男が自分の目の前で大きく円を描くように手を動かすと、何もなかった空間に光の穴のようなものが現われる。


「さあ、行きましょう」


 しかし「さあ」と言われても、こんな為体えたいの知れない穴をいきなりくぐれるわけがない。

 俺が躊躇していることに気が付いたのか、男がこちらへ手を差し伸べた。


「大丈夫で御座いますよ。別に、地獄へ連れて行こうというわけでは有りませんから」


「じゃあ、この穴は何処へ続いてるんだ?」


「あの世、で御座います」


「だから『あの世』って何処だよ」


 だんだんと苛立ってきた俺を見かねてか、男が口を開いた。


「それでは、先に『あの世』ついての説明を致しましょう。貴方は、何か特定の宗教を信じてらっしゃいますか?」


「……いいや」


「宗教によって『あの世』のイメージは様々で、その解釈も様々ですが、大勢たいせいとしては天国があり地獄がある、といったイメージでしょうか」


「まあ……」


「しかし、実際のところ、そんなものは有りません」


 男ははっきり言い切った。

 では、多くの宗教の考えは間違っているというのだろうか。


「ないとは言ってもですね、生前の行いによって、まあある程度の待遇は変わります。そういう意味では『有る』とも言えるのかも知れませんね」


 男は笑ったが、特に面白くはない。


「じゃあ、あの世って何の為にあるんだ?」


 俺は疑問をぶつけてみた。

 こほん、と男は咳払いをした。


「輪廻転生、という考え方が有りますね。厳密に言うと違うのですが、あの世は、それを管理する為に存在しているのです」


「輪廻、転生……」


「はい。生き物が死ぬと、そのものは肉体を捨てて魂だけの状態になります。そして、その魂の総数には限りがあるのです」


「つまり、常に世界の生き物の数は同じ、ってことか?」


「大雑把に言えば、そうで御座います。死んだものの魂は我々が回収し、その後新たな肉体を授け、現世へと転生させるので御座います」


「ははあ、そこで待遇の差が出ると」


「そうで御座います。なるべくは幸福な生を与えるようしますが、善人ばかりでは世界は成り立ちません。悪人は悪人として、転生を繰り替えすことになります。適度に種の入れ替えも必要になりますから、絶滅させたり新種を作ったりという調整も必要になります」


「なるほど」


「さて、人間にせよ獣にせよ虫にせよ、魂を転生させる際に一番重要となることがあります」


 男の顔つきが、一気に厳しくなる。


「回収した魂は、そのままでは転生させることが出来ません」


「どうして?」


「記憶が残ってしまっているからで御座います。そのまま転生させてしまうと、前世の記憶を残したまま、新たな生を生きることになってしまうのです」


 聞いたことがある。生まれたばかりの子供が言葉を話したり、知り得るはずのないことを語ったりすることがあると。そういった前世の記憶を残したまま生まれて来ることは、古くから、希にあることらしい。本やテレビで、何度か聞いたことがある。


「なので転生させる前に、魂から前世の記憶を消す必要があるのです」


「どうやって?」


「生き物が死ぬと、まず我々はそれを放置します」


「俺のように?」


「はい。監視はしますが、基本的には何もしません。そうして、自然と自我を失うのを待つのです。こちらも労働力に限界がありますから、自然と記憶を無くしてくれるに越したことはないのですよ」


 などとまるで人間のようなことを言う。この男は神か何かではないのだろうか。


「大抵は貴方のように数年も放っておけば、自然と記憶は真っ白になります。しかし、そのうちの半分程はですね、見た目には空っぽになっているのですが、実は内側に記憶を溜め込んでしまっているので御座います」


「内側?」


「心の奥底、とでも言いましょうか。とにかく、その状態のまま転生させるわけにはいきません。しかし、自然に空っぽにならない魂はですね、その後いくら放置しても、空っぽにはならないのです。それを未練というか希望というかはお任せいたしますが、とにかく、こちらとしては困ってしまうわけです」


「つまり、俺は困った奴、だと?」


「ああ、いえ、申し訳御座いません……ええ、そういった魂はですね、こちらで強制的に記憶を消すしかないのです」

「強制的に、記憶を?」


「はい。先程振りかけた粉、有りましたね?」


 男は袋を取り出して言った。


「まずはこれが第一段階となります。この粉を振りかけられて、記憶がなくなればそれで完了。そうでない場合は……」


「第二段階に移る、と」


「そうで御座います」


 男は『正解』とばかりに人差し指を立てて見せた。


「ええっと……一つ聞いて良い?」


「もちろんで御座います」


「正直、自分が死んだとか、これから記憶を奪われるとか、その辺も全く受け入れられてないんだけど……」


「それは……受け入れていただくしか……」


「生き返ることは、出来ないんだよね?」


「転生、という形になります」


「わかった。わからないけど、わかった。で、だ。俺が一番聞きたいのはさ」


「何で御座いましょう」


「その第二段階って、痛いの?」


「肉体的な痛みはありません」


「肉体的?」


「はい。もう肉体は有りませんので、物理的な痛みは御座いません」


「ああ、そう。物理的なね。じゃあさ」


「はい」


「精神的には、結構キツイ?」


「しかし、それもすぐに忘れてしまいますから」


 男は笑顔で答えたが、俺が聞きたいのはそういうことではない。

 俺は大きなため息を吐いた。


「選択枝は、ないんだな?」


「申し訳御座いませんが……」


「わかった。わかったよ」


 腹を括って、一歩前へ出た。

 学生の頃、不良という程では無かったが多少はやんちゃしたものだ。怖じ気づくのは好きじゃない。父親からも、ずっと「男らしくあれ」と言われて育ってきた。人生の最後に、悪あがきはしたくなかった。


「それでは、行きましょう」


 男が「どうぞ」と道を譲る。

 俺は短く息を吐いて気合いを入れると、光の穴の中へ飛び込んだ。

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