「あ、あ、あう、あああ!」


「ああ、もう、落ち着いて下さい」


 僕は無我夢中で女にすがりつく。

 この理解不能な現状を打破出来るのは、彼女以外に考えられない。

 いや、もしかしたらこの女が僕をここに閉じ込めた犯人かも知れない。

 しかし、それでも良い。

 とにかく、説明が欲しかった。


「……ちょっと、済みません」


 そう言って彼女は、何か粉の様なものを振りかけてきた。

 何だろうか。

 気になったが、僕はされるがままに、ただひたすら彼女にすがった。


「どうですか?」


 どうですか、とはどういう意味だろうか。

 それよりも早く──、


「た、助けてくれ!」


「良かった。声が出るようになりましたね」


 女が心底嬉しそうに言う。

 やはり、今まで声が出ていなかったのか。


「あ……」


「これで、お話しが出来ますね」


「あ、いや、助け……」


「助かりません」


 一瞬、何を言われたのかわからず、僕は固まってしまった。

 今、助からないって言ったか?


「え? あの」


「単刀直入に言います。貴方はもう死んだのです」


「あ、あ……」


 何と言ったら良いのかわからず、僕はあえいだ。

 死んだ?

 誰が?

 ……僕が?

 女の姿を改めてよく見る。

 白銀の長い髪を優雅に垂らし、その肌は抜ける様に白い。

 羽衣の様な薄衣をまとった体は、淡く輝きながら、床から数十センチのところに浮かんでいる。


 これではまるで、天使そのものじゃないか。

 翼があれば完璧だ。

 ということは、本当に俺は──、

 死んだのか?


「落ち着かれた様ですので、もう少しきちんと説明させていただきますね」


 違う。

 落ち着いたのではない。

 むしろ、頭の中はさっき以上に混乱している。


「では、説明を始める前に、貴方の年齢を聞かせていただけますか?」


「え? 僕の、ね、年齢ですか?」


「はい」


 唐突な質問に戸惑う。

 が、ここは素直に従うべきだろう。

 よし、僕の歳だな。

 僕は、僕の歳は……。


「じゅう……」


「じゅう、ですか?」


 あ、いや、違う、か。

 そうだ、もう十代のはずがない。

 おかしい。記憶が曖昧だ。


「二十……」


「二十?」


「二十、一、です」


 最後に「たぶん」と付けようとしたが、飲み込んだ。

 何故か自信がない。

 自分の年齢がわからないなんて、いくら何でもおかし過ぎる。


「そうですか……」


 女は「ほう」と息を吐いた。

 何だ。何だというのか。


「どうせ詳しく説明してもすぐに忘れてしまうのですが、一応、順を追って説明しますね」


 忘れてしまう、だと?

 どういう意味だ。

 少し、腹が立ってきた。

 無性に殴りたい衝動に駆られる。

 僕は、拳に力を入れようとした。

 しかし、体がまるで言うことを聞かない。

 動かない。

 どうして──。

 さっきの粉のせいか?


「まずは、そうですね……貴方が高校を卒業したところから説明しましょう」


 女は僕の戸惑いなど気付きもせず、淡々と説明を始めた。


「まず、高校を卒業した時のことですが、憶えていますか?」


 たかが数年前のことだ、忘れているはずがない。

 自分で言うのも何だが、成績優秀だった僕は希望の大学へと余裕で進学を果たした。

 今は大学三年。

 就職活動をするべきか、大学院へ進むか、どちらにするかが目下の悩み事だ。


「そう。憶えてらっしゃるのですね」


 僕の心の声が聞こえてでもいるのか、女は満足そうに頷いた。


「しかし、小・中・高・大学と、ずっと優秀だった貴方の人生は、そこから大きく崩れていったのです」


 女がまた「ほう」と息を吐く。

 何だって?

 だって?

