Amazonを離れた理由
時間軸の話には、まだ続きがある。経済と時間の関わりについて、もっと身近な例を挙げよう。たとえば、Amazonだ。
一九九〇年代のインターネット黎明期、彼らは実店舗には不可能な膨大な品揃えを提示してみせた。容易な検索、迅速な配送、そしてレビューによる透明性。それらは瞬く間に消費者の支持を勝ち取った。
当時、編集の仕事を始めたばかりの私は、取次との不平等な関係にひどく消耗していた。だから、Amazonとの取引が始まったときは救われた思いだった。在庫が正しい数値で把握でき、無駄な納品と返品を回避できる。私はその透明性の恩恵を存分に享受した。だが、ここで語るべきは、あくまで一消費者の立場としての話だ。
私が利用し始めた二十年前、そこには確かな利便性があった。しかし、年月とともに送料は上がり、価格も高騰した。特に二〇二〇年のパンデミック以降、他社と比較してもその高さは無視できないものになった。
彼らは利便性を売りにするが、その裏側には罠がある。配達日時を指定しようと操作するうちに、いつの間にかサブスクリプションの契約に誘導されるのだ。私も数ヶ月間、その支払いに気づかぬまま放置していたことがあった。確認を怠った私にも非はあるが、あの意図的に分かりにくく設計された仕組みには、不信感を抱かざるを得ない。操作を一つ見落としただけで、勝手に置き配に指定されていたこともあった。
秩序の崩壊はさらに続く。小型家電のページを開けば、サクラレビューが溢れかえっている。私は判別アプリを使い、商品を選ぶ前にまず真偽を確かめるという工程を自分に課した。だが、そんなことを繰り返すうちに、ひどく疲れ、何もかもが空虚に思えてきた。結局、私は選ぶのをやめた。その国から持ち込まれた無秩序を放置し続けるプラットフォームを、もはや信頼することはできなかった。
近所の店には、今や単価の高い商品しか置かれていない。だからネット通販を利用せざるを得ないのだが、選択肢はAmazonだけではない。ヨドバシは品揃えこそ及ばないが、送料は基本無料で、日時の指定も正確だ。私はこちらを優先し、時折、楽天を併用するようになった。
ネット通販というものも、時間とともにその価値を見直すべき時期にきている。そういうことなのだろう。
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