ボランティアの沼
ボランティアは人脈やスキルを育むと言われる。だが、半世紀を生きてきた私の経験は、別のことを語っている。すべては、その組織がどれほど腐っているかにかかっているのだ。私が立ち会った「善意の現場」での、いくつかの中実(なかみ)のない話をしよう。
1. 「救済」が「私欲」にすり替わる瞬間
2009年、日本の自殺対策は転換点を迎えていた。官民が手を組み、基金が動いた年だ。年間3万人が自ら命を絶つ異常な状況の中で、私はこれ以上の犠牲を出したくないと願い、ある民間団体に加わった。
メンバーの肩書きは立派なものだった。医師、弁護士、僧侶、教育関係、マスコミ。だが、期待はすぐに崩れ去った。組織の腐敗が露呈したのだ。
プロの搾取。私が編集者だと知るやいなや、自分の本を会社の金で出せと執拗に迫る女がいた。
私情による内紛。代表の男が特定の女に資金を注ぎ込もうとし、他の女たちがそれを疑う。有能な専門家たちは愛想を尽かして消えていった。
目的の変質。本質であるはずの調査や分析は捨て置かれた。声の大きい年配の男たちが、若い女に取り入るための派手なイベントやカフェ経営に熱を上げていた。
私に回ってくるのは、不毛な調整メールと雑用だけだった。極めつけは東日本大震災の際、代表が放った言葉だ。「震災遺族のほうが優先だ」。命に優先順位をつける男の言葉を聞いて、私の心は完全に折れた。
2. 「選んであげた」という特権意識の恐怖
別の場所でも同じだった。ストリートピアノの管理ボランティアでは、SNSでの挨拶は無視され、後になって「名誉ある仕事として、無償で記事を書かせてやる」という傲慢な誘いを受けた。演劇ボランティアでも、表現を楽しみたかった私に押し付けられたのは、神経を削る営業と契約の仕事だった。
すべては無償の、ボランティアという名の下で行われたことだ。
3. なぜボランティアで「駒」にされてしまうのか
いくつもの団体を渡り歩き、私はそのいびつな構造に気づいた。多忙な現役世代(若い男・年配の女)は現場にはいない。そこにいるのは、自己実現を求める若い女と、暇を持て余して権威を振るいたがる年配の男たちだ。そこに実務能力のある人間が紛れ込めば、男たちの見栄を満足させるための便利な「駒」として扱われる。過酷な実務を押し付けられる構造ができあがっているのだ。
結論:リソースを守るための「賢明な撤退」
科学的な研究によれば、ボランティアの幸福感は年間100時間が上限だという。それ以上はストレスが上回る。収穫逓減の法則というやつだ。だが、目的が変質した組織では、幸福を感じるスタートラインにすら立てない。今の私は、安易なボランティアからは距離を置いている。
「諸行無常」の響きが聞こえる世界で、人の時間とリソースは限られている。誰かの自己満足や見栄のために、自分を切り売りする必要はない。そのエネルギーは、自分自身や、本当に信頼できる者のために使う。半世紀を経て、私はその結論に辿り着いた。
もしボランティアを選ぼうとしているなら、その組織が誰のために動いているかを冷たく見極めることだ。君の貴重な善意を、誰にも搾取させてはならない。
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