スケ番とルルの配役入れ替えが告げられてから、部活の空気はどこか重たかった。

みんな台詞も声も、どこか遠回りしているように感じる。

私のお芝居が、やっぱり駄目だったということなのだろうか。

やっとスケ番役がつかめてきていたはずなのに。

もし本当に駄目なら、別の役になるはず。

なのに、よりによって主役。

なぜ？　どうして？　監督の考えが読めない。

考えれば考えるほど、心が絡まって抜け出せなくなる。

――もう、嫌だ。

＊＊＊

練習が終わったあと。

舞台袖でモップを片づけながら、私は意を決して声をかけた。

「監督……」

原野監督は床に広げていた台本を閉じ、顔を上げた。

「どうしたんや？」

「……どうして、私がルルなんですか？　スケ番役、続けちゃいけないんですか？」

監督は目を細め、少し間を置いてから静かに言った。

「……主役やるの、怖いか？」

喉が詰まった。

心の奥に、何かが触れたようだった。

答えられないでいる私を見て、監督は続ける。

「わしは、一番“向いとる”子に役つけとるだけや。上手い下手で決めとるんやない」

「……でも」

「主役も脇役も関係ない。どの役も、物語に必要や」

私はただうなずくしかなかった。

監督はいつもの柔らかい声に戻って言った。

「変なこと考える暇あったら、もっと練習せなあかん」

そう言って、監督は体育館の出口へ向かっていった。

誰もいない静かな舞台に一人立つ。

――明日は“ルルになる”ことだけ考えよう。

それだけで、きっと前に進める。

＊＊＊

衣装が完成した日、監督が全員を集めた。

「今日は衣装つけて練習するぞ。舞台に立つなら、形からやけん」

衣装とメイクをつけての、ほぼ本番さながらの練習。

演劇部に代々伝わる衣装は少し擦り切れていたけれど、私たちが手入れし、監督の奥さんが丁寧に仕上げてくれたものだ。

スケ番衣装は現代風にアレンジされているのに、どこか昭和の匂いを残していた。

まこと先輩がその衣装を身にまとった。

学ランにロングスカート。

金色のアクセサリー。

背中には赤い文字で「疾風怒濤」。

啖呵を切るシーンで、先輩はゆっくりと口を開いた。

「おら、泣いてんじゃねぇよ。あんた弱いんじゃなくて、まだ”怒り方”知らねぇだけじゃ！」

その声。その立ち姿。

誰も息をするのを忘れるほどだった。

……すご。似合いすぎる。

背の高いまこと先輩が衣装と台詞をまとった姿は、まるで本物のスケ番のようで、迫力が段違いだった。

監督が見ていた未来が、これなんだと誰もが確信した。

私もその一人だった。

何より、まこと先輩自身が一番輝いていた。

＊＊＊

まこと先輩の輝きに負けないよう、私は必死にルルを演じた。

衣装の襟を直すだけで、視線を感じる。

誰かが見ている。誰かが受け取ってくれる。

「逃げてばっかじゃ、なんも変わらへんよ。怖がらないで、前へ進みな！」

「うち、怖いんじゃない。……ただ、悲しかっただけ」

その台詞を放った瞬間、胸の奥で光るものがあった。

ああ、これだ。

――私の中に眠っていた“何か”。

　　私が、ルルになるんじゃなくって、ルルが私の中に入ってくるんだ。

スケ番役のときには届かなかった場所に、今、届いてる。

私がルルになり、ルルが私になった瞬間だった。

そして、ルルは教えてくれた。あのときの本当の気持ちを。

「芝居なんかやめさせろ」

そう言われたとき、怖くなって、お芝居ができなくなったと思っていた。

でも、違った。

――“ただ、悲しかっただけ”なんだ。

悲しくてお芝居ができなくなったんだ。

私は、今、舞台に立っている。

震えることなく、恐れることなく。

舞台の中心に、“居る”。

ここにいることで、あのときの悲しみを超える何かを感じる。

「まひる……ルル、やったな」

監督の声を聞いた瞬間、胸が熱くなった。

もう怖くない。

私は、舞台に立っていい。

＊＊＊

その日の練習後、空気は変わった。

誰も何も言わないけど、明らかに変わっていた。

わだかまりが、嘘みたいに消えて。

全員が台詞と動きに、自然と気合を入れはじめた。

この作品に、賭けてみよう。

そんな気配が、舞台の端から端まで、広がっていた。