2.Sigh of the Rose:アヴェラ・ロッセの憂鬱な1日
※第3話関連のお話です
ルミナスイースト、治安管理局「月影」人事セクションオフィス内。セクション長であるアヴェラ・ロッセは、リーダーズルームで、その日一日で処理しなければならない書類の束を確認していた。
「ロッセセクション長、今日来るエミリア・バートンの関連書類です。」セクションサブリーダーの男から新しい書類が手渡される。
「ありがとう。目を通しておきます。案内は私がしますから、彼女が来たらこちらまで通してちょうだい。」
「はい、承知いたしました。」アヴェラの言葉に歯切れのいい返事をすると、男はまた自分の仕事へと戻っていった。
アヴェラは少し憂鬱そうにため息をついた。通常の場合において、大体の書類はメンバーがチェックをして不備のない状態にしており、備品や設備等、数は多いが権限を必要としないものに関してはそのままメンバーが処理をしている。そのため本来アヴェラの元に通ってくるのはリーダー格の権限を必要とするものばかりのはずなのだ。
それなのに書類の数が全く減らない。今日はまだ朝も始まりを迎えたばかりだというのに、アヴェラの気持ちはすでに手に負えないほど深く沈み始めていた。
「はぁ。」
デスク脇に置いたコーヒーを優雅な所作で飲みながら、誰にも気づかれないよう静かにため息をつく。軽く身だしなみを整えようと手鏡を出すと、いつ見ても完璧に整えられた女の顔が目に映る。
髪型はゆるくカールしたブロンドヘア、目鼻立ちのスッキリした顔、華やかだが上品なメイク。着ている服は白地に紫のラインの入った、事務セクションのスーツユニフォーム。アヴェラのものはセクション長のために作られたもので、他のメンバーは紺地に紫のラインが入っているものを着ていた。しかしいつも通り整えられた外見を見ても気分は晴れず、アヴェラは深いため息をついた。
今日来る予定のエミリア・バートンは、ここLost Cityの大元である、Liberty Moon連合(通称:連合)の議会からの推薦で派遣されてくる教師であった。月影の所属ではなく、あくまで市長の客人という体ではあるものの、今まで教師なんて人選は受け入れたことがなかったために困惑していた。
その日、アヴェラは事務セクションのセクション長としてエミリア・バートンを迎え入れ、月影施設を案内し、局長やその他主要人物たちへの紹介も同時に担わなくてはならなかった。
「そもそも、この街に教師なんて、必要かしら。」
アヴェラ・ロッセは月影セクション長たちの中では紅一点。出自も経歴も傷ひとつない一級品であるという自負もあった。その上で今までひたすらキャリアを積み上げる努力を続け、その果てに行き着いたのがここである。正直、貧乏くじを引かされた、という気がしないでもなかった。
アヴェラは若くして就任した月影の現局長と同期であり、もう何年も月影で勤め上げている人間であるにも関わらず、いやむしろだからこそ、今のアヴェラを縫い止めているものはただの責任感のみに他ならなかった。
「ロッセセクション長、こちらエミリア・バートンです。」サブリーダーの男が件の人物を紹介する。
男が近づいてきた時点でアヴェラはまたいつも通りの完璧な姿へと戻っていた。男の後ろを歩いている人物に顰めそうになる眉を抑えながら、なんとか事務用営業スマイルへと切り替えている。
「初めまして!エミリア・バートンです。」明るくハキハキとした喋り口調は、本来ならとても好印象であるはずだった。
「初めまして、バートンさん。私は事務セクション・リーダーのアヴェラ・ロッセです。これから手続きをいたしますので、どうぞこちらにおかけください。」アヴェラはにこやかに対応し、エミリアと軽く握手をする。
「あなたは仕事に戻って、ありがとう。」メンバーの男に下がるように指示を出すと、男は静かに頭を下げて立ち去った。
「……まずは、IDの登録を。Lost Cityでは市民を含め、我々局員にも管理用IDが支給されております。」アヴェラはタブレット端末を出し、マニュアル通りの手続きをはじめる。
手続きの間中、エミリアは少し居心地が悪そうだった。それもそのはずだ。この空間には、経歴の浅い新米教師に好奇以外の視線を向けるものがまずいない。
それでも事務セクションメンバーは、経歴も学歴も、時には家柄までも申し分ない人物が多い以上、不躾な振る舞いをすることだけは許されない。
しかし分かりやすく安物のスーツに身を包み、庶民感丸出しの振る舞いをしているエミリア・バートンを、気にするなという方が無理かもしれない、とアヴェラは思った。
アヴェラがその日1日の仕事を終える頃には、すっかり夜が更けていた。なんだかいつも以上に疲れた気がして、アヴェラは制服を着たままゆっくりと肩を回す。ここ1〜2年の間に新しい人事の追加や異動が多少なりともありはした。とはいえ、エミリア・バートンはそのどの人物たちとも同じようには思えなかった。
