セミナーの8割はゴミ
怪しいという程ではないが、以前あるイベントで私が書いた文章で主催者が特に目を留めたのが「セミナーの8割はゴミである」という一節だった。
何故この言葉を綴ったのは、私自身がその「ゴミ」に高い授業料を払った当事者だったからだ。
1. 「10万円」という巧妙な価格設定
人生において、住居費や交通費、家電の買い替えは「環境維持」のための投資であり、無駄ではない。しかし、特定の業界セミナーは毛色が違う。
私が受講したのは、下北沢のある書店で開催されていた、業界の有名人が登壇する編集セミナーだ。豪華なゲスト、スパルタ式の課題。一見、人脈とスキルが得られる絶好の機会に見えた。しかし蓋を開ければ、脚光を浴びるのは大企業勤めの特定メンバーばかり。フリーランスや弱小出版社、学生といった「持たざる者」は、数ヶ月通っても相手にされない。そこにあるのは、一種の「出来レース」だった。
アホらしくなってキャンセルを申し出たが、返金はされない。ここで気づいたのは、「5万〜10万円」という価格設定の妙だ。
5万円以下では主催者の実入りが少なく、10万円を超えれば購入者は警戒する。だが「10万円」なら、もし失敗しても「授業料だった」と自分を納得させられる。芸能スクールやワークショップ、海外斡旋サービス。この価格帯には、期待と諦めの絶妙な境界線が引かれている。
2. 「夢」を売るビジネスの構造
こうした「意識高い系」を気取った煌びやかなセミナーは、世間を知らない若者たちの眼には、ひどく魅力的なものに映る。
だが厄介なのは、そこに参加した若者たちが、ただその場所にいるというだけで、自分までもが彼らと同じ高みに上り詰めたと錯覚してしまうことだ。
結局のところ、そのセミナーの正体は「夢」という名の、実体のないガラクタを切り売りする商売に過ぎない。
冷酷な事実だが、受講生たちも、そして主催者も、自らの手で確かな実績を積み上げない限り、この社会で本物の敬意を勝ち取ることは決してないだろう。
私は音大出身だが、芸術の世界で夢を叶えられるのは一握りだ。音大や芸大の学費は医学部・歯学部などに次いで高額だが、その費用対効果(ROI)は極めて低い。対極にあるのは、地味だが確実に需要がある電気工事士やインフラ保守といったITスキルだ。
厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を引くまでもなく、市場価値のない分野で「自己実現」を煽るセミナーは、就活市場では無力である。
3. 主催者側の「懐事情」を見抜く
なぜ、文化人や元インフルエンサーは、こぞってセミナーやサロンを開きたがるのか。
それは、彼らの本業だけでは市場の需要が追いつかず、十分な収入を確保できないという切実な裏事情があるからだ。マーケティング的な「行き止まり」を解消するために、若者の将来への投資を吸い上げる装置が必要になる。
「仕事を斡旋する」と称して名簿登録を促す類のサービスは、高確率で眉唾物だ。
私たちは、提供される華やかなイメージに惑わされてはならない。その投資が「将来のリターン」を生むのか、それとも単なる「他人の生活費の補填」に終わるのか。リスクとリターンを冷静に記録し、事後分析を続けることが、負の連鎖を断つ唯一の道である。
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