第4話 記者会見
会見場には大小様々なマスコミが集まっていた。
長テーブルに一列に並んだ僕たちを無数のカメラのレンズが睨んでいる。
ゆうに100人は超えている彼らが滲ませるギラギラとした好奇の香りに咽せそうになりながらも、机の下で白鳥さんが手を握ってくれたからなんとか耐えられた。
大軍に立ち向かう英雄のように、松金先生は先頭に立ってマスコミの質問に答えてくれた。
「私たちはヒデヤに稽古を付けていただけだ。皆様がご存知のように彼は10年、いや100年に一人の才能の持ち主。私が死んでも、彼の芸の中に生きられるのならこんなに嬉しいことはない。最後の夢を託すつもりで彼と時間を過ごした。決して、巷で噂されているようないかがわしい関係ではない」
松金先生が語るとその迫力に報道陣は圧倒されていた。
芸能生活50年。
国内外の映画に主演し、アジア人史上最高の俳優と謳われた大御所の言葉は憶測と推論ばかりの風説を掻き消してくれるに決まっている、と疑ってすらいなかった。
「しかし、密室で彼を上半身裸にしていたのは事実ですよね。児童の尊厳を踏み躙る行為ではないですか?」
新聞社の女性記者がそう尋ねると、白鳥さんの鶴の首のように細長く美しい手が伸び、手元のマイクを取った。
「芝居や舞踏は肉体表現です。腕の上げ下げを行う際、どの筋肉を使っているか、それを見るためには服の上からでは不十分です。必要だからやったまで。ヒデヤは表現者です。裸を見られるのが恥ずかしいとか、いやらしいとかそんな次元で生きていないのですよ」
ねえ? と尋ねた白鳥さんに僕は笑顔を浮かべて「ハイ」と答えた。
日本を代表する舞踏家であり、パリコレのモデルも務めたこの世で最も美しい所作をする女性、白鳥あひる。
厳しい彼女の口から「表現者」と認めてもらえたのは素直に嬉しかった。
「いろんな考え方がある時代だってことはオレたちもわかってるよ。コイツを護らなきゃって正義感振りかざすヤツだっているだろうさ。だが、コイツがこれからやる芝居や歌を見ていろ。自分の意志も持てないガキじゃ絶対にできねえ、すげえもんが見れるから」
RICALDは不敵に笑う。
生きながら伝説になったロックバンド『PHOENIX ASH』のギタリストである彼は不良じみた態度を取ってはいるが日本におけるチャリティ文化の浸透に大きく寄与した篤志家でもある。
「質問があるならお好きにどうぞ。ただ、この調子では我々がヒデヤを推す理由を延々と語る会になりそうだがね」
椅子に深く腰掛け、報道陣を目で牽制するジェフリーは世界的アクションスター。100億ドルの肉体の異名を持ち、世界中を魅了してきた。還暦を迎えた今もスタントなしで命懸けのアクションをこなし観客の度肝を抜く。
「そうね。あたしたちはヒデヤのファンなんですよ。この子は宝です。芸の世界で多くの人の目に見られることで輝きを増す。根も葉もない噂でこれ以上曇らしちゃいけませんよ」
浦上師匠は代々続く歌舞伎役者の家で育った当代一の名高い名優中の名優。近々人間国宝に認定されるはずだった。
松金先生とは何度も映画で共演していて、芝居だけでなく芸能界での身の振り方も学んだ。
白鳥さんには所作の稽古を通して美しくあることの難しさや素晴らしさを教えてくれた。
RICALDは自宅のスタジオでいろんな楽器を触らせてもらった。
ジェフリーは基礎体力作りから始まってありとあらゆる殺陣を仕込んでくれた。
浦上師匠は僕の最大の理解者で本当の祖父のようだった。
彼らとの交流を下世話な噂で穢されたのは僕にとっても悔しいことだった。
この会見でくだらない噂を叩き潰し、元通りの日々を送りたいと心から願っていたんだ。
しかし、
「ネットメディア、ナックルパートの蛆谷です! 各界の大御所の皆様方のクサイ言い訳ありがとうございました! ごっつぁんです!!」
大柄で太った汚らしい男だった。
記者らしからぬTシャツとジーパンといったラフな出立ちに加えて、敬意のカケラもない野卑な振る舞い。
僕でなくても分かる、マトモじゃない人間が醸し出すハラハラする空気に場が凍りついた。
戸惑う周囲の人間を見渡し、彼はフフン、と気持ちよさそうに笑った直後、顔を真っ赤にして怒号を上げた。
「ふざけるなクソやろーーーー!! テメエらが仕事を失いたくねえから阿賀都くんを引っ張り出しやがって!! この会見こそが虐待だろうが!! 死ねよ!! クソジジイ!! ババアアアアアア!!!」
顔を真っ赤にして唾を撒き散らかし、今にも飛びかかってきそうな勢いで蛆谷は吠えた。
その敵意にジェフリー師範とRICALDは応戦しようと身を乗り出したが浦上師匠とあひるさんが手で制した。
松金先生が蛆谷を睨みつけて言葉を返す。
「不躾にも程があるな。恫喝には応じるつもりはない。質問がないなら下がれ」
