第2話
異世界召喚儀式に巻き込まれたエンジニア
第二章:設計図と魔王軍の『技術』(せっけいずとまおうぐんのぎじゅつ)
◆
フィーリア姫の謁見の間は、王の執務室よりも控えめな造りであったが、その分、壁一面に古い地図や星図が飾られ、知的な雰囲気が漂っていた。レイハンは、姫君に促され、重厚な木製の椅子に腰を下ろした。
「改めまして、レイハン殿。貴方のその規格外の力は、父王や神官長にとって『奇跡』でしかありません。しかし、私にとっては――」
フィーリア姫は、言葉を選びながら続けた。
「――私にとっては、貴方の【超絶技巧(クラフト・クリエイティブ)】は、『論理』と『可能性』です」
『論理と可能性か。この姫君は、私が思っていたよりも、聡明な方かもしれない』
レイハンは、静かに姫君を見つめた。
「ありがとうございます、姫君。私の元の世界では、論理と工学こそが文明の礎でした。では、本題ですが……魔王軍の『異質な技術』とは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか?」
レイハンの声は、落ち着いているが、そこにはエンジニア特有の、情報に対する飢餓感が含まれていた。彼は、目の前の問題を解析するための「データ」を求めていた。
フィーリア姫は、頷き、側近の侍女に命じて、一つの羊皮紙の巻物をテーブルの上に広げさせた。
「これは、我々が『魔導兵器』と呼んでいるものです。つい三月前、国境の砦がこれで一瞬にして崩壊しました。我々の誇る魔術師団の結界も、全く効果がありませんでした」
羊皮紙に描かれていたのは、恐ろしく緻密なスケッチだった。
それは、巨大な『鉄の鳥』のようなものだ。しかし、翼は硬質な金属で出来ており、推進部には、魔力の紋様ではなく、何らかの『噴射口』らしきものが描かれている。
『これは……航空機(エアクラフト)か? いや、垂直離着陸機(VTOL)に近い構造。しかも、素材は明らかに、この世界の技術では加工が困難な、高密度な合金だ』
レイハンの脳内で、地球の航空力学と材料工学の知識が猛烈な勢いで回転し始めた。
「この『鉄の鳥』は、どのようにして動くのでしょうか。魔力を使っている痕跡はありますか?」レイハンは、図の推進部に指を向けた。
フィーリア姫は、驚いたように目を見開いた。
「貴方……魔力の痕跡がないことに、すぐにお気づきになりましたか。そうなのです。この兵器は、魔力ではなく、内部で『火』を燃やし、その『力』で飛翔する、と斥候(せっこう)は報告しています。そして、さらに脅威なのは、これです」
姫君が指差したのは、航空機の下部に描かれた、砲身らしき構造物だ。
「これは、『鉄砲(てっぽう)』と呼ばれています。魔術による防護壁を一瞬で打ち破る、恐ろしい破壊力を持っています。遠距離から、正確に、そして瞬時に。魔術師の詠唱時間(キャストタイム)を考慮すれば、全く勝ち目がありません」
『鉄砲……これは、恐らく火薬を用いた、実弾射撃兵器(キネティック・ウェポン)だろう』
レイハンは、確信した。魔王軍は、この世界には存在しないはずの「物理学」に基づくテクノロジー、すなわち「化学反応(火薬)」と「運動エネルギー」を利用する兵器体系を持っている。
「つまり、魔王軍は、この世界とは異なる文明体系、特に『科学技術』に特化した存在である、ということですね」
「その通りです。魔王軍は、魔術も使いますが、主力は常に、その異様な『技術力』。我々、ノリン王国は、強大な魔力はあっても、それを制御し、効率化する『知識』がありません。このままでは、時間の問題で……」
フィーリア姫の瞳には、深い悲壮感が宿っていた。彼女は、この国の危機を、誰よりも理解しているのだろう。
レイハンは、羊皮紙の図面をさらに詳しく観察した。その緻密さに、ある種の「美しさ」すら感じる。しかし、エンジニアとして、彼は同時に「欠陥」を見つけることができる。
『この航空機の翼の構造、抗力(ドラッグ)が大きすぎる。そして、推進部の設計も、熱効率が極端に悪い。地球の技術レベルで言えば、一世代前の試作機程度のものだ』
彼は、そっとペンを取り、羊皮紙の余白に、簡単なスケッチを描き始めた。それは、空気の流れを最適化するための、洗練された翼の断面図だった。
