第9話 人生の網は混ざり合う糸

文化祭が終わった。


三年生引退公演「卒業する君たちへ」は、大成功だった。


用意した座席はすべて埋まり、立ち見が出るほどの満席。

体育館の隅まで拍手が響き、舞台の空気が震えていた。


最後の場面で三人の魔法使いが杖を後輩たちに託して旅立つ瞬間。

観客も、私たちも、息をのんで見守っていた。


カーテンコール。

舞台の上で、三年生の背中がひときわ大きく、輝いて見えた。





**


部室に戻ると、原野監督がすでにいた。


「ようやった。ほんま、ようやったな……」


眼鏡の奥で少しだけ光る涙。


――鬼の目にも涙って、ああ、こういうことだ。


続いて、ほのか部長が立ち上がる。


「ほんとに……みんなのおかげで、最高の部活でした。こんな日が来るなんて、思わんかったよ」


声がかすかに震えて、目に涙がたまっていた。

それでも、笑っていた。


そして、ほのか先輩は私をまっすぐ見つめて言った。


「次の部長は、まひる」


部室の空気が、すっと静まった。


「えっ、私……?」


すずが、うん、とひとつ頷く。

彩芽も、黙って目を合わせながら頷いた。


二人の視線だけで、背筋が伸びる。


「……わかりました」


みんなの拍手が、胸の奥にふわっと染み込んでいく。


引退と継承。

舞台で描かれた物語が、そのまま部室で現実になっていた。


魔法の杖を渡されたみたいな感覚。


――次は、私たちの番だ。




***




文化祭が終わり、部活はしばらくお休み。

学校は期末試験モード。

私も久しぶりに台本じゃなくて問題集を開く日々になった。


けれど、部室の片付けだけはしておきたくて、放課後そっと顔を出した。


部室の扉を開けようとした瞬間……

内側から扉が開き、思わぬ相手とぶつかりかける。


「え……ママ?」


制服の私を見たママが、小さく目を丸くした。


「あら、偶然ね」


「ママ、なんで?」


「ちょっと先生とお話ししてて……仕事があるから、先帰るね。じゃ、頑張って」


それだけ言って監督に頭を下げ、去っていった。


私は意味がわからなくて、部室に入るなり監督に尋ねた。


「監督……ママ、何しに?」


原野監督は、にやっと笑いながら言った。


「文化祭で見かけてな。見覚えあるな〜と思って声かけたら、やっぱり。

お前のお母さん、昔、うちの部員やったんよ。懐かしくて昔話してた。ほら、これ」


「……え?」


監督は、古いアルバムを取り出した。


“伊予西中学校演劇部”


手書きされた色あせた表紙。

ページをめくると、昔の集合写真が現れた。


「先生、若っ」


「うっ……ごほん」


「これ……ママ?」


写真の中央で表彰状を持って笑っている少女。

目を凝らすと、そこに“優勝”の文字。


「えっ、ママって優勝してたの?」


「そや。しかも全国大会でや」


声が出なかった。


ママが演劇部だった。

しかも、全国優勝の主役だった。


その事実が、胸の奥で静かに鳴り続けた。




***




家に帰って、すぐママに聞いた。


部室でのこと。

どうして演劇部に?

どうして言わなかったの?


ママは少し考え、それからゆっくり話し始めた。


「中学のときね、全国大会で優勝したの」


私が固まっているのを見て、ママは少し笑って続けた。


「それで高校を卒業したらすぐ東京に出て、小さな劇団の研修生になったの。

アルバイトしながら、稽古して、オーディション受けて……」


その頃の写真は見たことがない。

舞台衣装のママなんて想像もつかなかった。


「でもね、全然うまくいかなくて。稽古もオーディションも、だんだんどうでもよくなってしまった」


目線を落としたママの声が、ほんの少し震える。


「もうやめようかなって思った頃、パパと知り合って。

プロポーズされて……結婚って選択もありかな、って思ったの」


そして私が生まれた。


今日初めて知った“ママの物語”だった。


「それってさ……パパ、ちょっとかわいそうじゃん」


軽く言ったつもりだったのに、声が少しだけ震えた。


ママは優しく笑って、静かに言った。


「ママ、まひるにママの夢を押し付けていたのかも」


「私も、ママのためにお芝居してたのかもしれない」


「まひる……」


「お芝居するとママが喜ぶのが嬉しいのに、パパは不機嫌になって……

お芝居しようとするとケンカして……それが怖くて……

ううん、悲しかった。ママのためにやってることが、パパを怒らせてるのが」


ママの瞳がやわらかく揺れる。


「ごめんね、まひる。そんなつらい思い、させてて」


「でも、今は違う。自分のためにやってるから、すごく楽しいの」


ママは何度も何度も頷いていた。


その頬を、静かな涙が伝っていた。

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