第1話 変わらない世界
黎光学院南台キャンパスは都内のオフィスビルの2フロアで、普通の高校に比べると極めて狭い。
生徒の多くはオンライン中心で僕も週に1、2日しかここにはやってこない。
日本に帰国することの条件の一つに高校に通って卒業するというものがあったので、できるだけ楽な環境を選んだのだ。
今更、高校で青春がしたいとも思わないし、友達もいない。
のっそりと学校に出てきて、ひっそりと家に帰る。
その繰り返しの日々……
「おおっ! 光一じゃん!」
……友達はいない。
だが腐れ縁の幼馴染が同じ学校にいる。
「ひっさしぶりじゃん! スクーリング? 俺はレポート出しに来たところ!」
「知ってるかい? 最近のパソコンは家にいながらレポートを提出できるんだ」
「へえ。良いライフハックを聞いた。次からそうするけど、今回は文字数足りなかったからなー。熱意で足りない文字数埋めようと先生に直接手渡しさせてもらったんだ」
「そんな時間あったら文字書けよ」
「正解! 同じ言葉を先生に言われたわ。まあ、受け取ってもらえたからオッケー!」
皮肉もツッコミもモノともせずに突撃してくる。
2歳上の僕の幼馴染だ。
燐太郎に強引に連れ出されて学校近くの中華料理店で早めの夕食を摂ることになった。
料理を運んできた店員の女の子が燐太郎を見るなり、目をキラキラさせて、
「あの……カブトライガーの人ですよね!」
と尋ねてきた。すると燐太郎は、
「大正解〜。賞品あげるね————『変幻! 白虎の装!!』」
と、自分の演じている役の変身シーンをやってみせた。
燐太郎は日曜朝にやっている特撮番組の主要キャストを演じている若手イケメン俳優————こういう呼び方は笑ってしまうのでしたくないのだけど、ともかく世間一般ではそういう扱いだ。
店員の女の子は黄色い声を必死に押し殺しながら僕達の個室から出ていった。
「あんま安売りすんなよ」
「心配無用。売っても売っても無くならないのが恩と顔ってね」
雑な性格ではあるが人を疑うことを知らない燐太郎の純朴さや善性は芸能界に10年いても褪せることがない。
だから僕のようなヤツとつるんでくれるんだろう。
「しかしまあ、夢が叶ってよかったじゃん。燐太郎、ずっとなりたがってたもんな。特撮ヒーロー」
「なりたがっていたのはお前もだろ。ヒデヤ」
燐太郎の口から出た名前を聞いて僕の愛想笑いが引いてしまう。
「……その名前、絶対に人前で出すなよ」
「分かってるさ。ただ納得いってないだけ。別にお前が悪いことしたわけじゃないのにさ、小さい頃からの名前を名乗れなくなるなんて」
料理を運ぶ箸を持つ手が止まる。
僕も燐太郎と同じく、子役として芸能界に在籍していた……遠慮なく自慢させて貰えば一世を風靡していた。
3歳でドラマデビュー。
6歳でテレビCMデビュー、それが話題になって仕事が増えた。
7歳で大河ドラマの主人公の少年時代を演じ、そこからはトントン拍子に仕事が舞い込んできた。
9歳の頃には連続テレビドラマに単独主演。
天才子役とか神の子とか散々持て囃されて、一生分のお金と光を手にしていた。
だけど、11歳の時に僕は芸能界を去ることを余儀なくされた。
「ほとぼりも冷めたし、復帰してみたらどうだ。松金さんやあひるさんも現場に戻ってきてるんだし、お前が帰って来れない道理が」
「僕は戻りたくない。芸能活動なんて懲り懲りだ」
そう言い放つと、燐太郎の纏っていた熱が霧散した。
説得を諦めてくれたのだろう。
「まあ、芸能界だけがすべてじゃないからな。ウチの姉貴の旦那もアイドル辞めて楽しくやってるし」
「ラーメン屋だっけ。商売敵の店で食事して良いのか?」
「いいのいいの。なんならカップラーメンのCMだって出てやる。『美味い! これに比べればお店で作るラーメンなんてカスだ!』みたいな」
「義兄だけでなく全国のラーメン屋を敵に回すのはやめとけ」
バカみたいな会話だが、こういう会話をできる間柄というのは得難いものだと思う。
下心も悪意も燐太郎は持ち合わせていない。
僕のことも幼馴染として扱ってくれる居心地のいい関係だ。
「ああ、そういやよ。知ってるか、
燐太郎があげた名前は僕もよく知っている子役時代の先輩役者だった。
あまり仲良くなかったし、言われるまですっかり忘れていたくらいだったので首を横に振る。
「なんかさあ、17歳の娘と付き合っているらしいんだよね。一般人女子と。それがさ淫行だって騒がれて大変らしいぜ」
「は? あの人19とかだろ? どこが淫行なんだよ」
「だよなあ。でも、一方が18歳未満だとダメらしいぜ。2年前から付き合ってるからその頃はお互いセーフだったのによ。ってことはナニかい? この国では18歳になった瞬間、年下の彼女とは縁を切らなきゃいけないってことかい? アオの⬜︎⬜︎のパイセンは主人公と別れなきゃいけないの?」
「少年誌だし健全な関係ならセーフじゃないの……」
と返しながらスマホのAIに聞いてみる。
「……あ、本当だ。県によるけど交際当初の年齢は関係ないし、19歳も処罰対象なんだ。じゃあ、しょうがないな。愛があるなら待つべきだったね」
「冷てぇな……」
冬が訪れたように燐太郎が静かになった。
共感が得られなかったことにガッカリしているのだろう。
一応、もう少し話には乗ってやろうか。
「しかし、マスコミもつまらない仕事をしているね。和泉澤さんなんて大した当たり役もないだろ。本気で掘ったらいくらでもヤバいネタが転がっている業界なのに」
「マスコミ発じゃねえよ。むしろマスコミは一切触れてない。お前の言うとおり、無名俳優の条例違反なんてやっても売れないからな。SNS発だよ。女のクラスメイトらしきアカウントから投稿されたんだ」
SNSという単語を聞いて僕は血の気が引いた。
指先一つで他人の人生を終わらせることができる娯楽が蔓延る治安の悪い世界に罪を持った人間が堕とされたのならもう終わりだ。
女性ウケするシャンと伸びた背筋も彫りの深い顔立ちもサンドバッグとなってぐしゃぐしゃに叩き潰される。
和泉澤は大して売れていない。
だから持っているものを失うわけではない。
しかし、炎上騒動により活動が停滞すればわずかに持っている仕事や割り振られるチャンスを掴む機会すらも奪われて、芸能界の速い新陳代謝の波に呑まれ藻屑と消える。
たとえ水面の上に顔を出そうともそれを許さない正義の味方は少なからずいる。
和泉澤の芸能人生は終わったのだ。
その後、何を食べたのか何を話したのかよく覚えていない。
いつのまにか家に帰っていてベッドに転がり、スマートフォンの画面を見つめていた。
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