「姫君。もし私が、この魔導兵器よりも遥かに高性能で、そして、この世界で容易に製造可能な、新たな『兵器』あるいは『防御システム』を開発できるとしたら、いかがでしょうか?」
レイハンが顔を上げると、その瞳は、コミックを読む時ののんびりした目ではなく、設計図と向き合う時の、鋭く、そして情熱に満ちたエンジニアの目になっていた。
フィーリア姫は、息を飲んだ。
「それは……まるで夢のような話です。しかし、貴方の【超絶技巧】が、それを可能にすると言うならば、私は迷わず、その夢に賭けます」
「ありがとうございます」レイハンは微笑んだ。「では、私の最初の要求は、一つだけです」
彼は、静かに、しかし力強く、その要求を口にした。
「この城内で、最も大きく、最も頑丈な『鍛冶場』、そして『研究設備』。そして、それに携わる、最も腕の良い職人たちを提供していただきたい。私の【超絶技巧】は、道具(ツール)と素材(マテリアル)があってこそ、初めて真価を発揮します」
姫君は、その要求のシンプルさ、そして技術者としての実用主義に感銘を受けた。彼女はすぐに立ち上がり、力強く答えた。
「承知いたしました! ノリン王国の全てをかけて、貴方の『設計図』を実現させましょう!」
こうして、レイハンの異世界における、最初の『プロジェクト』が始動した。魔王軍の技術に対抗するための、**対抗策(カウンター・メジャー)**の開発である。
◆
レイハンに与えられた『工房』は、想像よりも遥かに原始的だった。
石と木造りの、巨大な建物。炉は、巨大な送風機(ブロワー)がなく、すべて魔術による補助、あるいは手動の鞴(ふいご)で火力を維持している。
レイハンを待っていたのは、三人の中年の職人たちだった。彼らは、鍛冶の炎で顔を煤だらけにしながらも、鋭い眼光を持つ、技術者たちだった。
「あんたが、噂の『レベル九九九九』の異世界の勇者か? へっ、なんだか、ひょろひょろの学者にしか見えねぇな」
そう言い放ったのは、三人のうちで最も体格の大きな男、ギルガメッシュ(Gilgamesh)だ。彼は、ノリン王国最高の鍛冶師であり、その腕前は王国の宝とまで言われている。性格は短気で、技術に対しては厳格だ。
レイハンは、ギルガメッシュの言葉に気を悪くする様子もなく、穏やかに答えた。
「ギルガメッシュ殿。私は『勇者』ではありません。ただの『エンジニア』です。私の力は、剣や魔力ではなく、知識と創造性、そして、あなたの持つ『技術』と組み合わさって初めて意味を持ちます」
二番目に前に出たのは、リディア(Lydia)。彼女は、この城で唯一の女性職人であり、主に精密な細工や魔術具のフレーム製作を担当している。彼女の言葉遣いは洗練されているが、どこか諦めにも似た皮肉が混ざっている。
「へぇ。知識ね。異世界の知識とやらが、この世界で通用するのかしらね。魔王軍の新しい『鉄砲』のせいで、私たちの仕事はもうおしまいだって、みんな諦めかけているのに」
「リディア殿。諦めるのは、まだ早すぎます。私の世界では、『不可能』は、より複雑な『方程式』でしかありませんでした。それを解けば、必ず『可能』になる」
レイハンは、静かに二人の目を見て言い切った。
そして、三番目の男、アルド(Aldo)。彼は、レイハンの周りの職人たちの中で最も年配で、主に木工と建築を担当している。彼は口数が少なく、終始、レイハンを観察している。
「……貴公の目には、嘘がない。しかし、我々は、貴公の言う『方程式』なんてものは知らぬ。我々の世界は、魔力と、長年の経験、そして師の教えで成り立っている」
アルドの言葉は、この世界の「技術」の限界を如実に示していた。論理と理論ではなく、経験と継承によるものだ。
レイハンは、懐から取り出した羊皮紙を広げた。そこには、彼が先ほど描いた、彼の知識に基づく最初の『設計図』が描かれていた。それは、王国の現在の金属技術でも十分に製造可能でありながら、高い防御効率を発揮する、**『複合装甲板(コンポジット・アーマー)』**の断面図だった。
「では、これが、私の最初の『方程式』です」
レイハンは、穏やかな笑顔で言った。
