第4話 親より妹

 ――ベンチに座りながら。

 九歳の義妹に抱きしめられていた。

 小さいながらも大きな包容力で、ぎゅっと抱きしめてくれる。


 ……感じる体温と、愛情を……俺は一生、忘れないだろう。

 抱きしめられて分かることがあった。

 抱きしめられないと分からないことだった。


 ……氷が、溶けた気がした。

 ……そして、火が点いた、とも言えた。


「兄さま、わたしのそばに、ずっといてほしい……いなく、ならないで……っ」

「…………」


 ――ああ、そうか。


 期待に応えるべきだ、それが役目だと考えるからいけなかったんだ。

 期待に応えたい――そう思うことが、なによりも重要だった。

 この子の期待に応えてやりたい。そう思えば、やる気ってのが、みなぎってくる。


「……ああ。心配させて、ごめん。――俺、変わるよ。お前のために生きる。お前に、救われたんだ……この命はお前のものだよ、アイサ」


「ん……、それは言いすぎ、だけど……でも……うん。元気になってね、兄さま」


 凡人以下となった俺を受け入れ、引っ張り上げてくれた人。義妹。

 いいや、アイサはもう義妹ではなく、俺の――『お姫様』だ。


 ――人生において、最優先が決まった時だった。


 両親の期待を裏切ってもいいが、この子の期待だけは、裏切りたくない。

 絶対に、この子を幸せにするんだ――!


