第3話 火、名を告ぐ
イレギュラーの咆哮が、路地を震わせる。
黒猫は大和が完全に視界から消えたのを確認し、即座に意識を切り替えた。
影の獣が跳ぶ。
黒猫は重力を傾け、自身の身体を大きく捻って回避する。
直後、地面が砕けた。
コンクリートが抉れ、破片が路地を跳ね回る。
(……サイズも動きも、洒落にならない)
わずかに距離を取りながら、黒猫は周囲を使う。
配管、看板、瓦礫。
重力を操作し、弾丸のように叩きつける。
ガンッ、ガガガン——!
直撃。
だがイレギュラーは一歩も退かない。
影の塊が軋むように揺れただけで、すぐに体勢を立て直す。
(……効いてない)
黒猫はもう一度、大きく距離を取る。
影の獣と黒猫は、数メートルの距離を挟んで向かい合っていた。
互いに動かない。
だが、次の一瞬で命が失われる空気だけが張りつめている。
イレギュラーの爪が、わずかに地面を抉った。
黒猫は重力を整え、踏み込む準備をする。
——その瞬間だった。
空気が燃えた。
音もなく現れた炎の軌跡が、
イレギュラーの“背後”を切り裂く。
気付く間もない。
一閃。
炎をまとった刀が、影の獣の首を刎ね飛ばした。
首が宙を舞い、胴体が時間差で崩れる。
だが、攻撃はそこで終わらない。
刃は止まらず、
首を落としたその勢いのまま、進路を変える。
標的が切り替わる。
黒猫。
「——っ!」
黒猫は反射的に後方へ跳んだ。
炎の斬撃が、さっきまで黒猫のいた空間を焼き裂く。
回避と同時に重力を操作し、
黒猫は壁を蹴って上方へ逃れる。
一気に屋上へ。
距離が開いた。
地上では、黒い影が、蒸気のように舞い
イレギュラーの巨体が崩れ落ちた、その中心。
——空間が、震えた。
低く唸るような振動とともに、
黒い結晶が地面から引き剝がされるように浮かび上がる。
エネルギーストーン。
ソフトボールほどの大きさ。
重力に逆らい、宙で静止する異物。
次の瞬間だった。
黒猫が――落ちた。
跳んだのではない。
躊躇なく、屋上から身を投げた。
加速する。
空気を裂き、風が鳴る。
落下。
ただし制御されていない“減速”ではない。
重力をねじ曲げ、進行方向だけを固定した落下。
速い。
ただ落ちるより、明確に速い。
地面が迫る。
同時に、地上の炎が動いた。
炎を纏った少女が、刃を引きながら踏み込む。
狙いは同じ——ストーン。
だが、黒猫の方が一瞬早い。
落下の最中、片手を伸ばす。
直接触れない。
意志だけを通す。
ぐにゃり、と空間が歪み、
エネルギーストーンが黒猫の掌の“外側”で制御された。
——確保。
その刹那。
轟、という爆音とともに炎が弾けた。
少女が、黒猫へ向かって踏み込んでくる。
火の尾を引き、殺意だけが一直線に突き出されている。
もう、避けるしかない。
黒猫は地面を踏み、
今度は完全に重力を反転させる。
下ではなく、上へ。
激しく跳ね上がり、炎の刃を大きくかわす。
刃が空を裂き、
背後の路地が爆ぜた。
だが黒猫は振り返らない。
そのまま空間を滑り、
一息で元の屋上へと戻る。
着地。
フードが揺れ、
制御されたままのエネルギーストーンが、静かに隣に浮かんでいた。
地上では、炎の少女が刃を構えたまま、無言で見上げている。
距離が、再び戻る。
屋上と地上。
わずかな高低差を隔てて、二人は無言で向かい合った。
風が吹く。
熱を含んだ空気が揺れ、炎の名残が夜に滲む。
黒猫は動かない。
胸元に制御されたエネルギーストーンを浮かせたまま、ただ炎の少女を見下ろしている。
炎に包まれた少女が、静かに一歩前へ出た。
刃は構えたまま。
だが、声だけははっきりと夜に通る。
「——
一拍。
「西明寺
余計な言葉はない。
威圧も挑発もない。
ただ、“名乗り”として必要な分だけを置く。
「貴様を敵性の
刀剣を振るう者の、静かな宣告。
だが——
黒猫は、何も返さなかった。
猫のマスクが僅かに風に揺れ、
次の瞬間、重力が歪む音がした。
地を蹴るでもなく、跳ぶでもなく、
黒猫は夜空へと滑るように飛び立つ。
一瞬で距離が開く。
穂乃果はそれを追わない。
追えないのではない。
——追っても、間に合わないと分かっている。
そして。
今この瞬間、優先すべき任務は明白だった。
イレギュラー殲滅。
逃げ遅れた市民の安全確保。
炎が揺らぎ、
赤い熱がゆっくりと夜に溶けていく。
穂乃果は大きく息を吐き,
刃を水平にし、静かに構えを解いた。
——カチリ。
乾いた音とともに、刀は鞘に収まる。
再び夜が静けさを取り戻す。
だが、穂乃果の視線はまだ、屋上の先を見ていた。
——あの黒猫の向かった先を。
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東京ジパング コマルヒロチ @HEROZ
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