「ギルガメッシュ殿、リディア殿、アルド殿。これから、あなた方の経験と、私の知識を融合させます。魔王軍の技術に対抗する、**『対抗技術(カウンター・テクノロジー)』**を創造しましょう」
この瞬間、異世界の規格外エンジニア(レイハン)と、経験豊富な異世界の職人たちとの、異文化交流にして、技術革命の火蓋が切って落とされた。
※
数日後。
レイハンは、工房の一室で、集中して作業を続けていた。彼の作業は、この世界の職人たちには奇妙に見えるものばかりだった。
『必要なのは、まず、強度計算と、熱力学的なシミュレーションだ。この世界の素材の物性値を計測しなければならない。だが、専門の機器はない。ならば――』
レイハンは、スキル【超絶技巧】を発動させた。彼の周囲に、微かな、しかし高密度な魔力の粒子が集まり始める。
彼の頭の中に、素材の分子構造、応力(ストレス)、そして熱伝導率のグラフが、まるでHUD(ヘッドアップディスプレイ)のように浮かび上がる。これは、彼のエンジニアとしての知識が、スキルを通じて魔力で具現化された現象だ。
**【超絶技巧(クラフト・クリエイティブ)】**の効果。
それは、**「必要な情報(データ)の即時解析・生成」と「実現可能な最適解(ソリューション)の提示」**だ。
彼は、王国の一般的な鉄のインゴットを手に取る。
『……解析完了。炭素含有量が不均一。鍛錬方法が原始的で、強度にムラがある。これは、地球の紀元後数百年の鋼鉄に近い。だが、この世界には、特定の魔力を帯びた鉱石がある。それと組み合わせれば……』
レイハンは、ギルガメッシュに、ある特定の鉱石を混ぜた鉄の精錬を依頼した。
「この鉱石の粉末を、融点に達した鉄に、この正確なタイミングで、この割合で混ぜてください」
ギルガメッシュは、その「正確なタイミング」と「割合」という概念に、驚きと戸惑いを隠せない。彼にとって、鍛冶とは「炎の色」と「ハンマーの感触」によるものだったからだ。
「なんだ、その細かさは! 経験則でやれば十分だろう!」ギルガメッシュは不満を露わにした。
「いいえ、ギルガメッシュ殿。『経験則(経験)』は、再現性の高い『論理の積み重ね(ロジック)』から生まれます。魔王軍の技術は、その再現性の高い論理に基づいています。彼らに勝つためには、私たちも、その論理を導入しなければならない」
レイハンの言葉には、反論の余地がない、確固たる信念が宿っていた。
ギルガメッシュは、渋々ながらも、レイハンの指示通りに精錬を試みる。そして、出来上がった鉄は、彼がこれまでに見たこともない、驚くほどの均一な輝きを放っていた。
「こ……これは……! なんだ、この手応えは!?」
ギルガメッシュは、驚愕に声を震わせた。レイハンは、静かにその新しい合金の強度を、スキルで計測し、笑顔を見せる。
『予想通り、引張強度(テンサイル・ストレングス)が二割向上した。これなら、火薬を用いた実弾の衝撃にも耐えうる』
「この鉄を、『ノリン鋼(ノリンスチール)』と名付けましょう」
レイハンがそう告げると、ギルガメッシュは、レイハンに向けられていた不信感を完全に捨て去り、まるで新米のように興奮した目でレイハンを見つめ始めた。
リディアは、その様子を静かに見ていた。彼女は、レイハンの持つ「知識」が、この世界でいかに規格外の「力」となるかを、肌で感じ取っていた。
「ねぇ、レイハンさん。次は、私の担当の『精密加工』について、何か論理はあるのかしら? 私たちは、手先の感覚でしか、均一な穴を開けられないのよ」リディアが、真剣な眼差しで尋ねた。
レイハンは微笑み、答えた。
「ええ。ありますよ。リディア殿。次は、**『精度と公差(アキュラシー・アンド・トレランス)』の概念、そして、それを実現するための、この世界の技術で可能な『旋盤(ターニングマシン)』**の設計について、お話ししましょう」
異世界で、一人のエンジニアによる技術革命が、今、静かに、しかし確実に、その産声を上げたのだった。
異世界召喚儀式に巻き込まれたエンジニア @valensyh
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