4
「次の方、どうぞ」
ふいに声をかけられて驚く。
まだ並んでから十秒も経っていないだろう。
列は相当に長かったはずだが……。
まあ、ここは『あの世』なのだ。
不思議なことがあっても、おかしくはないか。
「まずは残留している記憶を、簡単にスキャンさせていただきます」
受付の女性はそう言って、こちらへ手を伸ばしてきた。
見た目はさっきの彼女に似ているが、何というかこちらは少し『未来的』な風貌だった。どことなく、宇宙人っぽい。
彼女がこちらへ手をかざす。
ふっ、と頭の中が白くなる。
少し、心地よい感じだ。
「終了しました。奥の待機室へとお進み下さい」
スキャンとやらはあっという間に完了した。痛くもかゆくもなかった。
待機室とは何処にあるのかと訊こうとした瞬間、僕の体はいつの間にか見知らぬ通路の真ん中へと移動していた。
ワープか。やはり彼女は宇宙人なのかも知れない。
おそらく、この先に待機室があるのだろう。
今までと比べるとずいぶん薄暗い道だ。
恐る恐る、歩き出す。
道を進むにつれて、だんだんと頭がはっきりとしてくるのを感じた。
粉の効果が切れたのだろうか。
これから記憶を消されるのだから、これは悪い傾向なのかも知れない。苦しい思いはしたくない。
死ぬ前のことを思い出そうとしてみる。
一番古い記憶は子供の頃のものだ。不思議と、今まで忘れていたような些細なことまではっきりと思い出せる。
逆に最近のことはあまり思い出せない。確かさっき、自分は三十歳ということを聞いたが、どれだけ思い出そうとしても二十一歳までの記憶しかない。これは、良いことなのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、視界の奥に扉が見えた。
あれが待機室か。
小走りに近付き、ノブを捻る。
扉はすんなりと開いた。
中は、十畳あまりの狭い部屋だった。
誰もいない。
ここで一人、どれくらい待つのだろう。
壁の一部が座れるように出っ張っている。
僕はそこに腰をおろした。
疲労感は無かったが、無性に眠気を感じた。
眠るのは、何だか怖い。
仕方がないので立ち上がる。
「検査結果が出ました」
突然、すぐ傍から声がした。
良かった、退屈せずに済んだ。
「古い記憶に関しましては、標準と比べてかなり深く魂に刻まれているようです。近い記憶に関しましても、消去は順調でないようです。頭がはっきりとしてきていますね?」
「あ、はい」
ふいに尋ねられ、少し慌てる。
「この場合ですと、かなり時間をかける必要があります。よって、この後の処理方法は『影』と決定致しました」
「影?」
「はい。この後、準備が済みましたら貴方には『影』として現世に戻っていただきます」
事務的な説明だ。
しかし、影に成るとはどういう意味だろう。
「記憶の根深さと前世の行いとを考慮致しまして、貴方には無機物の影と成っていただきます」
「無機物の影に?」
「今のところ花瓶を予定しております」
「花瓶……花瓶、ね……」
違う、僕が聞きたいのはそういうことじゃない。
「影に成った後、どうなるの」
「記憶が消えるまでの間、影として現世で過ごしていただきます」
「それだけ? それだけで記憶が消えるの?」
「影とは、不定形なものです。光の角度や濃淡で様々に形を変えます。自分の意思で動くことの出来ないまま、体の形が勝手に歪み、変化し、分裂する状況を想像して下さい」
「ああ、それは辛そうだね」
「はい。そうして次第に自我を失っていき、それにつれて記憶も次第に消えていきます」
「なるほど。でも、なんで花瓶?」
「生物の影に成ると、その形の変化は無機物以上にめまぐるしく、多様です」
「その方が辛そうじゃん」
「確かに、一時の辛さは無機物以上です。しかし、その分記憶は早く消えていきます」
「なるほどね。無機物の場合は、じわじわと削られていくわけだ」
「その分、根深い記憶も無理なく消すことが出来るのです」
「ちなみに、僕が徳の高い人物だった場合は、何の影にされるの?」
「多くの場合は影ではなく、樹木などに一旦転生させます」
「ああ」
御神木というやつだろうか。いや、違うか?
「でも樹木も生き物だよね? それって転生にならない? 記憶があるまま転生して良いの?」
「本来であればそうなのですが、樹木であれば、喋ることも自ら動くことも出来ませんので」
「とにかく特別な措置、ってこと?」
「はい」
なるほど。よくわかった。
「ご質問は以上で宜しいでしょうか?」
「うん。ありがとう」
「それではこのまましばらくお待ち下さい。準備が出来次第、お声をかけます」
「了解」
「良き来世を」
再び、部屋の中は静まり返る。
ひとまず、座って待つことにしよう。
「影、か……」
誰にともなく呟いてみる。
あまり、深く考えない方が良いのかも知れない。
抵抗すれば、長い戦いになりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます