「次の方、どうぞ」


 ふいに声をかけられて驚く。

 まだ並んでから十秒も経っていないだろう。

 列は相当に長かったはずだが……。

 まあ、ここは『あの世』なのだ。

 不思議なことがあっても、おかしくはないか。


「まずは残留している記憶を、簡単にスキャンさせていただきます」


 受付の女性はそう言って、こちらへ手を伸ばしてきた。

 見た目はさっきの彼女に似ているが、何というかこちらは少し『未来的』な風貌だった。どことなく、宇宙人っぽい。


 彼女がこちらへ手をかざす。

 ふっ、と頭の中が白くなる。

 少し、心地よい感じだ。


「終了しました。奥の待機室へとお進み下さい」


 スキャンとやらはあっという間に完了した。痛くもかゆくもなかった。


 待機室とは何処にあるのかと訊こうとした瞬間、僕の体はいつの間にか見知らぬ通路の真ん中へと移動していた。

 ワープか。やはり彼女は宇宙人なのかも知れない。

 おそらく、この先に待機室があるのだろう。

 今までと比べるとずいぶん薄暗い道だ。

 恐る恐る、歩き出す。


 道を進むにつれて、だんだんと頭がはっきりとしてくるのを感じた。

 粉の効果が切れたのだろうか。

 これから記憶を消されるのだから、これは悪い傾向なのかも知れない。苦しい思いはしたくない。


 死ぬ前のことを思い出そうとしてみる。

 一番古い記憶は子供の頃のものだ。不思議と、今まで忘れていたような些細なことまではっきりと思い出せる。


 逆に最近のことはあまり思い出せない。確かさっき、自分は三十歳ということを聞いたが、どれだけ思い出そうとしても二十一歳までの記憶しかない。これは、良いことなのだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていると、視界の奥に扉が見えた。

 あれが待機室か。

 小走りに近付き、ノブを捻る。

 扉はすんなりと開いた。

 中は、十畳あまりの狭い部屋だった。

 誰もいない。

 ここで一人、どれくらい待つのだろう。

 壁の一部が座れるように出っ張っている。

 僕はそこに腰をおろした。

 疲労感は無かったが、無性に眠気を感じた。

 眠るのは、何だか怖い。

 仕方がないので立ち上がる。


「検査結果が出ました」


 突然、すぐ傍から声がした。

 良かった、退屈せずに済んだ。


「古い記憶に関しましては、標準と比べてかなり深く魂に刻まれているようです。近い記憶に関しましても、消去は順調でないようです。頭がはっきりとしてきていますね?」


「あ、はい」


 ふいに尋ねられ、少し慌てる。


「この場合ですと、かなり時間をかける必要があります。よって、この後の処理方法は『影』と決定致しました」


「影?」


「はい。この後、準備が済みましたら貴方には『影』として現世に戻っていただきます」


 事務的な説明だ。

 しかし、影に成るとはどういう意味だろう。


「記憶の根深さと前世の行いとを考慮致しまして、貴方には無機物の影と成っていただきます」


「無機物の影に?」


「今のところ花瓶を予定しております」


「花瓶……花瓶、ね……」


 違う、僕が聞きたいのはそういうことじゃない。


「影に成った後、どうなるの」


「記憶が消えるまでの間、影として現世で過ごしていただきます」


「それだけ? それだけで記憶が消えるの?」


「影とは、不定形なものです。光の角度や濃淡で様々に形を変えます。自分の意思で動くことの出来ないまま、体の形が勝手に歪み、変化し、分裂する状況を想像して下さい」


「ああ、それは辛そうだね」


「はい。そうして次第に自我を失っていき、それにつれて記憶も次第に消えていきます」


「なるほど。でも、なんで花瓶?」


「生物の影に成ると、その形の変化は無機物以上にめまぐるしく、多様です」


「その方が辛そうじゃん」


「確かに、一時の辛さは無機物以上です。しかし、その分記憶は早く消えていきます」


「なるほどね。無機物の場合は、じわじわと削られていくわけだ」


「その分、根深い記憶も無理なく消すことが出来るのです」


「ちなみに、僕が徳の高い人物だった場合は、何の影にされるの?」


「多くの場合は影ではなく、樹木などに一旦転生させます」


「ああ」


 御神木というやつだろうか。いや、違うか?


「でも樹木も生き物だよね? それって転生にならない? 記憶があるまま転生して良いの?」


「本来であればそうなのですが、樹木であれば、喋ることも自ら動くことも出来ませんので」


「とにかく特別な措置、ってこと?」


「はい」


 なるほど。よくわかった。


「ご質問は以上で宜しいでしょうか?」


「うん。ありがとう」


「それではこのまましばらくお待ち下さい。準備が出来次第、お声をかけます」


「了解」


「良き来世を」


 再び、部屋の中は静まり返る。

 ひとまず、座って待つことにしよう。


「影、か……」


 誰にともなく呟いてみる。

 あまり、深く考えない方が良いのかも知れない。

 抵抗すれば、長い戦いになりそうだ。

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