第2話

「って話されたんだよ、タイタン」

「………そうか」

ミルナが先ほどの女との一連の流れを説明するとタイタンは思案するように顔をうつむけた。


周りの人間達も少しだけ寂しそうに眉を顰めている。


「断ったのか?」

タイタンは聞く。

「あぁもちろんだぜ、俺は兄貴と一緒に生きるって決めてるからな」

「馬鹿野郎!」

ミルナの言葉にタイタンは怒号を上げる。


顔を歪め、歯を噛みしめているタイタンはいつも以上に辛い顔をしているようにミルナの目線からは見えた。


「ど、どうしたんだよ兄貴、いきなりそんな怒鳴るなんて」

ミルナは震えた瞳でタイタンを見つめている。

「お前、いい加減ここから出ろ」

「いや俺は嫌だよ、兄貴と一緒に」

「あめぇ事言ってんじゃねぇぞ!俺はずっとずっとおめぇなんか大嫌いだったんだ!早くこの場からいなくなってほしいってずっと、ずっと、思っていたんだ!!だから、だからお前はさっさとその女についていけ!俺には俺には、お前なんか」

「あに、き?」

瞳の中にあるハイライトがミルナから消えていた。


それに気づいてしまったタイタンは思わず口を塞いでしまう。


それでも歯を喰いしばりながら徐々に手を解いていく。


「お前なんか、俺に、必要ないんだよ」

「………くっ」

タイタンからの最後の言葉にミルナは顔を歪め、顔を逸らしむんつけたように背を向けて寝始めた。


「なんで、なんであんなこと言ったんだよ」

ぼそっと呟いたミルナの言葉はどこか物静かに空気に溶けていった。


「ミルナ、大丈夫か?」

囚人の一人がふてくされるミルナの肩に手を置く。

「ほっとけ、俺はなんともない」

それをばっと力強くあしらうミルナ。それを見て囚人は少し目を細めてからミルナと背中合わせになるように寝始めた。


その日はミルナが静かだったせいか、いつもミルナによる一人芸で盛り上がっていた檻は今日ばかりはどんよりとした空気が漂っていた。


そして静かな夜が明けた。


ミルナは起きてすぐタイタンの方を見る。


タイタンはすでに起きていて、物陰でごそごそと手を動かしていた。


柵から入ってくる斜陽が彼の後ろ姿を淡く照らしている。


「タイタン………なぁ昨日のってあれ、本当なのか?」

「………」

タイタンは答えない。怒っているようにも感じるその後ろ姿にミルナはそれ以上話しかけることができなかった。


「おい昨日と同じやつがお前に会いに来たぞ、出ろ」

「………あいつ、また」

がしゃん、と牢の扉が開かれてミルナだけが手枷をされたまま外に出される。


「おい、ミルナ!分かってるな?」

それを見たタイタンが怒号をあげる。ミルナはそれにびくっと肩を揺らして恐る恐るタイタンの方を見る。


「お前は行くべきだ」

「………兄貴」

ミルナはぐっと拳を握ってから看守の後ろについて歩いていく。


「お前は前言ったな、ずっとスラムで生きてきたから色んなものを知るために冒険してみたいと、そのチャンスが今ここにある、なら!断る理由はもうねぇだろ」

「兄貴」

「兄貴じゃない!お前はお前の意思で生きていくんだ」

「………う」

ミルナはそのタイタンからの言葉に一度押し黙り、振り返ろうとする自分を必死に律しながら歩いていった。


「それでいい、前へ進むんだ………俺はもう手遅れなんだから」

タイタンは頬を伝る一滴の水滴をぬぐい、ぎりっと歯を噛んだ。


そして再び訪れたあの女との邂逅の時、昨日と同じ部屋にミルナは通されていた。


静かな部屋は昨日より暖かく感じる。

「やぁ来たね」

昨日と同じ格子の先から聞こえる清廉な声、彼女から始まりそうだった会話はしかし、ミルナの一言によって強制的に始まる。

「………受けてやる」

「え?」

「だからよぉ、お前の話受けてやるって言ってんだ」

「ははっこれはまた予想外だ、何か心境の変化でもあったのかい?」

「……別に、ただ少しだけ世界を知りたいと思ったんだ」

「前に言ってた兄貴とやらに何か言われたかい?」

「………それは、その」

核心を突くような言葉に喉が詰まる。


その反応を見て確信したのか、彼女はふぅとため息を吐いて続ける。

「君はまた誰かの言う通りに生きていくって言うのかい?そこに君の意思は本当にあるのか?」

「あ、あるよ、俺は俺の意思で冒険に、行きたいと思ってる」

「違う、そこには覚悟がない、兄貴とやらに言われたことをしていれば大丈夫というように、兄貴の言う事だからその通りに生きようというように、介在していないんだよ、そこに君の意思が」