「質問なんて意味ねーーーだろ!! オレはね、アンタらがいる場では本当のことなんて分かるはずがねえって言ってるんだよ! どうせ、新聞社やテレビ局の記者には大金つんで八百長するように頼んでんだろ、卑怯モンが! オレはそんな金受け取ってねえからな! 絶対に真実を追求してやる! 日本のみんな! 応援してくれ!!」
無茶苦茶もいいところだ。
憶測や推論どころではない妄言を吐き散らかして居直るなんて議論の余地もない。
当然、警備員が出てきて退出させようとするがプロレスラーさながらに体格の良い蛆谷は周りの記者にしがみついたりして退出を拒む。
「本当に自分たちが潔白だと言うなら阿賀都くん一人だけで会見させろ! お前らの前じゃ阿賀都くん怖がって本当のこと喋れないだろうが! そういう卑劣なやり方にみんなキレてんだよ! オレは民意の代弁者だ!」
芸能界に身を置いて、普通の子供よりかはいろんな人間に会ってきたが、ここまで醜悪な感触を覚えさせられたのは初めてだった。
こんなヤツが殴りかかってきたとしてもジェフリー師範やRICALDなら一発もくらわず叩き伏せられる。
だが、たとえどんな卑小な人間であっても相手を侮辱することはできる。
僕の尊敬する人達を言葉で傷つける。
さらにこの会見はネット中継されている。
侮辱の言葉に共感してみんなを悪く見る人間が増えると考えると、僕は腹が立って仕方なかった。
「いいですよ。だったら僕がお話します」
「っ! ヒデヤ! やめておけ!」
「そうよ。あなたが関わるべき相手じゃないわ」
みんなが止めるのはごもっともだった。
小学生の僕にこんなケダモノのような男と相対させるのはマズイ、と普通なら判断する。
でも、僕は怒っていたし、驕ってもいた。
こんな図体だけで知性のかけらもないヤツに負けるわけがない、と。
「先生たちと僕との関係は師弟関係です。ネットで噂されているようなものではありません。僕はもっといい役者になりたいし、音楽とかダンスとか、あらゆる芸を身につけたい。そういう意味では僕は皆さんを利用していると言えます。搾取される側だなんて思ったこともありません」
毅然とした答え方はできたと思う。
報道席からは「ほぅ」と感嘆する声まで漏れた。
しかし、両脇を警備員に掴まれながら蛆谷は涙まじりの声で反論する。
「阿賀都くん! そんな奴ら庇わなくていいんだ! オレは全部分かってる! 君がその人たちに悍ましいことをされているのを見た人は何人もいるんだ! 証拠の映像だってある! オレは味方だ! 一緒に戦おう!」
「デタラメなこと言わないでください! そんなことされた覚えはない!」
「君はグルーミングされているんだ! 分かるよ! 自分が信じていた人たちに裏切られたのが耐えられなかったから記憶を操作しているんだ! それは決して弱いことじゃない!」
話の通じない怪物と向かい合っているような気分だった。
口ではまるで理解者のようなことを言っているけれど、身体中から棘と刃のついた凶器を生やしている。そして、その切先は先生たちだけじゃなく僕にも向かっていた。
「いい加減にしろ!!」
ジェフリー師範は目の前のテーブルを飛び越えて蛆谷の胸ぐらを掴み、膝を崩した。
糸の切れた操り人形のように立てなくなった蛆谷を引きずって会見場の外に連れて行く。
その間、ずっと蛆谷は何かを口汚く叫び続けていた。
11歳の僕には理解できなかったけどそれは耳を覆いたくなるほど卑猥で暴力的な言葉だったのだろう。
会見場にいる人間が紫色の泥に塗れていて、僕に向けられる目線がゲロのような臭いを立てていた。
「うぇっ…………」
あまりの気持ち悪さに餌付いてしまう。
「ヒデヤ! 聴いてはダメ!!」
僕の耳を抑える手。
その手がナメクジの体表のようにヌルヌルしていたので思わず、
「さ、さわらないで!!」
と大声を上げて弾き飛ばした。
その手は白鳥さんの手だった。
しまった————と思った、その瞬間、報道陣の中にいた女の記者が絹を裂くような叫び声を上げた。
「イヤアアアアアアアア!! やっぱり! やっぱり!! 阿賀都くんに酷いことをしたんでしょう!! 穢らわしい!!」
僕の反応をフラッシュバックとでも思い込んだのだろう。
ちがう、と弁解しようとしたけれど記者たちから発される砂漠の風のような熱気に喉が灼かれ声が出なくなった。
視覚が聴覚が嗅覚が味覚が触覚が暴走して止まらない。
全身のあらゆる器官が僕の脳をパンクさせるくらいに情報を流し込んだ。
耐えきれず僕は嘔吐し、咽び泣いた。
濁流に飲み込まれたように頭が回らない状況で、ただ一つ聴こえてきたのは、
「かわいそうに」
という憐れみの言葉。
僕の意識は途切れた。
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