 だから……。

 その日の夜、ベッドの中で考えた。


 アイサのために、俺は変わることを意識する。

 目的があれば、そこまで邁進できる。

 まずは自慢の兄貴になることを意識し……、鬱陶しがられてもいい、まずは形からだ。

 アイサのための、騎士になろう。


 義妹は、物語の中の『姫と騎士の関係性』に憧れを持っていた。

 ハッキリと聞いたわけではないけど、会話の端々から感じられたのだ。

 騎士、という分かりやすい役目を自分に与える。そうすることで視野を狭めた。


 ……広がるから見失うんだ。

 考え過ぎてしまう――。

 だったら、狭めてやれば、取捨選択ができるようになる。


 最優先を決めれば、なにも迷わない。

 アイサのため、だけに――。



 翌朝、目を覚ました俺の意識はいつもよりもハッキリと、スッキリしていた。

 やるべきことは、もう決まっている。

 決めたのだ。もう、逃げない。


 先に仕事へ向かったであろう両親には会わなかった。

 先に起きた俺が、まだ寝ているアイサを起こしに、部屋へ向かう。


 ……ここからだ。

 この扉の先へ進んで、俺の人生は、変わるのだ――。

 いいや、変えるんだ、俺がっ。


「――姫、起きてください。学校に遅刻しますよ。それとも、このまま俺がお姫様抱っこで運んであげましょうか?」


「……ふぇ?」


 優しく頭を撫でると、アイサは顔を真っ赤にしていた。

 布団から出られない初々しい反応は数日だけだったが……それから、これが当たり前になってくると、アイサとの兄妹としての距離はぐっと近くなっていった。

 もはや兄妹ではなく、長年連れ添ったような主従関係だったが。



 #



 親父は早朝に家を出て、深夜零時を過ぎて帰ってくる。

 毎日ではないが、基本的に親父と食卓を囲むことはない。

 社長という立場上、定時という概念がないのだと言っていた。


 お袋も、そんな親父の仕事のフォローをしているため、家を空けることが多い。

 会社と家が遠いわけでもないのに、近所のホテルで寝泊まりすることもある。

 それを、贅沢だな、と思っていた俺はまだまだガキだった。


 仕事のためだし、ホテルと言っても寝るだけだ。

 親父は、俺とアイサのためにできるだけたくさん稼いでくれている。……それは分かるが、だとしてもアイサにはもっと会ってやれと言いたい。


 俺のことはどうだっていいが、アイサには、満足に愛情を注いでやってほしいと思う。

 兄からではなく、父と母から――。


 朝、親父を見送ってから家事をしていたらしいお袋が、朝食を作ってくれていた。

 いつもなら朝食だけがテーブルの上に置かれているが、今日は早起きしたためにお袋の顔を見ることができた。

 お袋だけなら、夜になれば会えるが……、忙しそうにパソコンを見つめるお袋に声をかけることはできない。両親揃って仕事人間だよな……。


 そのため、ゆっくりと(でもないのだが)会話ができるのはこの時間だけだ。


 ――あの日から、ぎくしゃくはしているが、それだけだ。家族仲が悪いわけではない。

 少なくとも、アイサを挟めば平和的な会話になる。義妹は親子の緩衝材になってくれていた。

 お袋はもう、俺には期待していない。


 そして俺も、お袋と親父の期待に応えようとは思っていない。そのことに不満は出なかったし、俺の代わりはアイサが務めてくれている。……アイサを支えることが俺の存在証明だ。


 そのことを、お袋と親父は尊重してくれている……だろう。

 きっとな。諦められたのかもしれないが、それならそれでいい。


「ワタル――じゃあ、仕事に行ってくるわね」

「おう。アイサのこと、ちゃんと見ておくから安心してくれ」

「…………」


 玄関で。靴を履いたお袋が中途半端な体勢で止まっていた。


「? なに、早く行けば?」

「いや……ぅん、任せるけど……その、やり過ぎないように……しなね?」

「やり過ぎ? 妹を守ることに、やり過ぎってことはないだろ」

「あるのよ」


 はっきりしないお袋だった。言ってることも意味不明だったし……。

 眉をひそめていると、お袋が扉に手をかける。


「とにかく、過保護もほどほどに、ってこと」

「ああ、分かった」



 ――アイサに命を救われてから半年ほど。ゴールデンウイークが目前だった。

 親父が希望していた高校ではなかったものの、あの日から必死に勉強をして、家から近い高校へ入学することができた。

 進学の動機? そんなの当然、妹を小学校まで送り迎えできる距離だからだ。


 本音を言えば、アイサが学校に行ってる間はあの子の脇にいて、いつでも助け船を出せるようにしたいが……、本人から拒絶されてしまえば強いることもできなかった。


 確かに、常に監視をしていたらアイサも息苦しいだろう。不安だが、朝に送り届けて、夕方迎えに行くことで手を打った。アイサは「かほご……」と不満そうだったが。


 こんなの過保護の内には入らない。

 さて、そろそろ起こさないとな――アイサの部屋へ向かい、扉をノックする。


「姫ー、起きてますかー?」


 さすがは社長だな、と言わんばかりの、川沿いに建っている新築のマンションだった。

 しかも最上階。

 周りに高い建物がないので風景(夜景も)がよく見える。


 まあ、興味がなければ俺のように宝の持ち腐れになるだけだが。

 お袋も興味がなさそうだし……、単に、親父がステータスとして持っておきたかっただけだろう。この家だって資産になるわけだ。

 いずれはアイサの資産に……。

 俺が持っていても仕方のないものだ。


「…………」


 声をかけたが、返事はなかった。いつものことなので驚きも、焦りもなかった。

 愛娘のために頑張って買ったんだ、と言った親父……高い買い物である証拠に、アイサの部屋には鍵がかかるようになっている。


 小学生の娘に、鍵付きの部屋を与えるのは時期尚早な気がするが、鍵として機能していればの話だ。たとえ鍵がかかっていようとも、俺の手なら簡単に開けられる。


 アイサがかける鍵なら、俺は構造を理解しているんだよ。

 解錠は、アナログに頼る。

 針金で一秒もかからず、鍵穴に差して解錠させた――うん、新記録だ。


 毎日のことなのでどんどん早くなっている。

 扉を開けて、ぐっすりと眠っているアイサの顔を見た。


「入りますね、姫」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る