「………う、なんなんだよお前お前なんかに俺の何が」

「分からないさ、だがすべてが分からなくても分かることはある」

「ちがっ、俺は俺の意思なんだ、俺が行きたいから行くんだ」

「何回も言わせるんじゃあない、私はね言っているんだよ、覚悟を持ってこいと」

ぎりっと歯を噛んで鉄格子を睨みつける。


「私が今から君と歩もうとする旅路はあまりに厳しい道のりだ、大富豪フーゴは今や民間人だけでなく、政府も全力で探している、なぜかわかるか?フーゴは大富豪でありながら、世界のあらゆる知識を持っている、つまり政府にとって都合の悪い知識も持っているわけだ、そんな知識を他人に知られでもしたら世界の均衡が壊れてしまう、フーゴの財産は世界経済の20%にも及ぶから権力も相当のものだしね、だからこの旅は銃弾飛び交う戦場に足を突っ込むようなもの、つまり命がけなんだ、理解できたかい?まぁ君がその依存を解かない限り理解は難しいかもだけどね」

(命を、かける)


ミルナにとってそれは経験したことのないことだった。


ミルナが生きてきたのはスラム街だ、命の危機に迫ったことはある。


飢餓は勿論のこと、盗みに失敗して大人から殴る蹴るされることによって呼吸ができないことすらあった。


ミルナは命に手がかかる感覚だけは幾度となく体験してきた。


だが自ら命の危機に瀕する事態に突っ込もうという気概はない。どちらかというとなるべく命の危機に会わないように安定した人生を送ろうとしていたのだ。死ぬ瀬戸際を何度も味わってしまった人間にとっては当然の考えだろう。


人気のない道は完全に覚えていたし、店主が強い店では盗みを行わないし、体が壊れてしまいそうな食べ物は決して口にはしない。舐められたら様々な物を奪われてしまうから周りの人に当たり散らかして自分は強いと誇示し続けていたが反感を買って自分が死にそうになると潔く引ける、そういう生き方をしてきた。


そこには意地でも生き抜いてやるという強い意志があったのは確かだろう。


だからこそ、命をかけることへの恐怖は誰よりも強い。


この契約を了承してしまえば自分より遥かに強大な敵がいる戦場に足を踏み込まなければならない。


そう


「怖い………」

こぼれたの至極単純で受け入れがたい感情だった。

「いいねぇようやく君の意思が聞こえた」

女は軽く笑った。


ここから先の見えない道は果てしなく続いているようにも、すぐそこに崖が待ち受けているようにも感じる。


「タイタン」

逃げ道を探るように、ミルナはタイタンと出会った日のことを思いだす。


ミルナは粗雑に檻の中に放り投げられる。

「お前新入りか?」

「あぁ?んだクソジジイ!?」

がぁぁん!!と後頭部に強烈な一撃が入る。


「生意気なガキだなぁごらぁ」


タイタンは体がミルナよりはるかに大きく、そして当然力も強い。


ミルナは一瞬で悟った、この人間に逆らってはいけないと。


「あんたの命令は聞くぜ」

「あぁ?急になんだしおらしくなりやがって」

「俺は死にたくないからな強い奴の言うことは聞く」

「………はぁ負け犬根性極まれりだな」

タイタンは大きくため息を吐いて歯ぎしりするミルナを見下す。

「んだとぉ?」

「お前名前はなんていう」

「ミルナ、苗字は忘れた」

「そうか、じゃあミルナ一つお前に言っておこうお前のその生き方は既に負けている」

「俺の生き方が負けてるってどういうことだよ」

「強い人間がいればそいつにつく、それが自分にとって嫌いな人間でもきっとその方法は変わらないんだろう、お前はただ生きているだけだ、それは俺から言わせると生きながらに負けていることと同じなんだ」

