夕日に染まる運動場の端で、声が響いていた。

「せーのっ、いち、にー、さん、しー！」

演劇部に入ってからの日々は、思っていた以上に“体育会系”だった。

校庭ランニング、腹筋、背筋、発声、早口言葉。

文化部とは思えないメニューが、毎日のように続く。

「……過去に戻れたらな……」

息を荒げながら、すずがぼそっと言った。

「え？」

「演劇が楽ちんって言った自分、殴ってでも止めたい」

「そ、そんなに……？」

「だって言った覚えあるもん。しかも結構自信持って」

すずは笑い、ペットボトルの水を飲むと、文句をこぼしながらも腹筋を淡々と続けた。

愚痴は言うけれど、絶対に手は抜かない。

その姿勢が、彼女らしい。

演劇部は、驚くほど真面目だった。

三年の先輩たちの本気に引っ張られ、私もすずも、必死でついていっている。

やがて練習は、台本の読み合わせに入った。

体育館の舞台。全員が輪になり、それぞれの役の台詞を読む。

そこへ、原野監督の声が飛んだ。

「お前、声の筋肉ちゃんとあるな。小田って言ったな」

「……はい」

「基礎がしっかりしとる。経験者か？」

原野監督は白髪混じりの国語教師で、演劇部の顧問歴は長いらしい。

普段は穏やかだが、演技指導になると鋭い。

みんなの信頼も厚い。

私は少し息を飲みながら、答えた。

「……小学校のとき、ちょっとだけ……芸能スクールに通ってました」

一瞬、空気が固まる。

まこと先輩が台本をめくる手を止め、美結先輩も視線だけこちらへ向けている。

監督は口元を引きしめた。

「……どうりでな。ただ、ドラマと舞台は違うぞ。舞台は“生”や。台詞は魂込めんと、客席に届かん」

私はこくりと頷いた。それ以上、誰も何も言わなかった。

すずは淡々と次の台詞を読み始めている。風が舞台袖からすっと吹き抜けた。

＊＊＊

練習が終わった帰り道。

体育館裏を抜け、すずと川沿いの道を歩く。

靴の音だけが並んで響いていた。

「……ごめん、今まで黙ってて」

私が言うと、すずは顔を向けずに答える。

「たぶん、そんな感じやと思ってた」

「え……？」

「動きとか、声の出し方とか。まひる、最初から“演劇の人”やったもん」

笑おうとして、うまく笑えなかった。少しだけ間を置いてから、私は口を開いた。

「……それが理由で、うちの親、別居中。たぶん離婚するかも……」

すずは歩みを崩さず、静かに言う。

「その話、重い？　無理して言わんでもええよ」

「……ううん」

沈黙のあと、私は独り言のように語り始めた。

「幼稚園のころ、人見知りがひどくて……ママが“積極性つけなきゃ”って芸能スクールに連れてったの」

「体験だけのつもりが、ちょっとした役が決まったりして……周りも喜んでくれて……」

「違う誰かになれるのが嬉しくて。でも、ママがどんどん前のめりになって……」

「家事よりも私のこと優先で、パパはそれを嫌がって。喧嘩が増えて……」

「それから、お芝居するのも怖くなって……学校に行っても居場所がなくて……不登校になって……」

「医者の人が“環境を変えた方がいい”って言って……それでママの実家のこの町に……」

全部話すと、胸の奥が少し軽くなった気がした。

今まで誰にも言えなかったこと。

すずはずっと黙って聞いていた。

そして、ぽつりと。

「今でも嫌？　演劇のこと」

「……」

「嫌なら、やめてもいいと思う。無責任には言えんけど……まひるといっしょに演劇するの、私は好きやし」

「怖いよ。今でも。練習なら声を出てるけど……人に見られるって思うと……」

声はかすれていた。