が上がる。
心を乱すな、集中しろ。ルイも耐えてくれている。もう少し、もう少し・・・・・。
どのくらいの時が経ったのか、実際には10分にも満たないわずかな時間が、ディオには長く感じた。きっとルイも同じだろう。最後の最後、矢印ウインドウが消失するのと同時に、手の甲の端の端から異形の塊が剥がれた。
ほっとするのも束の間に、また小さなウインドウが表示され、“魔獣化の痕跡を浄化してください”と表示され、ディオはルイの腕から剥がした異形の塊に向けて渾身の“浄化”をした。
先ほどは効かなかった“浄化”も、ルイから離れたからだろうか、跡形もなく異形の塊を消し去った。
「はぁ・・・終わったよ、ルイ。よく頑張ったね。」ディオは優しく、ルイに微笑んだ。
ルイは疲れた虚ろな目だったが、その目で右腕をじっと見つめ、「ありがとう」と涙を流した。ありがとう、ありがとうと。何度も。
ディオも全神経を集中させてスキルを行使していたため、額には汗が浮き、両手を後ろに床に着けて、はぁはぁと息を切らしながら、涙を流すルイを優しく見守った。
「母さん、入っても大丈夫だよ。」ディオは閉じていたドアに向けて声を発した。ドアの向こうで、恐らくじっと刻を待っていてくれている、ルルカに届くように。
「ディオ!」
「ルイ!」
ディオが声をかけるや否や、雪崩れるように二人が入ってきた。
ルルカはディオをぎゅうっと抱きしめ、女主人はベッドの上のルイを何度も上から下まで見ると、元に戻った右腕を見て、同じようにぎゅうっとルイを抱きしめた。ルイ・・・ルイ・・・と女主人の涙声が聞こえる。
「ルイは・・・魔獣化病に罹っていたのです。先ほども申し上げました通り、数日前に急に痛がり出して、上級ポーションでも痛みすら取ってやることすらできず、領主様へお願いして首都の神殿へと治療の依頼を出したところだったのです。ああ・・ルイ・・・何もしてあげられなくて、ごめんね。苦しかったでしょう・・・」
「魔獣化病は、近年になって急に発生した奇病です。身体の一部から全身へ、最終的には魔獣となってしまう病。発生原因も、治療方法もわからない。ただ、首都の神殿にいる大神官であれば、治せる見込みがあると噂があったのです。」
マダムはルイを抱きしめ、右腕をさすりながら、魔獣化病について説明してくれた。
そんな奇病があったなんてとルルカもディオも真剣な面持ちで聞いていた。そしてルルカはディオの方を持ち自分の方にぐいっと向かせると、
「ディオ。あんたって子は・・・本当に、無茶をして・・・。」一瞬怒られる!とビクリとしたが、ルルカは、優しくディオを抱きしめるだけだった。「帰ったらしっかり説明しなさい」と耳打ちをして。
「坊や。なんて言ったらいいのか・・・ありがとう。」
「気にしないでください、マダム。むしろ、マダムも、ルイも、俺を信じてくれてありがとう。」
「ディオ・・・本当にありがとう。」マダムの腕の中で、ルイがまた泣きながら、今度は笑みを浮かべながら言った。
「細心の注意を払ってやったけれど、魔獣化した部分を剥がす時に傷ついてしまった部分がある・・・ごめん、ルイ。体力も随分消耗しているようだし、ポーションを飲んでくれないか?」
ディオは「母さん、渡しても良いよね?」とルルカの了承を得てから、皮袋のアイテムボックスから上級ポーションを一つ取り出し、「ゆっくり飲むんだよ」とルイに渡した。
ルイはディオからポーションを受け取ると、蓋を外し、ゆっくりと飲み始めた。するとルイの全身がポウっと光り、右腕にあった傷だけではなく、全身の細かい傷も全て治り、顔にも活力が戻った。
「坊や、これは上級ポーションじゃないか!」
「うふっ!ルルカ印の上級ポーションよ!」とルルカが親指を立てて茶目っ気たっぷりに言った。
「ルルカ印・・・!もしかして奥様が領主様のお嬢様を救ったルルカ様?!」
「いやだわ、ルルカ様なんて。」様と持ち上げられてルルカは笑った。
「母さん、身体のどこも痛くない・・・むしろ力が漲ってくるみたいだ・・・!」ルイがマダムの腕の中で、満面の笑みで言った。ルイのその姿にマダムはまた涙して喜んだ。
「ポーションで身体の不具合は消えたと思うけど、無理はしないようにね」ディオはニカッと笑って言った。
「ありがとうディオ。でもずっとベットで横になっていたからかな、身体を動かしたくてたまらないんだ。」そういうとルイはベッドから立ち上がり、窓まで歩くとカーテンを開けた。その顔は涙で濡れていたが、晴れやかな笑顔だった。
マダムはその姿を見てまた涙して喜んだ。ルイは振り向くと、「はは、母さん!お化粧が崩れちゃってるよ!」と笑った。
「まぁ!それはいけないわね!」とマダムは笑うと、再びディオとルルカに礼を言い、「少々お待ちくださいませ!」と部屋を後にした。
風が吹いて、カーテンを揺らすと、「風がこんなに気持ちいいって、初めて感じるよ」ルイは涙跡が消えない顔で微笑んだ。カーテンを開けて陽射しが差し込んだ部屋には、大きな机と、スケッチブック、製図版のような大きな板が置いてあった。
部屋には穏やかな温かい空気が流れていた。
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