道を抜けると一気に視界がひらける。

 そこは広大過ぎる程の空間だった。

 『受付』と言われて部屋の様な場所を想像していたのだが、ここは部屋というよりもはや『土地』である。


 目の前──といっても、おそらく百メートル以上先だ──には受付らしくカウンターが見えるが、その端は地平の彼方に霞んで見ることが出来ない。

 カウンターの中には一定の間隔を空けて一列に職員が並んでいるが、これだけの長さだ、いったいどれだけの人員が働いているのだろう。


 受付に並ぶ人数も並大抵のものではない。一つの窓口に数十人が並んでいる。確か男は、人も動物も同じように記憶を消す必要があると言っていたが、見える範囲には人間しかいないようだ。他の生き物は窓口が別になるのだろうか。それとも、虫なんかは死んだ時点でまっさらになるのか。

 後ろを振り返ると、そこは一面壁になっていた。どれだけの高さがあるのだろうか。おそらく想像も及ばない程のスケールなのだろう。壁には数メートル毎に穴が空いていた。どうやら、今俺が歩いてきた通路と同じものの様だ。時折中から人影が現われては、俺と同じようにきょろきょろとしている。


「さあ、さっそく受付に参りましょう」


 ぼうっと突っ立っている俺を急かすように、男が歩き出す。周りをよく見ると、一人で歩いている人間がほとんどのようだったが、俺の様に『案内役』が付いている人間も少なくないようだ。


 比較的短い列の後ろに並ぶ。


「これ、どれくらい待つんだ?」


「ご安心下さい。すぐですから」


 本当だろうか。見える範囲では動いている列など全くないように思えるが──。


 俺はもう少しよく周りを観察してみることにする。

 列と列の間隔は2メートルもない。前後の人間とは、手を伸ばせば届くくらいの距離だ。

 誰もが、少し不安そうな顔をしている。俺も、同じような顔をしているのだろうか。


「次の方、どうぞ」


 急に目の前で声がして、思わず驚く。

 いつの間にか、俺は列の一番前にいた。


「いつの間に……」


「あの世、で御座いますから」


 男が横から答えた。全く答えになっていない気がするが、何となく腑に落ちた。


「それでは、私の役目はここまでで御座います」


「え、いっちゃうのか?」


「はい。後は受付の指示通りにしていただけば大丈夫で御座いますから」


 戸惑う俺に、男は一礼して言った。


「良い来世を」




「それでは、これから受付をさせていただきます」


「はあ……」


 受付の担当者は綺麗な女性だった。少しだけ、テンションが上がる。

 陶器を思わせるような白い肌に、後ろで簡単に纏められた白く艶やかな長い髪。瞳の色は、ほとんど透明に近い程の青色だ。服装は何とも形容しがたい。薄い羽衣を羽織っている様にも、何も着ていない様にも見える。とはいえ、決していやらしい感じはしない。『天女』というフレーズが頭に浮かぶ。


「まずは残留している記憶を、簡単にスキャンさせていただきます」


 そう言って天女は、俺の返事も待たずに、こちらへ手を伸ばしてきた。

 俺の顔の前に、両手の平をかざす。

 一瞬、頭の中が真っ白になる。


「終了しました。奥の待機室へとお進み下さい」


「え? もう終わり?」


 もっと色々聞かれたり、書類にサインをしたりといった流れを想像していたので、いささか拍子抜けである。

 さすがあの世、とも言えるが、ここまで現世の受付の雰囲気を出しているのなら、手続きもそれらしくやって欲しいものだ。こんなにあっけなくては、心の準備が出来ない。


 そんなことを考えていると、ふいに、体が浮く様な感覚に襲われた。


 次の瞬間には、俺は見知らぬ通路に立っていた。

 後ろを振り返ると、天女の後ろ姿が見える。

 どうやらここは受付の向こう側らしい。

 つまり、この通路の先に『奥の待機室』があるというわけか。


 通路は今まで通って来た場所と比べると、多少薄暗い。不安を感じるとともに、何処かほっとした感覚もある。明るすぎる場所も、それはそれで落ち着かないものだ。

 ゆっくりと通路を進む。

 今のところ、奥までは見えない。壁に扉も見当たらない。何処まで続いているのだろうか。壁も床も天井も、今までと同じく雲の様な素材で出来ている。単調な景色に、少しずつ飽きて来た。驚くような出来事の連続だというのに、視覚的な刺激がないということは、こんなにも退屈なのだろうか。

 せめて、あの案内の男がいてくれればと思う。そうすれば、少なくとも退屈はしないだろう。聞きたいことも、まだ沢山ある。

 仕方がないので、今憶えていることを思い出そうとしてみる。

 真っ先に浮かんだのは家族の顔だ。名前こそ思い出すことが出来ないが、数え切れない程の思い出がよみがえる。その大半は子供の頃のものだ。懐かしさから、思わず目が潤む。誰が見ているわけでもないが、俺は慌てて涙を拭った。この愛おしい記憶達も、しばらくすれば忘れてしまうのだろう。

 気持ちを切り替えるように、先程までの出来事を振り返る。


 ──あれ? 俺……どうやってここまで来たんだっけ?


 ついさっきのことなのに、思い出せない。

 受付に並ぶまで、俺はどうやってそこまで来たのだったか。

 その前は何処にいた?

 俺は……死んだんだよな?

 誰かに、案内してもらったはず……。誰か、男に……。

 顔が、思い出せない。

 そういえば、新しい記憶の方が早く消えていくようなことを聞いた気がする。

 誰に、聞いたのだったか……。

 ああ、こうして俺の魂はまっさらになっていくのか……。


 また少し、涙が滲んだ。

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