第11話「王の揺るぎなき愛」

 ジャファルの冷徹な拒絶に、ユリウスは言葉を失っていた。彼は一縷の望みをかけて、もう一度口を開く。


「しかし、兄さんはリヒトハイム家の人間です!家族の元へ帰るのが……」


「黙れ」


 ジャファルの静かな一言が、ユリウスの言葉を遮った。


「彼を物のように扱うのはやめろ。彼には、彼自身の心がある。そして彼の心は、ここにあると、そう言っている」


 ジャファルはそう言うと、ノアの方を振り返り、その手を優しく取った。驚くノアの手を、慈しむように、そして決して離さないという強い意志を込めて握りしめる。


「ノア。お前の気持ちを聞かせてくれ。お前は、彼らと共に故郷へ帰りたいか?」


 真っ直ぐに自分を見つめる瑠璃色の瞳。握られた手から伝わる、揺るぎない温もり。


 ノアはゆっくりと首を横に振った。


「……帰りたく、ありません」


 やっとの思いで絞り出した声は、小さく、けれどはっきりとした響きを持っていた。


「僕の居場所は、ここです。……あなたの、隣です」


 その言葉を聞いた瞬間、ジャファルの表情がふっと和らいだ。まるで、世界で最も聞きたかった言葉を聞けた、とでも言うように。


 彼は再びユリウスに向き直ると、今度は一国の王としての威厳を纏って、厳かに宣言した。


「聞いた通りだ。これが彼の意志であり、私の意志でもある。リヒトハイム侯爵家よ、彼の所有権を主張するつもりなら、このバシラ王国を敵に回す覚悟をするがいい」


 それは、もはや交渉ではなかった。最後通牒だ。


「彼を傷つけるくらいなら、貴国との友好関係がどうなろうと、私は一切構わない。さあ、答えを聞こうか」


 ノアというたった一人の存在のために、国交断絶すら辞さない。ジャファルのその揺るぎない覚悟は、使者であるユリウスだけでなく、その場にいた全ての者を震撼させた。


 ユリウスは、もはや反論の言葉を見つけられなかった。そして、理解した。この砂漠の王は、本気で兄を愛しているのだと。自分たち家族が決して与えることのできなかった、絶対的な愛と庇護で、兄を守っているのだと。


 それに気づいた時、彼の胸にこみ上げてきたのは、嫉妬や悔しさではなかった。ただ、純粋な安堵だった。


(ああ、よかった。兄さんは、本当に大切にされているんだ……)


 ユリウスは力なくその場に座り込み、深々と頭を下げた。


「……承知、いたしました。これ以上の無礼は、お許しください」


 それが、彼の出せる精一杯の答えだった。


 謁見が終わり、ユリウスが客室へと下がった後も、ジャファルはノアの手を離さなかった。


「怖かっただろう。辛いことを思い出させて、すまなかった」


「いいえ……」


 ノアは首を振る。


「ありがとうございます、ジャファル様。あなたがいてくれて、よかった」


 守られている。愛されている。その実感が、温かい光のようにノアの心を満たしていく。


 この人の傍にいたい。


 この温かい手を、二度と離したくない。


 ノアの中で、ジャファルへの想いは、もはや感謝や安らぎだけではなかった。それは、はっきりと形になった恋心だった。自分の気持ちを自覚したノアは、頬を染め、少しだけ強く、ジャファルの手を握り返した。そのささやかな反応に、ジャファルはすべてを察したように、優しく微笑むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る