「くっうるせぇな!じゃあ俺はどうしろってんだよ!こんな弱い、スラム街でしか生きたことのない弱い人間が!どうやって生きてたら正解だっていうんだよ!教えてくれ!あんたに分かるならな!」

「俺はお前みたいな青二才が嫌いじゃないからな、人生の勝ち方を教えてやるよ、だから」

タイタンはミルナの頭の上に手を置いてわしゃわしゃと手を動かしてにかっと快活に笑う。


「俺のことは兄貴と呼べよ」

その笑顔をミルナという人間は一生忘れることはなかった。


この日だった、この日を境に俺がタイタンに依存し始めるようになったのは。



俺は兄貴を信じていた。


兄貴は厳しかったけど、それと同時に優しかった。俺がしくったらちゃんと怒ってくれるし、殴ってくれるから俺のことをちゃんと見てくれていると思うことができたから。


兄貴がいたから外の世界に希望を持てた。世界には色々な財宝があるんだってことを知れた。


クソみたいな残飯を道端から拾い食いして、たまに降る雨水から水分を摂取したりする俺の現実は一気に色づいていったんだ。


夢も、できた。


兄貴と一緒に外の世界で生きる道、楽しいんだろうなって思いはあった。


だけど結局は兄貴の言葉で自分の進む道を変えていた。


兄貴が語った世界だから俺もそれを見て周りたいと勝手に思っていた。実際のところ世界を見たいという欲自体はあったんだろうが、その欲は隣に兄貴がいないといけないものだった。


気付けなかったんだ、自分が兄貴に依存しているんだってことに。


こいつの言葉からようやくそれに気付けた。


俺には覚悟がなかった。


人生の責任をいつの間にか兄貴に委ねてしまっていたんだろう。


人生の責任くらい自分で持つべきだって言うのにな。


「俺の人生は負けていた」

当時の記憶を思い返して唇をかみながら拳を握る。

「ん?」

「俺はただ生きていればいいって思っていたんだ、だけどタイタンに世界の綺麗さを教えてもらって歩き方を知って、兄貴と一緒なら自分らしく生きれるかもって思ってた、でもそれも違った、それは兄貴に依存した生き方だ」

「ふふっ」

ようやく気付いたかとでも言うように女が笑う。


「生き方は学んだ、だから今度は自分で歩く番ってことなのか」

自信はない、これが正解なのか不安でしょうがない。だっていつも隣に立っていると思っていたタイタンはその道にはいないのだから。


だがこのままでいいはずがない。


牢に閉じ込められた人生が周りと比べて勝っているわけがないからな。俺の人生は今底辺にいる、負けている、むかつくなぁ。


女は高笑いした後、口を開く。

「………もう一度問おう私と一緒に来てくれないか?何、茨の道ではあるがロマンはある、決して嫌なことばかりではないどっかの国の王にだってなれるさ」

「じゃあ俺も一つ聞くぜ、その道は勝てる道か?」

多分これが俺の心の底からの欲なんだろうな。


俺は今まで生きるために必死になっていた。その欲に気付けるほど余裕がなかった。


牢に入ってからは兄貴に依存して見ないふりをしていた。その方が楽だと思っていたから。


だが俺は気づいてしまった。


人に見下されるイラつきにも、今までの自分のふがいなさにも。


「あぁもちろんそうさ、もし君がフーゴを見つければ間違いなくこの世界における勝利者といえるだろう」

「どうやら俺は心の底から見下されるのが嫌いらしい、いいぜその道この命を賭けて付いて行こうじゃないか、だがその前に確認しておきたい」

「ん?なんだい?」

「俺に覚悟があるかと聞いたんだ、もちろんお前も覚悟を持っているんだよな」

「当たり前だぜフィン・ミルナ、もうとっくの昔にできている」

「フィン、それが俺の苗字か今知ったぜ、まぁとにかくこれで契約は成立ってことだな、アマ」

「私はライオット・ネル、ライオットと呼んでくれ」

「了解したアマ、で?俺はいつ出れるんだ?」

意地でも名前で呼ぼうとしない態度に呆れたのか小さくため息を吐いた後続ける。


「明日だ、今日すべての手続きを済ませるからね、牢屋の仲間たちに最後の挨拶を済ませてくるといい」

「分かった、じゃあまた明日な」

「うんまた明日」

今後長い付き合いになるであろう相棒との挨拶は案外シンプルに、最早冷えていると形容できるような態度で終わりを告げた。
















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