なにしろ連邦からの推薦派遣であり、この月影には属さない新参者だ。局長のレオンがどう思っているかは知らないが、ろくな事になるとは思えない。
アヴェラはオフィス内のリーダーズルームで、だらしなく椅子の背にもたれかかって座り、そのままややむくんだ足を組んで、気慰みに淹れたブラックコーヒーを口へと運んだ。他のメンバーが退勤した後だから取れる正真正銘の休息時間。こんな姿は見せられないわと、アヴェラは静かにため息をついた。
「あの、お疲れ様です!アヴェラセクション長。」部屋のドアからおずおずと顔を出したのは、今年入ったばかりの新人リオナ・フェティスだった。
「あらリオナ、こんな時間に何をしているの?」アヴェラは即座に姿勢を正して対応する。
時計の針はほとんど真上を指し示している。リオナは黒色のストレートロングをハーフアップに結い上げた女局員で、誰がみても美人のアヴェラとはまた違う、誰がどうみても愛らしいと思う小動物のような立ち振る舞いをしていた。
「はい。えっと、その、アヴェラセクション長がまだお帰りになっていないようだったので……。」リオナは華奢な肩を縮こまらせ、胸の前に手を組んだ状態で上目遣いにアヴェラを見つめた。
「あら、心配させちゃったかしら?……でも、こんなのはいつものことだから、今後は特に気にしないで帰りなさい。」アヴェラは威圧的にならないように気をつけながら、優しくリオナに微笑み返す。
「はい……。」
「それとも、何か他に気になることでもあるのかしら?」どこか帰りづらそうにしているリオナに対し、アヴェラは単刀直入に切り込んだ。
「え?……えっと、その……、レオン局長って、どんな人でしょうか。」
「え?」
「局長ですよ。レオン局長。カッコいいですよね。どんな人なんでしょう?あんまり関わりがないから分からなくって。でもアヴェラセクション長とレオン局長は、同期、なんですよね?」おっとりとしていながらも流れるように喋り始めたリオナに対し、正直アヴェラは困惑していた。
「……見たままの人よ。堅くて、素直で、実直。でもやることなすこと不器用すぎて、正直ちょっと見てられないわ。」アヴェラは思ったよりも正直に答えた。
「へぇ〜、そうなんですね。……その……ありがとうございます。」
花が香るように笑ってみせるリオナに対し、この新人は侮れないと、アヴェラは密かに意識していた。新人らしい恥じらいと不器用さ、それでいながら細やかな気配りをみせるリオナの動きは、女であれ男であれ、それとなく好感を抱いてしまうような淑やかさまで兼ね備えているためだった。
それ自体はなんてことはないただの魅力的な新人女局員であるというだけのことではあるのだが、ことリオナに関しては、それがただの素ではなく、どこか計算されているかのような狡猾さを感じているのであった。
「それでは今日は帰ります。……お疲れ様でした。」リオナはやけにあっさりとした体で、部屋の外へと踵を返した。
「……あ、でも本当は、アヴェラセクション長とお話がしたかったんです。セクション長までのご経歴とか、普段は何をしているのかとか。……雑談って言うんです?でもほら、アヴェラセクション長はお忙しそうで、なかなかタイミングが図れなくって。」リオナはなぜか振り向いて、アヴェラに向かって唐突に告げる。
「……そうだったのね。そこまで気が回らなかったわ。ごめんなさい。でも、何かあったらいつでも教えてちょうだいね。」アヴェラはニコリと笑って返した。
「はい!それではお先に失礼します。お疲れ様です!」リオナは再び、何事もなかったかのように軽やかに挨拶をし、軽く頭を下げて帰っていった。
「……なんだったのかしら。」
アヴェラは再び、ポツリと取り残された室内で、すでに中身の冷め切ったコーヒーカップへと手を伸ばす。リオナの言葉や仕草がどことなく気がかりだった。
作業中のモニター上に起動している、各セクションの稼働状況のウィンドウを見ると、ほぼ全てのセクションがオフラインになっている中、ITセクションと戦術セクションだけが未だに稼働しているのが伺えた。
「まだやっているのね……。ご苦労だこと。」局長のレオンは、今日もまたほとんど徹夜で仕事をするのだろう。
「ほんと、よくやるわ。」そう呟きはしたものの、アヴェラ自身もまたこんな時間まで残っているような人間なのであり、あまり他人のことなど言えないだろうと自嘲した。
深夜0時を回ってしまった室内で、それでもようやく帰る準備を終えたアヴェラは、まだオンラインになっているレオン・クラッドのアイコンを確認した後、そっと電源をオフにした。
【番外編】路地裏の亡霊たちーDialogues in the Lost Cityー Nova @stella_noir_sta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【番外編】路地裏の亡霊たちーDialogues in the Lost Cityーの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます