結局、何処の誰かも明かさなかった彼女は、キテレツ座で預かることとなった。素性が知れずとも拾う癖のある座長のせいだが、座の中では僕のせいだと出回っている――キヨのせいで。

 匂わせただけで、広めてないと彼はうそぶくが、座員達の視線がやけに刺さってくるのは気のせいではない。

 目を輝かせて一員となった彼女の張り切りようは凄かった。何でも任せてくださいと傷ひとつない手を胸にあて、言われるままに座員についていく。お嬢様育ちがいつまで続くかと心配したが、彼女は慣れない仕事でも全くへこたれなかった。できないことをきちんと謝り、周りに教えを乞う姿を座員は好感を持って受け入れた。

 問題は、所構わず、時間も問わずに寝てしまうことだ。さっきまで話していたはずなのに振り替えれば寝ていることがざらにあった。二時間持てばいい方で、料理をしていても洗濯をしていても眠りこけてしまう。そのため、常に周りに誰かがいるようになり、彼女は申し訳ないと詫びつつ、それを喜んだ。

 最初の過激さと一夜明けた後の魂の抜けた顔、日々の純朴な立ち振舞い、全てがちぐはぐだが、彼女は本心から振る舞っているように見えた。

 一番、意外だったのは食事の量だ。

 細い腹にどう押し込めているのかと疑いたくなるほど平らげるが、好き嫌いはせず所作も美しかった。


「あなたの体はどうなってるんです」

「食べないと眠ります」

「そんなまさか」

「食べても食べてもお腹はいっぱいにはならず、寝ても寝ても寝てしまうので、医者にも匙を投げられました」


 昨日のことを説明するように平気な顔で言った彼女から一歩後ずさった。同情を狙ってない所が、逆に恐ろしい。


「やぁ、ご両人」


 珍しく頃合いを読んだようにキヨが現れた。逃がさないとでもいうように肩を掴まれる。

 うさんくさい笑顔を睨んでも反省の色がなければ、文句を言いたくなるというものだ。


「おい」

「そう凄むなって、座長から使いを頼まれたんだよ」

「お前が行けばいいだろう」

「この子の身の回りのものも揃えた方がいいって座長が言うからさ。その点、リンは荷物持ちにぴったりだろう」


 荷物持ちがいるほどの使いをさせるつもりなのか。

 あてつけな爽やかさで彼は促すが、座長自らの願いかさえ怪しい。

 断ろうとした矢先に、彼女の期待に満ちた顔が目に入ってしまった。ただの使いでそう喜ぶものでもないが、行かないと言うのも心苦しくなる輝きぶりだ。

 にんまりと笑ったキヨは、ほれと走り書きを手に握らせてくる。

 意外なことに座長の筆跡だ。ざっと見ただけでも五件は回らないといけない。小さなものばかりだが、女性一人に任せるのは酷だろう。

 ため息を噛み殺して帽子を取り、髪を隠した。数歩進んだが、着いてくる気配がないので、顔だけ返して呆然とする彼女を目をやる。


「着いてきてください」


 はい、という嬉しそうな声を背中で聞いて、期待するものなんてないとは言えなかった。


◌ ◌ ◌


「リン様、答えづらかったら答えないでください」


 小間物屋へ向かう途中、何を見ても輝いていた瞳が唐突に陰りを見せた。


「……何でしょう」


 無下にできるはずもなく、恐々と聞き返す。衣装の直しに使う布と米を持つ腕よりも、心の方がずっと重い。

 感情を読ませにくい瞳を伏せた彼女は、溜め込んだ憂いを吐露するように呟く。


「舶来堂の跡取りが鬼というのは誠のことでしょうか」


 掴んでいた風呂敷の結びを強く握って、動揺を逃がす。髪が伸びたような気がしたが、帽子に隠れているので気にしないことにした。気取られない程度に周りに目を配り、平坦な声を意識する。


「ずいぶん昔の話をされますね。今は引きこもりの木偶でくの坊と言われてたかと」


 平静を装いきれず、つっけどんな言い方になったが、彼女は全く気にしていない様子で小首を傾げる。


「わたしは騙さたのでしょうか」


 あまりにも自然に受け入れた彼女に違和を覚えたが、目を背けた。噂は消えていると自分に言い聞かせて、しらを切る。


「店のことはあまり話せません」

「それは失礼しました。噂しか聞いたことがなかったものですから」


 気になって、と伏せられた睫毛が黒瑪瑙モリオンに影を作る。閉じられた唇には力が入っていた。

 黙り込んだ彼女の足が止まるが、急かす理由もないので、待つことにした。

 小間物屋に八百屋、魚屋と生活に必要なものが並ぶ通りのてっぺんに鎮座する鬼瓦が街を見守っている。凝った造りだと感心していたら、思わぬ言葉を耳が拾った。


「鬼なら、リン様がいいのに」


 驚きで彼女を見返せば、いつからなのか、見つめられていた。何を言いかけたかわからない口を結んで、逃げるように元いた流れに混じる。黙ってついてくる彼女を確認もせずにひたすら歩を進めた。

 鬼みたいだと虐められたのは過去のこと、鬼だと持て囃されるのは今のこと。いいものだなんて、考えたこともない。

 粟立つ心を止めたのは、皮肉なことに本能だ。己を守ろうとするくさびが僕に忠告する。

 鬼に気をやる女なんていない、と。

 ぴたりと止まった足に、後ろも慌てて習ったのは空気でわかった。

 一気に冷えた心は名を呼ぶ声を拾わずに、彼女の言葉を反芻する。動揺して考えが及ばなかったが、舶来堂の鬼を気にするような令嬢は、そういない。


「まさか――」


 余計なことを口走りそうになり、愕然とした。嫁入りをするつもりかと問えば、まるで自分が求めているようではないか。



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