 何故、未来の話を、過去の出来事の様に話すのか。

 この女には、未来が見えているとでもいうのか。


「貴方は、進学と就職とで非常に迷われました。ご両親は『お前の好きにして良い』と応援して下さいましたが……そのことは、貴方にとって耐えがたいストレスだった様です。仕方ありません。子供の頃からずっと親の敷いたレールの上を、ただ素直に、ただ優秀に進んで来ただけだったのですから。今更『好きにして良い』と言われても、困ってしまいますわよね」


 同情する様な顔で、女が言う。

 何だ。

 何なんだ、この、話は。

 僕は知らない。

 こんな話は、知らない。


「そして、貴方はストレスから逃げるために、ギャンブルへとはまっていきました。最初は少額をパチンコに使う程度でしたが、あっという間に使う金額は増えていきました。それまでギャンブルといったものを全くやったことが無かった貴方は、未知なる誘惑に心奪われました。学年が変わる頃には、競馬や麻雀にも手を伸ばし始めました。勉強は出来ても、ギャンブルの才能は無かった様ですね。負けは続き、仕送りやバイトのお金では足りなくなり、借金は倍々に増えていきました。パチンコの負けを競馬で取り返そうとする様な、それは不毛な毎日でした。結果、貴方は卒業を目前にして大学を辞めることになったのです」


「う、嘘だ!」


「本当です」


 ぴしゃりと言われ、僕は何も言えなくなる。


「学校を辞めたと報告した時、ご両親は、ただ黙って泣いておられました。想像だにしなかった出来事に、もはや怒り方さえわからなくなってしまった様でした。借金のことを話すと、お父様はただ『わかった』とだけ言い、貴方にお金を渡しました。『これで返して来い』と。その額は、借金を払って余り有るものでした。翌日、お父様からいただいたお金で借金を全て返済すると、余ったお金を握りしめ、そのまま街を出ました」


 嘘だ。

 嘘としか思えない。

 だって、僕にはこんな記憶はない。

 僕はまだ二十一歳で、進学か就職かで悩んでいて……。


「それからのことは……詳しい説明は避けますが、それはもう、酷いものでした。挫折することに慣れるということは、とても難しいことですが、貴方は免疫がなさ過ぎたのです。それ故に、一度落ち始めてしまったら、這い上がるという選択枝を取れなかったのでしょう。それを責めるつもりは有りません。しかし、貴方はあまりにも人を傷付け過ぎました」


 女が哀しそうな目で僕を見つめる。

 やめろ。

 僕はやってない。

 そんな目で、見るな。


「今、貴方はご自分のことを『僕』と言われましたが、家を出てから後、貴方はご自分を『俺』と呼ばれていましたよ」


 やめろ。

 お……僕の知らない僕の話をするな。

 こんなのは──、


「嘘では、御座いません」


 女が言う。

 やはり、心が読めるのか。


「今から二年前のことです」


 いったい、この話は何処まで続くのか。

 そしていったい、僕──僕は何歳なんだ。

 記憶喪失だとでもいうのか。


「三十歳になった貴方は、再び借金にまみれた日々を送っておりました。一方的に縁を切ってしまったので、もう、助けてくれるご両親もいません。貴方を思って下さるお友達もいません。もう、お金を借りられる当ては、一つもありませんでした。電気もガスも、水道も止められました。家賃も何ヶ月も払っておらず、来月には追い出されてしまう様な状況でした。そこで、貴方がお金を借りに行ったのは、何と言いますか……酷く、悪質な高利貸しだったので御座います。貴方は借りたお金をまた賭け事に使いました。当たれば全て返せると、信じていた様です。しかし、そんなに上手くいくはずもありません。借りたお金は、また無くなってしまいました。そして、貴方は罰を受けることになったのです」


「本当に? これは、本当の話──?」


「はい」


 女は静かに頷いた。

 到底信じることの出来ない話だったが、何故か信じ始めている自分がいた。


「貴方は、この山小屋に一人閉じ込められました。水も食料も与えられず、手足を縛られた状態で、です。季節は冬でした。もとより健康な状態で無かった貴方は、一週間程で、力尽きました」


 そこで女は言葉を切った。

 訪れる、一瞬の沈黙。

 耐えきれずに、僕は口を開く。


「もしかして、そこにある死体って……」


「そう。貴方です」


 死体の方へ視線を向ける。

 さっきまで腐敗して見えたそれは、今は空虚な骨と化していた。


「死ぬ直前、貴方は夢をみました」


「夢、を?」


「はい。とても、幸せな夢を……。そして、貴方はその夢を死んでから後も見続けました。そして今から数ヶ月前になって、ようやく夢と現実が混ざり合ってきた様でしたので、こうして私がやって来たのです」


「何の、為に?」


 理解すること、思い出すことを諦めた僕は彼女に尋ねる。


「良き来世の為に」


 彼女は再び天使の笑みで答えた。

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