ジョーカー講師
音楽の世界は狭い。特に、どのような指導者に出会うかは、その後の人生や精神のありようを決定づけてしまう。私自身の音大受験から現在に至るまでの歩みを通じて、良き師を見極めること、そして万が一「ジョーカー」を引いてしまった時にどう振る舞うべきかについて、記しておきたい。
1. 「専門外」の選択に潜む罠
音大を目指すなら、専門科目——私の場合なら作曲だが——において一流の師を仰ぐのは当然の鉄則だ。だが、副次科目であるピアノや声楽、ソルフェージュの教師選びには、往々にして盲点が潜んでいる。
私はかつての情誼(じょうぎ)から、エレクトーン時代の師を頼った。ピアノを教えた姉の方は、人格も指導力も申し分なかった。彼女はバッハの『インヴェンション』を使い、左右の独立した表現を論理的に説いてくれた。問題は、その妹であるソルフェージュ講師だった。
2. 無能を「説教」で糊塗する者たち
一度だけのつもりが断り切れず、毎週通うことになった。その時点で、師弟の絆はすでに歪んでいた。彼女のレッスンは、一時間のうちの五十五分までが人格を否定するような説教に費やされた。「練習が足りない」という言葉が繰り返されたが、理論的な指導は皆無だった。
今にして思えば、彼女は「教える能力の欠如」という不安を隠すために、高圧的な態度で虚勢を張っていたのだ。組織の規律を持たないフリーの講師は、未熟であればあるほど、己の型を押し付けるか、感情をぶつけるための場を求めるようになる。
結果として第一志望の音大には受かったが、それはあくまで専門科目の賜物だった。合格後、月謝を渡す際に「迷惑だった」と告げた。彼女は逆上し、その金を叩き返してきた。その振る舞いに、私は彼女の未熟さを改めて確信した。
3. 二極化する個人講師の現実
社会人になって出会ったボーカル講師も、二回目からは自慢話に終始した。高額なレッスン料は、ただの浪費に終わった。
個人経営の講師には、驚くほど高潔で献身的な「本物」がいる。だがその一方で、組織では到底やっていけないような独善的な人間が紛れ込んでいるのも事実だ。この世界は、残酷なまでに二極化している。
4. 己を守るための流儀
もし君が、個人教室やフリーの指導者を探そうとしているのなら、次の三つのことを忘れないでほしい。
「義理」で契約を続けないこと: 親への負担や紹介者への面目を気にする優しさが、君の貴重な時間と精神を摩耗させる。
「高価な買い物」の提案には警戒すること: ピアノ科でもない者にグランドピアノを強要するような、生徒の未来より己の利益を優先する気配には敏感であるべきだ。
違和感を覚えたら即座に撤退すること: レッスンの前に吐き気を催したり、人格を貶められたりするような状況は、教育ではない。それは単なる「暴力」だ。
今日、ネットで情報を得ることは容易になったが、最後に頼るべきは己の感覚だ。「この男(あるいは女)は違う」と感じたなら、消えない傷を負わされる前に、一刻も早くその場を立ち去ることだ。
それが、君の才能と情熱を守り抜くための、最も重要な技術なのだ。
Assassin's Life 2 Ksk_47 @Ksk_47
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